ネットサーフィンしていて、発達障害(自閉症)の人の状態について、とってもわかりやすい説明をしているサイト「ひろげていこう 発達障害のWA!~『困ってる子』という視点からの支援~」に出会いました!記事の一つをご紹介します。
発達障害という、わかりづらいものごとの説明に、上記サイトはスマホを例えにつかって説明しています。
上記の「自閉症」は、発達障害・ADHD・アスペルガー・LDのある人と、読み替えてください。
自閉症の人は疲れやすい、ほんっとにそう!発達障害のある子が、すぐに授業に飽きてしまうのも、集中力が切れてしまうからだと思います。姿勢を保つのだって大変なのに、ずっとお行儀よくすることを求められたら、子どもは授業が苦痛になってしまうと思います。教育関係者には、上記のサイト、読んでほしいです。
実は、私自身も脳の発達にでこぼこがあり、疲れやすい体質です。WAIS-IIIという発達検査を受け、その結果を専門家に見せたところ、「これだけの差があるのを、知的(能力)で補っていますから、相当疲れるでしょうね」というようなコメントをいただいたことがあります。4~5年前のことでした。
ちなみに私が発達障害かどうかは、診断を受けていないので、わかりません。
表題通りです。
長男が小学校の1〜2年生時代は、多摩ニュータウンで
過ごしたのですが、クラスに学習障害(LD)の
男児がいました。
担任の先生は、理解のある女性教師でしたが
どうしても、担任が一人では彼がパニックに
なった場合に他の児童の面倒を見る人間が
居なくなってしまうので、副担任制度があると
良いなぁと思いました。(特に手をかけて世話を
する必要がある児童がいるクラスは複数担任制度にするとか?)
身長や体重や顔つきに、それぞれ、個性がある
のですから、きっと、精密検査を受ければ
皆、大なり小なり、平均値から外れる部分を
持っているのではないでしょうか?
その個性が、「本人にとって不便な場合には
障がいと呼ぶ」場合があるのだと認識しています。
ウチの長男は、小さい頃は、とても行動が
遅くて、常に集団のビリの方にいるタイプで
親は、本当に気を揉んでいたのですが。汗。
親も、小さな頃は、のんびり屋でしたから
多分、その性質を受け継いだ事もあるでしょうし。
ヤキモキしていた幼稚園、小学校時代を経て
中学校時代には、目立たなくなり、高校時代には
全く、それを感じさせなくなりました。
今、思うと「左利き」なので、日常的に
道具類の扱いが難しいことが、彼を必要以上に
不器用に、ノロマに見せていたのだと思います。
「名前のついた障がい」を持っていなくても
平均値から外れた子供は、生きづらいのですから
不便な個性を持つ子供は、更に大変なのだと思います。ただ、親でさえ、左利きの我が子の不便さが
見に染みては理解出来ていなかったのですから
他の人が、障がいを持つ人を正しく理解して
サポートするのは、啓蒙無くしては難しいですね。
それで、晩生なタイプだった長男は、性格は
明るい子供でしたが、とにかく小学校時代は
不器用な子供でした。小1時代の授業参観では
1時間目はテストを受けて、2時間目に皆でその
答え合わせをするというのに、ウチの子だけ
2時間目にお隣りの女の子からのアドバイスを
受けながら、汗をかきつつ、テスト用紙に
書き込んでいるんですよ。汗。
幼稚園時代も、気の強いお子さんに振り回されて
後を付いて行くタイプでしたが、勉強も運動も
苦手だった長男は、小学1年生、2年生の頃は
クラスの中のボス的な子供に虐められたりもして
いたのです。心配になった私は、次男が4歳違いで
未だ入園前だった頃は、下校時に途中まで迎えに
行ったりしていたくらいでした。次男のお散歩と
云う態でね。ボスは、私の顔を見るとチェッと
舌打ちしていました。笑。
ニュータウンでは、お勉強熱が高くて、高層マンションや中、低層マンションが建ち並んでいる街並みでは
自分の子、隣の子、近所の子の、優劣が容易く
比べられるので、親も子供も一緒に学校の寮内で
暮らしている様で、緊張感が高かったのです。
出来立ての街で、新築のマンション群に皆が
一斉入居した時でしたから。
…何を言いたいかと云うと、もしかしてこのエントリに惹かれてこの記事をお読みになる読者の方々の
中には、障がいを持ってはいなくても、集団の中で
かなり見劣りする我が子に悩む親御さんがいたら
「大丈夫ですよ。その子の花開く時期を待って
下さいね。秋咲きの花は、春には咲かずにヤキモキ
させても、夏を過ぎる頃には蕾をつけ秋の風景の中
きっと綺麗に、咲いてくれますからね〜♪」
とお伝えしたいからです。
秋咲きの花を、春に咲かないと悲観する必要はないんです。もちろん、秋に花開く為の準備やお世話は
必要ですが、春に咲かなかったと嘆く必要はありません。
ちなみに、ウチの長男は、中学時代はビックリする
ほど英語が出来なくて、高校受験でも私が塾の先生に
「先生!神奈川県の公立高校の英語なんか
簡単過ぎるくらいだから、英語が一番伸びますからね。と言われていたのに、ウチの子、英語だけ伸びて
いないんですけど!どうしてくれるんですか?」
と、イチャモン付けたくらいだったんですよ。笑。
結局、大学受験の時に、アルバイトの塾の先生に
「僕も英語は苦手だったけど、やれば出来るのも
英語なんだよね。」と経験談と共に具体的な
勉強法を伝授されて開眼し、すっかり英語熱が
高まって、そのまま、英語力を武器に外資系企業に入社したくらいです。笑。
中学、高校の英語の担当教師は、今の仕事内容を
聞いたら、ひっくり返って驚く事でしょう。笑。
…その子にとって、伸びる時期が来るまで
光と水と適切な肥料を、あげて欲しいなと思います。
こんばんは。
コメントありがとうございます。
当時、LD(学習障害)という言葉はあったのでしょうか。
自閉症という言葉でしたでしょうか。
周りのお母さんたちは、その子に対してどんな
認識でおられたのでしょうか。
疑問に思いました。
>「名前のついた障がい」を持っていなくても
>平均値から外れた子供は、生きづらいのですから
>不便な個性を持つ子供は、更に大変なのだと思います。
minminさんのおっしゃるように
「平均値から外れた子供は生きづらい」というのは
確かだと思います。
そんな日本社会が窮屈で、悲しいことだと思います。
人間には多様性がありますから、それを認めていく方向には
徐々になってきていると思うのですが…
PTA問題の論争などみていると、会員の多様性をみとめて
現実に対応していくことが、なかなか進んでいないなと
感じることも、また、あります。
追記のコメント、ありがとうございます。
minminさんのおっしゃる通りですよね。
我が子はまだ15歳ですが、それでも、おっしゃることには
そうだそうだとうなずける部分がたくさんあります。
minminさんのお子さんは30歳過ぎでいらっしゃいますから
余計に説得力がおありになります。
苦手だった英語が得意になられて、外資系に就職なさった
息子さん、ご立派です!
「その子の伸びる時期がある」、
その時期を待ってやりたいな、と、娘に対しても
思います。
素敵なアドバイス、ありがとうございます♪
前述の長男(31歳)が、小学校1〜2年生当時の同級生は
当時から学習障害(LD)と呼ばれていました。
確か、当時もそれについての説明もありました。
担任の女性教諭は、その前に、そういった少し
デリケートな子供さん達を扱うクラスを
担当した経験がある方でした。
特に、我が子とそのLDを持つお子さん(男児)は
親しくは無かったので、余り、そのお子さんに
ついては詳しくは憶えていないのですが。
新しい街、ニュータウンの出来立ての学校でした。
多分、創立して、何年も経っていなかった記憶が。
ですから、旧い因習みたいなのは皆無で
フランクな雰囲気がある学校でした。
父母の会みたいなのは有っても、PTAは未だ無かった。
担任のサポート力もあり、お母様が積極的に
周りのお母様達と親交を深めていた事もあり
そのLDのお子さんが、クラスで虐められていたと
言う記憶はありませんが。それでも、個々の
保護者の受け止め方は、色々だったと思います。
多分、3つぐらいのグループに保護者は別れて
いたのじゃないかしら?
積極的に、そのLDのお子さんと親子で関わって
お友達になり、サポートもしてお家にも行き来して
お付き合いの濃いクラスメートのお宅。
我が家のように、そのお子さんに同情はするけれど
実際は、自分の子供だけで手一杯で、結局のところ
直接的な繋がりは持たなかったお宅。
公立小学校だったけれど、バブル期の終わり頃
だったので、当然のように中学受験はするものとして
クラスの授業を進めるのには、ちょっと足を
引っ張る存在として、困ったなぁと考えていたお宅。
東京都心部から、マンションを買い換えて
引っ越してくるお宅もかなりの数、いらしたのです。
そう言う方の、愚痴を聴いた事もありましたから。汗。
でも、全体としては、皆でそのお子さんを
盛り立ててクラスメートとして尊重しましょうね、
と言うムードはあったように憶えています。
担任の指導力と、お母様のご努力と、そのお子さんの
持つ明るい雰囲気が、出来立てで閉鎖的でない校風と
相まって、未だ低学年だったので、それも幸いしたのでしょうね。
それでも、やはり、パニックを起こしたりした
時の為には、常にサポートする副担任がクラスに
居たら良かったなと思いました。お母様もサポートに
いらしていた時もあったそうですが。
当時は、とにかく、のんびり屋で無器用な
我が子の事だけで精一杯だったから、あんまり
周囲が見えていたとは言えないかも?
でも、何となく、当時は大変と思っていたけど
ひょっとして、色々なツールが発達している
現在の方が、精神的には子育てに辛い環境かもと
思うようになりました。
自分の気になっている事が、どこまでも掘り下げて
検索してしまえるので、それも、間違った情報に
アクセスする可能性もありますが、自分一人で
悩んでいると、誰も軌道修正してくれない…。
自分の好きな考え方。
自分にフィットすると感じる方向にのみ
何処までも、掘り下げていく事が可能な
インターネットの世界。
リアルとバーチャルの世界を、ちゃんと自分で
コントロールするチカラが求められている時代に
子育てするのは、中々に自覚が大切な事ですね。
当時、今から20数年前もLDと呼ばれていたのですね!
ご回答いただきありがとうございます。
LDの彼をとりまく環境が
全体的にあたたかかったとうかがって
ホッとしました。
「発達障害の子は手間のかかる迷惑な子」
というようなニュアンスを
ある方々から感じ取ったことがあるものですから。
傍で見ていて辛いものがありました。
いえいえ。
我が家もけっこう我が子のことや
狭い範囲の友達のことばかり
考えていました。
卒対で卒業アルバムに使う、子どもの写真選定を
したとき、他のメンバーは
子どもの名前と顔が一致している人が多くて
驚いたものです。
> でも、何となく、当時は大変と思っていたけど
> ひょっとして、色々なツールが発達している
> 現在の方が、精神的には子育てに辛い環境かも
そうかもしれません。
> 自分の好きな考え方。
> 自分にフィットすると感じる方向にのみ
> 何処までも、掘り下げていく事が可能な
> インターネットの世界。
ええっと、確か「サイバーカスケード」という
言葉があったような。
検索してみたらありました。
それと、知識はネットで仕入れられますけれど
感情をどうやって消化するかは
難しいです…。
質問サイトなどで相談もできますが、
どんな答えが返ってくるかは
想像できませんもの。
文字ベースの、ネットでのコミュニケーションも
好きですが、
SNS全盛のこんな時代だからこそ、
対面でのコミュニケーションが
大切になっていると感じています。
すごく、深いコメントをありがとうございます。