イヌビユ(雑草)
お墓は私が祖先と繋がっている証。親からバトンタッチされたものは祖先の努力の結晶。繋がっている愛情の贈り物だ。
NHK番組「あさいち」10月中旬に「車を運転中感ずるのだが、割込みをさせてくれない」「割込みできても後ろの車はクラクションをブーブー鳴らす」と招待者の発言があった。「日本もゆずり合いはない」と。
私の生活圏は田んぼの多い町だが、まだゆずり合いは存在する。本に「迂闊謝り」を日本人の良い習慣として紹介したものがある。少し投げ出した足に躓いた側が「すみません」足の持ち主も躓かせて「すみません」お互いに気持ち良い応対だと。
競争社会、核家族社会に戦後育ち、その子が社会の主役になっている現在。そして遺産の相続が民法の割合通りでは祖先との繋がりは見え難い。
先日、両親を早くに失い、おじに育てられたと言う同級生がそのおじのお墓を移すと故郷にもどる。「これまでも盆と彼岸には墓参りはしていたが、住まいの近くに----と」
小学校の数年間机を並べたが両親のことなど知らないでいた。それを知りまたお墓を移すことを知ると、心が温まる。
私もお墓を大切に残したいと思う。祖先を大切にする心が「迂闊謝り」のある日本人とも繋がっていると思うのだが。