大河ドラマ 明智光秀
大河ドラマ明智光秀が最終回を迎えた。本能寺の変により織田信長が死ぬ。この登場人物二人の関係は幾度か過去の大河ドラマでも取り上げられており、先入観があった。今回、補充された点を以下にメモしておきたい。
遅れて信長の家臣となった光秀が、なぜ出世頭となることができたか。光秀の生まれが美濃斎藤道三と縁があり、朝倉家との縁は庇護されたものであった。朝倉家からは足利義明将軍との縁で離れ、信長が京都を視野に入れ大国への道を目指す時に光秀との縁があった。信長は天皇から右大臣の官位を得ていた。信長は東宮を二条城へ住まわせた。また天皇をも自分の意に沿う人事にしようと考えていた。
光秀の性格が、許容範囲を超える要求を出す信長を見過ごすことができなくなった。そのことが、この本能寺の変実行の引き金になったとよく理解できた。歴史より学ぶことができることの一つ、権力を得た者が陥りやすい落とし穴にご注意をと言いたいのだろう。また情報を調べることが容易になった環境が、このドラマに新しい側面を与えて、光秀の心の動きを追い易くしているようにも感じられた。
最終回の最後の場面はとてもきれいだ。山崎の合戦の詳細はジャンプされており、光秀は丹波まで逃げて生きていた。かつて源義経が、戦いに敗れても生きていると描かれた。冷静に見て、性格がきれいな人は生き残っていても、不満はもちろん私にもない。