食べ物日記   元気 一番

健康へ気配りしながら主に食事を!

農業入門塾卒業

2021-02-26 09:32:54 | 野菜の育て方

 JA 農業入門塾

 私は農家に生まれた。野菜やイネを作っていた。乳牛も4~5頭、ひよこから育てて50羽程度の養鶏も行っていた。父は務めをしながらの兼業だった。

 牛は朝と夕との2回乳しぼりがあり、食べる量も半切りドラム缶が食器。飲み水はいつごろからか、鼻先で押さえると出て来る蛇口方式になった。冬用の青草用にサイロがあり、家族全員でレンゲ草を踏み詰めした。稲刈や牛餌用の草刈などが主な手伝い。そして風呂焚きは兄弟で順を決めていた。しかし里山からの焚き木集めは手伝った記憶がない。記憶と言えば、私が小学校に入った年に記念樹を畑の奥に植えたと、父が後に私に知らせた。

 こんな日常を思い出せるのだが、私には学問をして大学へと道を示していた。私が小学校4年生、昭和35年頃には近所の殆どの子供は高学歴を目指していた。こうしてサラリーマンとなり、転勤族で、定年後家に戻ったのは両親他界後30年が経過していた。使い易い田は借り手が見つかったが、他は田・畑・里山みな荒れた。

 記憶にある、利用されていた田畑を少しでももとのように戻したいと、鎌を使って綿穂の出るガマと闘う。そのようにして造った畑に種を蒔く。しかし稲刈や草刈の手伝い経験だけでは、芽は出ても利用できる野菜には育たない。当然のことだろう。そんな折、JAが「農業入門塾」を始めると知った。私の高齢を理由にJAは難色を示したが、門が拡がったのか「許可」された。その後、1年間の農業(野菜・果樹・花き)、そして栗(岸根種、カットバック技術まで)を学んだ3年間。計4年間。今年2月中旬にすべての工程が終了した。1年前にはイバラ原(畑)に栗の苗木を10本植えた。JAそしてその関係者から、技術を教わることができたことに対して、とても感謝している。この技術を、成果物をJAの市場などに出荷して使い、また私の住む近所の人と共に野菜などを栽培しながら伝えたい。さらにこの学びにより、多くの知人ができた。財産だと思っている。なお、2年後に実る栗を、今から楽しみにもしている。

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