電飾写真(山口市)
「開戦は避けるべきだとの認識」は指導者たちの間に広くあったという。(12月8日新聞天声人語)しかしそれを自らの責任で発言せず空気に流された。そして破滅的結果へと進む。――。なぜ発言せずに、なぜ空気に流されたのだろう。
山本五十六・連合艦隊司令長官は「是非やれといはれれば初め半年か一年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら二年三年となれば全く確信は持てぬ」と語った。また日米の生産力の差も明らかだったという。私なりにその「なぜ」を考えてみたい。
先ず、なぜ開戦は避けるべきだと発言しなかったのか。陸軍は中国とすでに数年戦い続けていた。アメリカはその中国へ武器など応援しており、戦争の終わりが見えない。またガソリンの輸入ができなく変わり、先行きは「負け」となる。この負けを避けるため。
次になぜ空気に流されたのか。日本は明治以降の戦争には「勝利」経験のみ。また国内は統制された日本優位情報ばかりが存在。国民は中国を応援するアメリカを叩き早く戦争を終わらせたいと考えた。その時の国民は開戦を肯定。開戦への空気の流れは大きく、個人では努力しても方向変更へ導けないと判断したため。
まとめると、「負け」を避けるため、そして開戦肯定の空気の流れが大き過ぎたため、となる。さて破滅的結果を避けるために、指導者たちはどのタイミングにどう行動すべきだったのか。まだ共有された認識はないようだ。しっかり考え、その結論を多くの人が共有しておくことは大切だと思うが。
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