庭のサツキ
生まれて67年が経過する年齢となった。年数が重なった分、いろいろな経験ができたと思っている。その分、子供の孫への対応に気付きがあり、余計なことも言う。
小学生に上がったばかりの孫が、先生の質問に「はいはいはい」と手を揚げる。応えたいのだ--。親は皆に混ざり目立ち喜んで、家ではむしろ「ほめる」。爺の私は電話で、「出会ったばかりで、『私が私が』では皆から浮く。『適度なほめ』をして教えることが大切」と。親の気持ちにブレーキをかけている。
気付きがないことだが、昨日の新聞に、『「共謀」を問われた少年期の記憶』との「声」があった。「一晩だけ許可をもらい、腹いっぱいに飯を」との、数人での会話が、『無届けの集会』と見なされた。「首謀者は誰だ」と問い詰められたと。取り締まる側が、危険分子の集団と見なせば大罪を負わされる。と。
67年の期間だが、私はこの「共謀罪」と繋がる現実に出会ったことがない。戦後のこの時期、多くの人が同じだろう。どうぞこの記事のような「問詰められる者」が出ないように、議論を深めて欲しいものだ。大多数の一般人のために。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます