熊澤良尊の将棋駒三昧

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出所不明な水無瀬駒の文字

2021-10-16 18:47:14 | 文章

10月16日(土)、晴れ。

さわやかな一日でした。仕事は相変わらず「大将棋駒」と「古水無瀬」。
「大将棋駒」は、金将、銀将、桂馬、香車、返車、猛豹、銅将、横行、竪行、盲虎と10種類の盛り上げ仕事。裏の文字はクライアントの希望で中将棋駒に倣ったもので作っています。昨日は裏文字、今日は表の文字でした。

左の方に、比較のためのレギュラーサイズの玉将を入れて撮影しました。
駒は、予備を含めてそれぞれ一枚多く作っています。(左上2枚は根付)
結果は明日。
「古水無瀬」は、最終段階。もうすぐ出来上がり。
ということで、一日が過ぎました。
明日からは秋も深まっての低温予報。風邪などに注意しましょう。

ところで、ある方から「水無瀬」についてお尋ねがありました。
そのSさんへは、メールでお答えしました。
内容的には、以前、このブログでも述べた記憶があるのですが、改めて、かいつまんで掲載しておきます。

ーーお尋ねの件。
本来の「水無瀬駒」は、400年前の水無瀬兼成卿が書いた駒であり、それが私が言う正真正銘の「水無瀬駒」なのですが、現今、世の中に一般的に出回っている「水無瀬書」あるいは「水無瀬」とある駒は、水無瀬神宮に遺されている水無瀬駒とは似ても似つかぬ文字であり、兼成の筆跡はおろか、子息(養子)水無瀬一斎(親具)や、実孫の兼俊の筆跡とは全く異なる出所不明なもので、それを良く調べないまま、フェイクな情報を盲目的に信じてしまう人も多いのは、残念なことです。

以前、この書体文字の出所を調べたことがあります。
水無瀬兼成さんが没してから100年以上たった江戸時代中期には、水無瀬兼成さんの駒に似せた書体で作られた駒(銘=兼成写)が存在するのですが、出所不明のこの書体文字が遡れるのは、せいぜい明治時代後期あるいは大正年間であり、どうやらこの書体文字を創案したのは豊島龍山ではないかと、その顔が浮かびます。

また水無瀬関連では「水無瀬兼成書」あるいは「水無瀬兼成」と銘に書かれた別書体の駒も出回っています。これは、いかにも水無瀬兼成さん書体の駒を連想させるのですが、私から見ると「ちょっと違うんだよね」と言わせるものであり、この書体を見ていると、駒権こと赤松元一さんの顔が浮かびます。

なお、ご指摘の「古水無瀬」は、もともとは400年前の水無瀬駒を意識してはおりますが、あくまで小生の感性で作った創作書体であり、本歌の水無瀬駒とは異なります。
そして、私が作る「水無瀬兼成卿写」(あるいは「兼成卿水無瀬」)は、水無瀬神宮に遺されている本歌の「水無瀬駒」を私なりに現代に蘇らせようとする意図で作る駒であります。
 
いろいろややっこしいことですが、前にも述べたように、駒の世界には結構フェイクが多く、真偽を良く調べないまま、フェイクな情報を盲目的に信じてしまう人も多いのが現実であり、そのあたりは十分注意しなくてはいけないと思います。
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