熊澤良尊の将棋駒三昧

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大橋家での伝承

2022-10-27 18:35:24 | 文章

10月27日(木)、晴れたり曇ったり。
今日も、一日が過ぎて行きました。

前回、木村名人家と書くところを、大山名人家と書いて、(と)さんから誤記の指摘をいただきました。先ほど誤記に気づき修正いたしました。ありがとうございます。感謝いたします。これからも、何かありましたら、ご指摘ください。

さて、前回の続き。「錦旗のルーツとなった駒の話」です。
その駒は、江戸時代の将棋所、大橋家に伝わっていた駒の中の一組で、このような史料(古文書)が遺されています。
その映像です。

読み上げますと、左から、
  「先宗桂ヨリ相伝什物之▢(控)
   一、将棋家宝   箱壱組
    内に 
    小将棋勅筆之駒  壱面
    同水無瀬殿筆駒  三面
    中将棋之駒同筆  三面
    小将棋駒守幸筆  壱面
    同▢(栃か)之駒 二面
    小将棋小駒    壱面
    稽古駒      三面 」

とあります。
この文書は、記述内容から、江戸時代中期の大橋家5代目、あるいは6代目の頃に書かれたものと思われます。
初代宗桂から伝承された家宝の駒として、その冒頭に「勅筆駒」と書かれているのが、大橋家で「後水尾天皇筆」として伝わった問題の駒であります。

この駒が、大橋家のものとなった当初より、そのような呼ばれ方がなされたのか、あるいはその後に、そのように呼ばれるようになったのかは、定かではありませんが、いずれにしても大橋家の歴史の中で「どこかで間違いが始まって、それが伝承されてきた」と、そのように考える次第です。

以上。

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駒の写真集

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