熊澤良尊の将棋駒三昧

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「活筆駒」と「盛上げ駒」

2023-01-21 02:09:07 | 文章

1月21日(土)。

只今、夜中ですが、書きたいことがあって、書き連ねます。

「活筆駒」と「盛上げ駒」についてです。
先ず「活筆駒」は、小生、肉筆の書き駒のことで、「活筆駒」と名付けました。
仕上がりは、見た目「盛上げ駒」とほとんど変わりがないのですが、「活筆駒」と名付けたのは「盛上げ駒とは違う」ということを表したいことと、「一筆書きの肉筆の駒である」という意味が含まれています。

ご承知の通り、手作りした駒には、工程と仕上がりの違いで「書き駒」、「彫り駒」、「彫り埋め駒」、「盛上げ駒」の4種類があります。
そしてこの中では「書き駒」が、一番安物との認識が、一般的でありますが、その理由は、「現今の書き駒の代表は、天童駒」であり、天童駒はとにかく数を作るために、爺ちゃん祖母ちゃんはもとより、小さな子供たちまで動員して駒の字を書いた歴史があり、そのため、安物の駒の代名詞として、世間で認識されていたわけです。
一方、江戸時代以前も駒は、肉筆で書かれた「書き駒」であったわけですが、駒の作者は筆が立つ人でないと良い駒が作れないし、その高級駒の代表的な人が、安土桃山時代から江戸時代初期の能筆家として名高い「水無瀬兼成」という位の高いお公家さんでありました。

ところで、彫り駒とか彫り埋め駒、あるいは盛上げ駒が生まれたのは、職人の(駒師)が派生するようになった江戸時代後期から明治時代の頃で、このころには、水無瀬家のような公家による駒づくりはなくなっていて、専ら職人による駒づくりの時代へと進みました。

しかし、普通の職人の腕では良い字を書くことが難しい。すなわち、良い駒が作れないわけで、その結果、ある職人は、昔のお公家さんが作った駒ような立派な文字の駒を作るべく、昔の立派な文字を印刷した紙を木地に貼り付けて、それをなどって文字を彫り、漆を埋めて平らにした後を塗り絵の如く文字を仕上げて作って生まれたのが「盛上げ駒」であったわけです。

このころには、昔の公家のような立派な駒の文字を「書き駒」として肉筆で書く人は居ませんから、「盛上げ駒」の技法で作った駒が、最上等の駒とされて来たのでした。
しかしながら、見た目同じような駒の文字(書体)でも「書き駒」と「盛上げ駒」とでは、微妙な違いがあるわけです。
それは、文字の自然さと、活き活きしているかどうか、という違いです。

能筆な人の肉筆の「書き駒」ならば活き活きした文字だし、普通の「盛上げ駒」の場合は、まるでカンバンや塗り絵を書くがごとく、筆で何度も塗り重ねて文字を書くことで、イキイキさに欠ける問題があります。

ということで、私が駒を作り始めて間もなく、水無瀬神宮の400年前の「水無瀬駒」を実見した時、この違いに気づき、その「水無瀬兼成さんが作った水無瀬駒」を生涯の目標としたのであります。

ところで、肉筆でイキイキした文字を漆で駒に書くことは、非常に難しいことでありました。

長くなりました。
ここまでで、2時間ほど経ちました。

まだまだ書きたいのですが、一旦眠ることにしまして、この続きはまた次にでも。

 

コメント (1)
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