1月4日(水)、曇りがち。
寒さは相変わらずの一日でした。
朝から、ワープロ作業。年賀状をいただいた方への返書原稿作成。
ハガキ一枚の内容ですが、あれこれ推敲しながらの作業につき、一日がかりになってしまいました。
ということで、今日のような日は1年にあるかないで、殆んど駒には触りませんでした。
ブログは昨日の続き。大和郡山と将棋の関係です。
江戸時代から廃藩置県。柳沢郡山藩は明治時代になって奈良県大和郡山市となり、柳沢家当主は保恵さんとなりました。
その保恵さん。貴族議員でもあり、統計学者でもありました一方、
将棋への肩入れは半端でなく、将棋界の隆盛を支えました。
その一端が前出の写真であり、その姿は、どうやら写真左の人物で、阪田三吉は「御前様のひいきがなかったら、わしはなかった。いまのわしはすべて御前様のお陰や」とも言っていたようです。
ところで、この駒の写真は、大変珍しいと思います。
駒は、俊光作ですが、駒箱に注目ください。菱型の家紋がありますよね。
家紋は柳沢家の「花菱」の一つであり、後にこの駒一式は保恵さんより木村名人に贈られたモノです。
この写真は、昭和60年頃に撮影したもので、加茂の工房に掲げています。
駒の写真集
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