10月27日(日)、曇りがち。
本日、2枚目のアップ画像は、水無瀬兼成の「将棋図」の一部。
これは前にもアップしたことがありますので、ご存じの方は多いと思います。
本日、この画像をアップしたのは理由があって、今日、ある方が工房に来られて、その方が持ってこられた「駒」に関連して、参考のためとしてアップしました。
本日の来訪者は大阪市近郊に在住の方で、昨日、電話で「観てもらいたい駒を持って明日にでも訪ねたい」とのこと。
以前にも何度か古い駒を見せに来られた人で、それならと「明日なら午前中に」と、来ていただきました。
持ってこられた駒は、4組ほどあって、いずれも古い時代を思わせるツゲの駒で、「漆の書き駒」「彫り駒」「彫埋め駒」、そして「墨書の駒」でした。
玉将の尻には「八十二翁」、または「木見好」あるいは「木▢(文字として読めない文字らしきものも)」とあったり、無銘のままであったりと様々で、「國島権次郎を思わせる大阪駒の雰囲気」や、「奥野一香を思わせる駒」もあったりで、いずれも私にとっては初見の駒でありました。
中でもオヤオヤと驚いたのは、ひと回りふた周り小さい「墨書の雛駒」。パッと見ただけで「ただモノではない」と分かり、これには暫し見とれてしまいました。
箱は立派な蒔絵が施された江戸時代後期の蒔絵大名道具なのですが、大きさは普通サイズ。
ですので、中の雛駒とは大きさがイマイチ不似合いなのでした。
箱は、後に組み合わされたように思われたので、そのことは持ち主に申し上げました。
ところで、雛駒の文字を子細に見ると、将に水無瀬兼成の筆跡ではありませんか。まぎれもなく、400年前の水無瀬兼成の筆跡と見ました。「ああ、このような駒が残っていたんだなあ」と、びっくりした瞬間でした。
持ち主に「これらの駒をブログで紹介してもよろしいでしょうか?」と断りを得て、カメラを捜したのですが、生憎見当たりません。別のところに持ち出していたのです。
と言うことで、ブログでは皆さんにお見せ出来ませんが、その駒の文字の参考にと(駒は40枚の小将棋ですが)、冒頭の映像「将棋図」に残された水無瀬兼成さんの筆跡を示しておきます。
持ち主のKさん。いかがですか?
お持ちの雛駒と見比べてください。
雛駒の文字は、将にこの「将棋図」の文字そのものであるのを、改めてご確認ください。
本日の映像、2種。
いずれも「福ら駒」。
「福ら駒」は、彫埋め駒と盛上げ駒との中間的な、文字の漆が少し「福っくら」した発展形の駒で、彫埋め駒にくらべて「ベチャ」とせず、指感覚は盛上げ駒に近い駒です。
今回は2種類をアップします。
1、「巻菱湖の駒」。
2、「源兵衛清安の駒