14年前の2020年8月に書いた1ページですが、
アーカイブとして、ここに移しておきます。
(この時期の回想録はこのほかにもありますので、宜しければご覧ください)
回想記・その5、水無瀬神宮の歴史史料と水無瀬駒
大阪府北部の水無瀬神宮を訪ねたのは、駒づくりを始めて2~3年経った頃でした。
安土桃山時代に作られた「水無瀬駒」が遺されているのを知り、是非見せてほしいと手紙を出したのですが、直ぐには叶わず、どうしたものかと思っていたところ、ラッキーなことに、上司の親戚筋が地元、島本町の町会議長だと知って、そのツテを頼りに訪問を許されました。
客殿に通されて畏まっていると、水無瀬忠政宮司は「ここには学者や大学の先生が歴史調査でよく来られるが、駒については貴方が初めて・・」と言いながら、テーブルに出されたのは紫檀の箱に入ったツゲ駒でした。
400年ほど前に作られたものだが、五角形の駒形はあくまで端正。文字は存在感たっぷりで気品ある漆書き。生半可なモノではなく、相当な人が書いた駒だと直感したのです。
この古い水無瀬駒との出会いが、私の駒づくり人生を確定的にした次第。
水無瀬神宮には、駒のほかに巻物が2巻。一つは表題に「象戯図」とあり、現在の将棋(小将棋)のほか、大将棋や中将棋など6種類の古将棋図が描かれて、最尾には、水無瀬兼成七十九歳の署名があるものでした。
もう一つは、葉書よりやや大ぶりな厚み1センチほどの綴り。表紙には「将棊馬日記」とある。天正十八年の付箋が挟んであり、年次ごとに名前らしきものが並んでいる。
拾い読みしてゆくと、公家や武将と思われる名前が並んでいて、知られた武将の名もあって、さらにめくると、家康の名も繰り返し書かれている。
全部で60数ページ。どうやらこれは400年近く前の水無瀬駒の納入記録であり、思いもしなかったすごい史料が出現したことに心が震えたことを覚えている。
すべてを写真に撮って、解読するにはひと月を要したが、それを余さず季刊誌「将棋賛歌・枻」で「水無瀬特集」として発表できたのは、幸運なめぐりあわせでした。
拾い読みしてゆくと、公家や武将と思われる名前が並んでいて、知られた武将の名もあって、さらにめくると、家康の名も繰り返し書かれている。
全部で60数ページ。どうやらこれは400年近く前の水無瀬駒の納入記録であり、思いもしなかったすごい史料が出現したことに心が震えたことを覚えている。
すべてを写真に撮って、解読するにはひと月を要したが、それを余さず季刊誌「将棋賛歌・枻」で「水無瀬特集」として発表できたのは、幸運なめぐりあわせでした。
以来、水無瀬神宮には、マスコミ関係者や将棋文化に興味ある方々を、ことあるごとにお連れしたりで、それは今でも続けていることの一つです。
駒の写真集
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