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昭和55年に掲載した、灘先生の「武者人形駒」のその映像と、訪問記が有りましたので、ここに再度移してアップしておきます。
本は「枻・将棋讃歌」38号の記事。
この取材後、人形駒は、将棋博物館に寄託され、先生はお亡くなりになりました。
それから10年ほど経過して、将棋博物館にある人形駒を、許しを得てもう一度写真撮影した時、元々は40あった駒が、
2枚たらないことが分かりました。
管理担当者にそれを質すと、「何回か貸し出していて、何故無くなっているかは分からない」とのことです。
いろいろ探してもらったのですが、とうとう見つからず終いで、そのことがズーッと気に掛かっていました。
このままではいけないと思い続けて、10年近くが経ったとき、ナントカしようと思い立ちました。
無くなった人形駒2体。
それに、薄い桐の板でつくられている将棋盤。
これも膠が剥げて分解寸前。
それらをこの際ナントカしようと、暫く小生の工房で預かることにしました。
今から7~8年のことでした。
この続きは、またいずれ。
なお、修理なった現物は、今は関西将棋会館の1階に展示してあります。
駒は40枚揃っています。
将棋盤も、しっかりと元の姿になっています。
機会があれば、篤とご覧いただければと思います。
誰が作ったのかというテーマですが、朝鮮通信使が持参した幕府への献上品だった可能性もあります。衣裳の色分けは、朝鮮将棋の駒の色分けにも通ずるからです。また、駒は大変華奢な作りとのこと、長い道中に耐えられるかという点では、国内で作られたとも考えられます。わかりません。
私が書いたモノでも、すっかり忘れています。
何時の記事でしょうか?
教えてください。