顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

源頼朝創建とされる長勝寺 (潮来市)

2017年10月07日 | 歴史散歩
たまたま源頼朝ゆかりの場所の訪問が続いてしまいました。

源頼朝が文治元年(1185年)、鹿島神宮に隣接するこの地に武運長久を祈願して創建したと伝えられる海雲山長勝寺は、臨済宗妙心寺派の古刹です。
元禄年間(1688–1704年)には伽藍の荒廃を惜しんだ徳川光圀が、堂宇を修復して妙心寺の253世住職をつとめた太嶽祖清禅師を中興開山として迎え、江戸幕府からも朱印十石と寺領地が与えられました。

茅葺きの本堂は、一重入母屋造りで、棟上に源氏の定紋「笹りんどう」が配されており、周囲に板葺「もこし」があります。外部の組物など内外ともに堂々たる唐様の禅宗寺院建築で、建立年代は詳かでありませんが、元禄年間(1688~1704)と考えられています。

本堂の格子の間から拝ませていただいたご本尊は、阿弥陀三尊仏。厨子の中央に阿弥陀如来座像、左右に観音菩薩と勢至菩薩の脇持立像を三尊像と言うそうです。いずれも鎌倉前期の檜寄木造とされています。向かって右側には毘沙門天が睨みをきかせています。

山門は、二重二階門、入母屋造、柿葺型銅板葺で、一重屋根は棧瓦葺、軒は二重の垂木で、雄大な唐様様式の遺構です。建立年代不詳ですが、軒周りその他細部の様式手法により桃山時代の建立と思われます。(茨城県教育委員会HPより)

この鐘楼の銅鐘は、元徳2年(1330)、鎌倉幕府14代北条高時が下総国府城主千葉氏との発起により、源頼朝の菩提の為に寄進したもので、鎌倉円覚寺十六世清拙大鑑禅師の鐘銘が刻まれています。国の重要文化財です。

松尾芭蕉が貞享4年(1687)、門人曽良と宗波を伴い、鹿島神宮へ月見を兼ねて参拝した鹿島紀行の時に詠んだ「たび人と 我名よばれむ はつしぐれ」の句碑があります。

天然記念物の菩提樹の実が、葉の裏の真ん中からぶら下がっています。臨済宗の開祖、栄西が日本に持ち帰ったといわれる菩提樹ですが、実を数珠にする菩提樹とは種類が違うようです。
傍らには、源頼朝公お手植えと伝えられる文治梅、長勝寺創建の文治元年に因んで命名されました。さらに奥の門をくぐると、静かな佇まいの中に方丈・書院・庫裏などがあります。

鹿島紀行の句、同じ場所で同じ情景(ひと雨上がって月が出てきた?)を詠んでいます。

月はやし梢は雨を持ながら  桃青(芭蕉の別号)
雨に寝て竹起かへるつきみかな  曾良
月さびし堂の軒端の雨しづく  宗波