五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

オークションに敗れる

2020年04月23日 | ミニカー
久しぶりのミニカーのオークション、必勝の意気込みで臨みましたが敗れてしまいました。

言わずもがなのル・マン24時間レースへ出場のクルマ(色々とあるので年代は秘す)、これがそろうとあるカテゴリーがすべて揃うので、ぜひとも欲しかったのですが、強力な競合がいて、その方の入札金額を上回ることができませんでした。
潔く敗退です。

実はたまたま最近(正確には一昨日)、ある通販サイトで、こちらも永年探していたモデルが新発売になり、本日予約注文を行って、いささか良い気分になっていたのです。
その勢いでオークションも、と思ったのですが、そんなに甘くはありませんでした。
次回を期します。



で、仕事場の横を見たら、陳列棚に飾れないで積み重なっているミニカー(ほとんどすべてがルマン出場車です。ビューキですね)がわんさかと。
ここだけでざっと百台はあるでしょうか。
いつの間にか溜まってしまいました。

飾ってあげたくても本来の陳列棚にもほとんど空きスペースが無く、こうなれば二台重ねで飾るしかないところまで追い込まれています。
こちらも早く何とかしなければ。
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2014年のレベリオン

2020年03月10日 | ミニカー
およそ1年4か月ぶりのオークションで、ミニカーを落札しました。

2014年のル・マン24時間レースで総合4位に入ったレベリオンレーシングのR-Oneというプロトタイプ・レーシングカーです。
エンジンはトヨタ製(購入するまで知りませんでした)。

2014年という年は、アウディがR18で4連覇(R15から通算すると5連覇)を成し遂げた年。
予選一番手のトヨタTS040ハイブリッドが、レース半分ほどリードしながら電気系のトラブルでリタイアするという悔しい結果となった年でもありました。

4位に入った12号車は、アランプロストの息子のニコラ・プロスト、ドイツ人ドライバーのニック・ハイドヘルド、スイス人ドライバーのマティアス・ベシェの3名のドライバーによって運転されました。
LMP1-Lクラスではクラス優勝していますが、実は参加したのはレベリオンの2台だけでした(笑)。



レベリオンは、2018年にはル・マン初の表彰台となる総合3位と4位を獲得し、2019年にも総合4位に入っています。
ところが今年、2020年を以ってモータースポーツ活動を終了することが発表されています。
何とも残念な話ではありますが、ぜひ今年のル・マンでは有終の美を飾って欲しいものです。

モデルはスパーク製、1/43スケール。
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やっと見つけたミニカー

2018年06月24日 | ミニカー
ほぼ一か月ぶりに、友人と東京での待ち合わせ。
いつものように中野ブロードウェイ内にあるミニカーショップを訪れました。

二軒目のショップ(一軒目は陳列が大幅に縮小されがっかり)で、探していたミニカーのうちの一台を見つけました。
それが、1992年のル・マン24時間に出場したマツダMX-R01の6号車。


マツダ787Bが日本車として初めてル・マンの表彰台の一番高いところに立ったのが前年。
1992年はルール改正でロータリー・エンジンが使えなくなってしまったので、3.5リッターのレシプロエンジンで作ったのが、このMX-R01です。

おなじみチャージカラーの5号車と違い、6号車はほとんど真っ白の車体。
スポンサーは「KAJIMA」。
そう、あの鹿島建設です。


結果から言うと、総合4位になった5号車に比べ、6号車は途中でリタイヤしてしまいます。
雨の中でのスピンが原因でした。残念。

MX-R01(MXR-01とも言うらしいです)は5台製作され、国内外のレースに出場しますが、ル・マンはこの年だけ。
マツダスピードがこの年をもってレース活動から撤退してしまったのが理由でした。

いかにも当時のレースカー然としたスタイリング、いいですねえ。
モデルはスパーク製、1/43スケール。

中古品にしてはけっこう高価な部類。
しかし、状態は十分満足のいくものでしたので文句なし。

友人は、そのあと行った秋葉原のショップで、やはり探していたミニカーを見つけました。
久しぶりに二人とも大収穫のショップ回りでした。

まあ、こまめにショップ回りを行え、ということでしょうかね。



秋葉原で見かけた風景を一枚。
トヨタのハチロク、こちらは実車です(笑)。

インパクトのあるカラーリングではありますがねえ...。
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トヨタ悲願の初優勝!

2018年06月17日 | ミニカー
今年のル・マン24時間レース、ついにトヨタが表彰台の一番上に立ちました。
しかも、ワンツー・フィニッシュ!

トヨタTS050ハイブリッド8号車、ドライバーはセバスチャン・ブエミ/中嶋一貴/フェルナンド・アロンソ組。
中島選手にとっては日本車に乗った日本人として初優勝、他の二人のドライバーも初優勝になります。

最後の二時間、ネットのオンボードカメラの中継をひたすら見ていました。

オンボード画像をスマホで写したのが下記の画像。


300キロ以上ですっとばす前方画像(左が7号車、右側が優勝した8号車)と、ときどきドライバーの表情。
解説は一切なし。
走行音のみ。

われながらよく見ていたな、というところ。

一方、キーボードの上にあるのは、昨年のル・マンに出場したトヨタTS050の三台。
すでに7号車は手にしていましたが、残る8号車と9号車は本日届きました。
まあ、偶然と言えば偶然でしょうか。

予選1位も優勝した8号車なので、ポール・トゥー・ウィンを果たしたことになります。
2台のトヨタ車でほとんど(ことによるとすべて)の周をトップで走ったことになります。

ちなみに3位と4位はレベリオンR13でした。
アウディもポルシェも不在のLMP1クラスの優勝(総合優勝)。
絶対的な本命とはいえ、プレッシャーも相当なものだったと思います。

そういう中で、よく優勝と2位を勝ち取ったと思います。
チームと選手に改めて敬意を表したいと思います。
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917 vs 512

2018年06月11日 | ミニカー
ル・マン24時間レース(以下ル・マン)は今週末開催、一年に一度のビッグ・イベントに、期待はいやも応もなく盛り上がりますが(私だけ?)、本日書店に行きましたら「Racing on」の最新刊は何と「ポルシェ917 vs フェラーリ512」。

昨年のレース、ポルシェ919ハイブリッドの三連覇を果たしてル・マンから撤退(あくまでもLMP1カテゴリ)してしまったポルシェですが、今回の企画は、そのことにも若干関係しているということで...。


今を去る48年前の1970年、第38回大会のル・マンで初めてポルシェが総合優勝を飾った時のクルマが917。
それ以降、昨年まで実に19回の総合優勝を飾ったポルシェの、ひとつの区切りとしての企画モノらしいですね。
しかも当時のライバルだったフェラーリ512(512S、512M)の記事もつけて。

表紙を飾るのは、1970年のル・マンを走ったジョン・ワイヤー・チームのポルシェ917。
涙が出るほどうれしい(大げさな)ガルフカラーの917。
でもジョー・シファートがドライブした20号車ではなく、ペドロ・ロドリゲスが操る21号車です。

917と512Sの双方をドライブした経験を持つペドロに敬意を表してのことでしょうか。
本書の中でもペドロについて取り上げています。
ちなみに、21号車はスタート4時間で、20号車も12時間でそれぞれリタイヤしています。
21号車のモデルはブルム製。


70年のル・マンでポルシェに初優勝をもたらしたのはハンス・ヘルマンとリチャード・アトウッドのドライブするザルツブルグ・チームの917でした。
本書の中にはハンス・ヘルマンのインタビュー記事も掲載されていて、とても興味深いです。
23号車はスパーク製。

ポルシェ917は70年、71年と二連覇を飾ります。
下の写真は、71年にマルティニ・レーシング・チームから参戦したポルシェ917LH(ロングテール)。


予選は2位、しかし決勝レースではメカニカルトラブルでリタイヤしています。
私たちが良く知るマルティニカラーとは違うデザイン。
インパクトのあるカラーリングであることは間違いありませんが...。
モデルはPMA(ミニチャンプス)製。


さて、一方のフェラーリ。

5リッターのスポーツカーとして開発されたのですが、917に比べて目立った成績は残していません。
唯一、70年のセブリング12時間レースで優勝したのみ。
二年間で11勝した917には比べるべくもありません。

しかし映画「栄光のル・マン」などでは、最後まで917とデッドヒートを繰り広げるなど、その存在感は抜群です。


上の写真のミニカーは、71年のレースに出場して総合4位に入った512Mの16号車。
しっかりとしたワークス体制でレースに臨めていれば917の真のライバルになっていたかもしれませんが、残念ながらそうはいきませんでした。
翌72年から、エンジンが3リッターに制限されることが決まっていて、そちらのマシン開発も行わなければならなかったからです。

ちなみに72年、フェラーリ312PBが出場10戦すべてに優勝するという快挙を達成しています。
残念ながらル・マンには不参加。
モデルはブルム製。

3リッター水平対向8気筒の908のエンジンを12気筒に増やして開発した917、一方6リッターV12の612P(Can-Amマシン)を5リッターにサイズダウンして開発した512。
異なるアプローチにより開発された両車ですが、結果は明暗を分けることになりました。
512S、512Mについては、もう少しコレクションを増やしたいと思っています。


この本には思わぬ「余禄」が付いていました。

1977年のル・マンに優勝したポルシェ936/77が取り上げられていたのです。
936については以前このブログで取り上げました。




936は917の次に好きなクルマ。
優勝した4号車に関する様々な情報を得ることができて有益でした。
取り上げられた実車(優勝したマシンとは別のクルマらしい)についての話も面白かったです。
モデルはPMA(ミニチャンプス)製のスペシャルパッケージ。

とにかく917にご興味のある方にはおススメの一冊であることは間違いありません。
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プジョー905

2018年06月01日 | ミニカー
1991年のル・マン24時間レースはマツダの787Bが日本車として初めて優勝しました。

グループCの規格が1991年限りとなる中で、ロータリーエンジンを積んだ787Bはメルセデス、ジャガー、ポルシェといったライバルを退けて最後のチャンスをものにしたのです。

一方この年から新しい規格C1に対応したのがプジョー905で、1.5リッターのターボエンジンを搭載しコンパクトで空力にも優れた車体で、写真の5号車がポールポジションを獲得しました。


もっとも、新規格に対応したマシンが優先されていたためで、本当に一番早かったメルセデスよりは4秒近く遅いタイムでした。

決勝では5号車はわずか22周で、6号車も68周目という序盤でともにリタイヤしてしまいました。
新規格対応の新しいマシンは、まだ耐久性に問題を抱えていたようです。

ただし、905の名誉のために付け加えておけば、翌1992年と1993年の二年連続でル・マンを制しています。
特に1993年は表彰台を独占しているのです。


何はともあれこの5号車、ポールポジションを獲得したクルマなので私の収集対象でしたが、リーズナブルな価格での出品が無く、永らく入手することができなかったのですが、このたびやっと手に入れることができました。

いかにも空気抵抗の少なそうなデザインのボディが素敵です。


モデルはビテス製、スケールは1/43。

余談ですが、

ル・マンで日本車が優勝したのは1991年が唯一の年なのですが、今年は是非この状態をトヨタのTS050ハイブリッドに破ってもらいたいと思います。
今年のル・マン24時間レースは6月16日~17日にフランスのサルテ・サーキットで開催されます。
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「マツダ・モータースポーツ・エンサイクロペディア」

2018年05月01日 | ミニカー
2015年10月に発刊された「マツダ・モータースポーツ・エンサイクロペディア」。
マツダの創立95周年と、マツダのモータースポーツ史に大きく貢献された寺田陽次郎氏のレース生活50周年を記念して作られたムック本(学研マーケティング販売)です。

国内と海外におけるマツダの、50年以上ものモータースポーツへの挑戦の記録がまとめられています。
そして何よりも、ル・マン24時間レースに関する記事が多いのがうれしい。

何せマツダは日本のクルマとして初の、そして唯一の総合優勝を飾ったメーカーなのですから。


その割に私のコレクションの中にマツダのクルマがあまりないのはどうしてでしょうか?
優勝した1991年以外に表彰台に上がっていないのもあるかもしれませんが...。

マツダがル・マンに挑戦したのは1970年。
こんときは外国製のシャシーにロータリーエンジンを積んだものでした。

3年後の1973年、富士グラチャン仕様のマシンにロータリーエンジンを積んだシグマMC73がル・マンに挑んだ初の日本車となります。
翌1974年、シグマMC74が完走扱いにはならなかったものの、サルて・サーキットに再びロータリー・サウンドを響かせました。


このミニカーについては以前にも取り上げたことがあります。

 → ル・マンの本[2015年7月]

モデルはビザール製。


しかしル・マンのマツダといえば、やはり1991年のマツダ787Bによる総合優勝でしょう。
カーナンバー55のチャージ・マツダがジャガーとの死闘を制し、24時間を走り切って優勝したのです。

ル・マンのレースが地上波で放送されていた頃、787Bが優勝したシーンを見た記憶があります。


この本の中に、2台の787Bが並んで走っている写真がありましたので、同じように並べてみました。
ちなみに青と白の18号車も総合6位に入賞しています。

モデルは55号車がhpi Racing製、18号車がイクソ製です。
実は55号車はあと一台あるのですが、スペシャル・パッケージ入りなので今回は割愛。


このチャージ・カラー、手元にある3台を並べてみました。



左の767Bは1989年のル・マンで総合9位にはいったもの、真ん中の787Bは上で紹介した55号車。
そして右側のクルマは、1992年のル・マンで総合4位に入ったMXR-01の5号車です。

1992年はロータリー・エンジンの使用が認められなかったため、3.5リッターV10エンジンを積んでの戦いでした。

767Bはビザール製、MXR-01はスパーク製。
モデルはすべて1/43スケール。

この本、実はとあるスーパーのワゴンセールで4、5冊平積みされていました。
定価2,200円ですが、販売価格1239円、4割引き以上のお値段でした(いずれも税別)。

この連休中に読みたいと思います。
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久々のミニカー

2018年04月14日 | ミニカー
オークションで久しぶりに入手したミニカー。
ここのところ忙しいのにかまけて(というか何というか)およそ一か月半ぶりの入手になります。

1997年のル・マン24時間レースで4位入賞したクラージュC41の13号車。

クラージュというのはフランス人のレーシングドライバーであるYves.Courageが作ったレースカー。
1987年のル・マンで彼のドライブするクーガーC20の13号車が総合3位になり、初めての表彰台に乗ります。

このときのC20はいまだに私の表彰台コレクションに加わっていないのです。
ひょっとすると未発売かもしれませんね、C20。


ともかく、この後彼はレースを引退しました。
そしてクラージュ・コンペティションというシャシー製造の会社を興し、ル・マンに挑戦し続けることになるのですが、なかなか結果が出ません。

10年後の1997年になって、やっとこのクラージュC41で総合4位に入賞したのですね。

その後クラージュはオレカというチームに所属することになるのですが、そのことはまた別の機会に譲りましょう。


このミニカーは、中古ですがとても状態が良く、ほとんどケースからも出していなかったように思えます。
本当は三脚に取り付けたデジイチでじっくりと色々な角度で撮ってあげたいところですが、そんな時間も無く。
本当に申し訳ないと思います。

モデルはスパーク製、1/43スケール。
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2018年 F1開幕

2018年03月24日 | ミニカー
というタイトルとはウラハラに写真はポルシェ919ハイブリッドのミニカー。
昨年のル・マン24時間レースで優勝した2号車です。

今年のF1レース第一戦はオーストラリアグランプリ、今日まさにその予選が戦われている段階です。
昨年の雪辱を期すホンダが、トロロッソのシャシーを得て、果たしてどんな戦いをするのかが見ものです。

これまでのところ、エンジンの信頼性は確かに向上しましたが、実戦でのスピードはどうなんでしょうか?
こればかりは、実践に投入してみないことにはわかりませんが。


さて、ポルシェ919ハイブリッドとトロロッソ・ホンダとを結びつけるのはあるドライバー。
28歳のニュージーランド人、ブレンドン・ハートレーです。

このハートレー、昨年ポルシェ919でル・マンに勝ったのですが、昨年後半のF1レースにも出場、今年は初戦からレギュラー・ドライバーとして参戦することになったのです。


まだ入賞経験のない若いドライバーですが、今年のチャンスをつかんで、トロロッソ・ホンダともども頑張ってもらいたいと思います。



ちなみに、昨年のルマン出場車のミニカー、何台か注文したもののうち割と早めに届いたミニカー。
優勝車なので、真っ先に作ったのでしょうね。

表彰台に届かなかったトヨタTS050はまだ入荷時期すら未定なのです。
まあ、いつものことですから、あわてず騒がず気長に待つことにしたいと思いますが。

モデルはスパーク製、1/43スケール。
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新宿のミニカーショップ

2018年01月28日 | ミニカー
月に一度の家族で上京の日。

中野で友人と待ち合わせ、ミニカーショップを回って歩きました。
中野ブロードウェイ内で中古ショップを二軒と駒込の中古ショップを回った後、新宿の南口から歩いて10分ほどのところにあるショップを訪ねました。

ここは以前、渋谷のパルコ内にあったお店だそうですが、建物が改装のために新宿に移ってきたらしい(聞いたわけではないのでシカとはわかりませんが)。
大きな看板を出しているわけではないので、ちょっと気づきにくい場所にあります。
ビルの3階までエレベーターで上がると、そこはめくるめくミニカーの世界。
先客が何人かおりましたし、我々の後からも続々と見えたので、知ってる人は知っているんでしょうね。

他の中古ショップとは異なり新品ミニカーがたくさん。
さすがの品ぞろえといいましょうか。

私の欲しいミニカーが何台かありましたが、その中から選んだのが1976年のル・マン24時間レースにエントリーしたポルシェ936の18号車。
予選5位、決勝レースは218周走ったところでエンジントラブルのためリタイヤしています。

同じチームの20号車がこの年総合優勝を果たしています。

何でこのミニカーが欲しかったかと言うと、話せば長くなるのですが、ひと言で言うとこの車体。
エンジンやボディ、スポンサーを変えながら、5回のル・マンに出場しているのです。

ポルシェ936については以前このブログでも取り上げましたが、また別の視点から見た936を取り上げてみたいと思います。
いつになるかわかりませんが...。

モデルはスパーク製、1/43スケール。
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今一歩

2017年12月12日 | ミニカー
今年のル・マン24時間レースで総合2位と3位に入ったクルマ。
ジャッキー・チェン・レーシング・チームのオレカ07というクルマです。

今年のル・マンは強豪アウディが昨年で撤退したため、LMP1クラスのポルシェとトヨタの実質的な対決の年となりました。
しかしその両車とも序盤からトラブルに見舞われるなどして順位を落とし、一時はLMP2クラスのクルマがレースをリードするという前代未聞の状況になりました。

最終的にはポルシェが総合優勝(三連覇)を飾ることになったのですが、LMP2クラスのオレカ07が2位と3位の表彰台を勝ち取るという結果になったのです。
言うまでもなくジャッキー・チェンはあの映画スターのジャッキーで、このチームの共同オーナーです。


クルマはご覧のように唐草模様で彩られ、いかにも中国チームのクルマといった感じがします。
まだ箱から出していないので細かな部分がわかりませんが、漢字のロゴもあちこちにあるはずです。

今年からLMP2クラスはエンジンがギブソン(旧名はザイテック)のみ、エレクトロニクス関係もコスワースのみのレースとなりました。
シャシーだけがオレカ、ダラーラ、オンローク/リジェ、そしてライリー/マルチマチックの4コンストラクターになったのです。

これは年々かさむクルマの開発費を安くするための取り組みで、確かに今回このクラスのレースは接戦が多く、見ごたえのあるものとなりました。
反対に、LMP1クラスはハイブリッドのエンジンを開発できる体力のあるメーカーが前述の2社だけ、そしてポルシェも今年限りでLMP1から撤退することになってしまいました。
来年はトヨタのみになってしまうのでしょうか?


今年の上位入賞のミニカーは、すでに何台か注文したのですが、この2台が早々と入荷しました。
他のポルシェ919、トヨタTS050などが入手できましたら、あらためてご紹介することにしたいと思います。

モデルはスパーク製、1/43スケール。
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イオンモールのホビーショップ

2017年11月21日 | ミニカー
イオンモール甲府昭和が今月の23日にリニューアル・オープンを迎え、そのソフトオープン(プレオープン)を見に家内と出かけました。

オープンしたのが忘れもしない東日本大震災の前日(だったと思います)。
計画停電の時にはお世話になりました。

イオンモールと言えば、オープン時に近隣の商店街の反対に遭って、売り場面積を大幅に縮小されたことを覚えています。
「広い無料駐車場も作らず町の活性化にも取り組まず、何と身勝手な!」
と、当時の商店街のことを憤ったこともありました。

今回のリニューアルで、当初の規模になったみたい。
地元との折り合いを付けたのでしょうか。


縮小時に男性向けのショップは大幅に削減されたため、私にとっては正直あまり見るところのなかったイオンモール。
今回はホビーショップができたと聞いて、3階にある「Hobby Zone」を覗いてみました。

モデルガン、プラモデル、各種ゲーム。
それにミニカーもありました。


が、私の集めているものとは少し異なるジャンルのものが多い感じ。
レースカーというよりは一般のロードカーが多い感じでしょうか。


トミカだけはたくさんありました。
やはり人気なのですねぇ。

家内のお目当ては山梨初出店となる「ユザワヤ」。


吉祥寺に住んでいた時には、駅ビルにあるお店によく通っていました。

しばらく通っておらず、友の会の更新も途絶えていましたが、今回新規に入会し直したようです。


売場が広がり、店舗数も増えたイオンモール。
オープンの喧騒が消える来月くらいにまた訪れたいと思います。
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ベントレーのギフトボックス

2017年10月03日 | ミニカー
「趣味は?」と聞かれると、

「ミニカーを集めて写真を撮ったり、そのクルマの歴史を調べること。」

と答えるようにしています。
集めるだけが目的ではないし、飾って眺めるだけではもったいないと思うので。

ですから、1台だけのミニカーを取り上げるよりは、何台か集めて、それらのストーリーやドライバーなどを調べるのが好きです。
そしてこれは、と思うものは、こうしてブログに書いたりもします。

前置きが長くなってしまいましたが、今回取り上げるのは2002年のル・マン24時間レースを走ったベントレーEXPスピード8(以後スピード8)というクルマです。

実はこのスピード8というクルマを取り上げるのはこれで三回目になります。
2001年にデビューし、2003年に初優勝したこのクルマ、結果として一年ごとに取り上げることになりました。
これまでの記事にご興味のある方は、こちらをどうぞ。

 →「三年計画のル・マン優勝」[2012年8月]
 →「ミニカーの里帰り」[2016年8月]

さて、今回入手したスピード8は、ご覧のようにギフトボックスになっています。
ブリティッシュグリーンからのパッケージはいいのですが、入手したミニカーを陳列棚に並べたい私としては、このような異形のケースは困ってしまいます。


しかし、普通のディスプレイケースに入った2002年のスピード8は、どうやら存在しないみたいなのです。
ですからこの2002年のスピード8は、他のギフトボックスに入ったミニカーと同じく、今後我が家では日の目を見ることはないでしょう。
残念ですが。

実はこのギフトボックス、これまで入手したものと同じくオークションで競り落としたのですが、収集した5台のスピード8の中で、何と一番安かったのです。
やはりギフトボックスは人気が無いのでしょうかね。
元は高かったのでしょうに、定価は知りませんが...。
ボックスに刻印された通し番号(今回のものは3,893/5,555台)も、こうなると何だかなあ~、という感じがします。


ミニカー自体は綺麗で格好いいと思います。
2002年のスピード8は、3台のアウディR8に次いで総合4位に入っています。
GTPというカテゴリーではクラス優勝、首位とは13周差でした。


いつの日にか、2002年のスピード8が通常パッケージで発売されることを期待しています。
その時には、3年間のスピード8をずらりと並べて写真を撮りたいな。

実は今回、いつものデジイチではなくコンデジを使って撮りました。
決して手を抜いたわけではないのですが...。

※モデルはミニチャンプス製、1/43スケール。


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TS030、甲府に現る!

2017年09月30日 | ミニカー
2013年のル・マン24時間レースに参戦して総合2位になったトヨタTS030 8号車の実車です。

繰り返しますがミニカーではなく実車です。
エンジン・シャシーまで当時のものかどうかはわかりませんが、ル・マンのステッカーが貼られていますのでボディカウルは本物だと思われます。

本日からアイメッセ山梨で開催されている中古車フェア(確かに!)に客寄せとして展示されているものです。

訳(わけ)あって、お客のいない時に撮影させていただきました。
ですがフライング発表はせず、今夜のブログに載せるということで...。


ル・マン参戦二年目だった2013年は2台のTS030がエントリー、7号車も総合4位と、出走した2台とも入賞を果たしました。
ドライバーは、アンソニー・デビッドソン/ステファン・サラザン/セバスチャン・ブエミの3名。


この手のクルマは案外、後ろ側から見た格好がいいと思います。
テレビなどで見るものより、実写の方が大きく見えます。
もちろん格好良さは映像や画像の比ではありませんね。


せっかくなので、手持ちのミニカーと比べてみました。
スパーク製のミニカーは、実車を忠実に再現しているのがよくわかります。
これもまた、ミニカー収集の楽しみの一つでしょうか。
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917Kア・ラ・カルト

2017年09月16日 | ミニカー
3台並んだ同じ形のレースカー。
私がミニカーを集めるきっかけの一つにもなったポルシェ917です。

1969年から1971年までの三年間に、ル・マン24時間レースにエントリーした917は全部で18台あります。
これらのミニカーは一応すべて集めたのですが、ル・マン以外でも917と見ると手に入れたくなる癖があって、この一年でも3台ほど入手しました。

で、今回はその3台をご紹介します。
偶然にもすべてショートボディの917Kと言われるタイプのものです。


最初は1970年1月のチャンピオンシップ緒戦のデイトナ24時間レースを走ったポルシェ917Kの3号車。
オーストリア・ザルツブルグのチームからエントリーされたクルマで、ドライバーはクルト・アーレンスとヴィック・エルフォード。


予選は4位、決勝では途中で燃料タンクを破損してレース中盤でリタイヤしてしまいました。
ちなみに、このレースではジョン・ワイヤー率いるガルフ・ポルシェ2台がワン・ツー・フィニッシュを飾っています。


このザルツブルグ・カラーとも言える独特のカラーリング、いいですね。
白地に赤はこのデイトナだけに使用されたものなのです。
この年のル・マンで初優勝した917Kの23号車も同じザルツブルグ・チームのクルマですが、オレンジ地に白というリバーシブル・カラーです。
まあ、当然ながら23号車の方が有名ですが...。

蛇足ですが、この917Kの車体番号は「917-011」。
このデイトナと次戦のセブリングの2戦だけ使用されています。
セブリングで事故を起こしていますから、それでスクラップになってしまったのかもしれません。

それはさておき、


二番目は、同じ1970年7月のノンチャンピオンシップ・レースであるマニクール・グランプリに出場した917Kの59号車。
オーナーのデヴィッド・パイパーが一人でドライブしたクルマです。


予選の記録は残っていませんが、決勝レースでは3位に入っています。


こちらの917Kの車体番号は「917-010」。

さて、1969年に日本グランプリでニッサンR382やトヨタ7と戦ったシファート(シフェール)のポルシェ917を覚えているでしょうか?

そうです。
何を隠そう、この「010」こそが日本グランプリを走ったあの「白い巨象」14号車なのです。

ご興味のない方はこの辺り、読み飛ばしてくださいね。


6年前にブログに載せた写真を再掲載しておきます(ちょっと恥ずかしい)。
このときの「010」は屋根付きボディだったんですね。
ショートボディを表す「K」は付かないので、単に「ポルシェ917」と呼ばれていました。


その後この「010」はパイパー自身によって各地の色々なレースに出場します。
優勝も3回くらいしています。
ひょっとすると、一番多くのレースに出場した917かもしれません。


実は、1971年10月に開催された富士GC第5戦のために再び来日しています。
このとき生沢徹選手のドライブによって2位に入っています。

生沢選手の917Kを抑えて、激しい雨中のレースを制したのは、ポルシェ908/2を駆る風戸裕でした。
このとき風戸選手は弱冠22歳。
風戸裕といえば、あの「サーキットの狼」の主人公・風吹裕矢の...

イヤイヤ、話がそれました。
このくらいにしておきましょう。


残念ながら富士GC戦の917Kのミニカーは持っていません。
「テツ・イクザワ」のドライブということもあってけっこう高価だったりしますので...。
いずれは入手したいとは思っていますが。


代わりに(?)手に入れたのが、同じ1971年7月に行われたワトキンズ・グレン6時間に出場した917Kの43号車。
実はこれも同じパイパーの「010」なのですね。
このときのドライバーはトニー・アダモヴィッツとマリオ・カブラル。


予選は11位、決勝ではバッテリー・トラブルに見舞われ、最後まで走り切ったものの周回不足で完走は認められませんでした。

カラーは来日した時と同じダーク・グリーン。
塗り替える暇が無かったのかもしれませんが、まあ、こんな感じのクルマだったんだろうな、と。

ご存知の方も多いかもしれませんが、このデヴィッド・パイパーは1970年、映画「栄光のル・マン」撮影のために917を走らせていて事故を起こし両足を切断してレーサーを引退してしまったのです。
多分、1971年にはもう走ることができなかったものと思われます。


ちなみに、両方の「010」に描かれた黒い人影と「SANDEMAN」の文字は、1790年に創業されたシェリーとポートワインの老舗ブランドの名前。
おそらくパイパーのメインスポンサーなのでしょうね。


雨で明日の東京行きが中止になってしまったせいで時間ができ、つい長々と書いてしまいました。
ポルシェ917については、まだまだ書きたいことがありますが、今回はこのくらいで。

3台の917KはすべてPMA(ミニチャンプス)製、1/43スケール。
日本グランプリの917だけはエブロ製です。
コメント (2)
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