五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

第一回の覇者

2017年09月07日 | ミニカー
今を去ること94年前の1923年。
この年、記念すべきル・マン24時間レースの第一回大会が開催されました。

このレースに出場したのは33台。
ベルギーとイギリスから1台ずつが参加しただけで、残りはすべてフランス車といいますから、フランスの片田舎のレースといった感じだったのでしょうか。

実は当時の動画が残っていてニコ動で見ることができます。
当時のサルテ・サーキットは今にも増して森の中を走り回っているような印象を受けます。


当たり前ですがこの年、出走した全てのクルマに初優勝の権利がありました。
写真は、その大会で見事総合優勝を飾ったアンドレ・ラガシェとルネ・レオナール組のシェナール&ウォルカーというクルマ(9号車)です。

当時のルールでは、ガソリンの給油、水やオイルの補給、点検や修理など、自動車に触れるのは2人のドライバーに限定されていたということですから、二人にとっては大変過酷な24時間だったに違いありません。
約2200キロメートルを24時間かけて、平均速度92Km/hで走ったという記録が残っています。


クルマを見ますと、思いっきりノスタルジックな形をしています。
実物は今でもどこかの博物館に飾られているはずです。

ちなみに、2位に入ったのもシェナール&ウォルカーというクルマ(こちらは10号車)で、第一回大会からワン・ツー・フィニッシュだったんですね。


このミニカー、「1952年以降」という私の収集範囲から逸脱しているのですが、たまたまネット・オークションで見かけて購入したものです。
フランス車らしい、ブルーの車体が素敵だったので。

モデルはイクソ製、1/43スケール。
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残るは一台 -1983年の956L-

2017年08月25日 | ミニカー
1983年のル・マン24時間レースで途中リタイヤしたポルシェ956Lの2号車です。

えっ、リタイヤ?

と思うかもしれませんが、リタイヤです(キッパリ)。
ドライバーはヨッヘン・マスとステファン・ベロフ。

実はこのミニカー、若くして世を去った天才ドライバー(と言われる)ステファン・ベロフというドイツ人ドライバーを記念して作られた「ベロフ。コレクション」の中の一台です。

ステファン・ベロフは「生きていればミハエル・シューマッハーよりも早く世界チャンピオンになった男」という異名があるほどの優れたドライバーでしたが、1985年のスパで事故を起こし27歳で他界してしまったのです。

※正直私はこれ以上の知識はありません。

スパーク製のこの「ベロフ・コレクション」、高価なためにこれまで手に入れることができなかった(そのつもりもなかった)のですが、今回ひょんなことから我が家の陳列棚に並ぶことになりました。
けっこうレアな部類に属する一台ですが、無事に競り落とすことができました。


1983年のレースでは、結果的に上位10台の内9台までがポルシェ956Lという一方的なレースになりました。
2号車は予選3位、決勝では21時間目にエンジントラブルでリタイヤしてしまいました。
ちなみに同じロスマンズのポルシェ956Lの3号車が優勝しています。

この2号車のミニカー、配送業者が届け先の家を間違えて、別のお宅に届けてしまい、その家が不在だったもので不在票を置いてきてしまうという目に遭いました。
幸いその家の方が我が家を知っていて、不在票を届けてくれたので事なきを得、一日遅れで無事に手にすることができました。

もしその方が、差出人(個人名)に心当たりがないと、不在票を握りつぶしていたら、我が家に届かなかったかもしれないですね。
怖い怖い。

しっかり頼みますよ、□□パックさん!


何はともあれ、1983年のロスマンズ・ポルシェ956Lはあと一台、1号車を残すだけとなりました。

ジャッキー・イクスとデレク・ベルの名コンビによるドライブで、予選1位、決勝でも総合2位に入ったのに、なぜかこれまでモデル化されていなかった(と思います)1号車。


永年、1号車の発売が確認できてなくて、集めるのは無理かと思っておりましたが、数日前某ミニカーショップのDMで、新たに発売されたのを知りました。

むろん即発注しましたが、無事に届くか今から心配は尽きません。
色々なことが予想されますからね。

数年前にもhpi-Racingというメーカーが発売を発表したのですがその後中止になってしまったといういわくつきのモデル。
今回は大丈夫でしょうか?

この手に乗せて見るまで安心はできません。

モデルはいずれもスパーク製、1/43スケール。
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タミヤのミニカー

2017年07月07日 | ミニカー
プラモデルで有名なタミヤ模型の作ったミニカーです。
素材はプラスチックではなくダイキャスト製。
不勉強なもので、今回までその存在を知りませんでした。

入手したのは、1996年のル・マン24時間レースに出走した「ニッサンスカイラインGT-R LM」の23号車。
LMはル・マン用の特別バージョンを示します。

スカイラインGT-Rのル・マン挑戦は1995年に続く二年目でした。
ドライバーは、星野一義、長谷見正弘、鈴木利男の3名です。


台座にある「NISMO」はチーム名であると同時に「NISMO GT-R」はル・マン用に設定された車種名でもあるようです。
「公認を得た“ロードカー”を最低1台製作すること。ただし販売の義務はない」という規定に沿った形で製作された特別なクルマですね。

この年は、前年優勝のマクラーレンF1 GTRと新参入のポルシェGT1のGTカーが強く、スカイラインGT-Rは苦しい戦いを強いられました。
予選は29位、決勝レースでは途中でギアボックスの交換などを行いながら、トップから47周遅れの総合15位という結果でした。

ちなみに、優勝候補のポルシェGT1は途中で2台ともリタイヤしてしまい、1996年の勝者はヨーストチームの「TWR ポルシェ WSC-95」でした。
総合2位と3位にはマクラーレンF1 GTRが入っています。
ニッサンは翌年、新開発のR390でル・マンに挑戦することになります。



スポンサーは音響メーカーのクラリオン。
リアにタミヤのロゴも見えます。
モデルのボディカラーは白とピンクですが、資料には「white/red」としてあり、写真などを見てもピンクというよりは赤に近い色のようです。

繰り返しになりますがモデルはタミヤ製、1/43スケール。
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インディ500優勝

2017年05月29日 | ミニカー
佐藤琢磨、インディ500優勝…日本人初の快挙 -gooニュースより-
佐藤琢磨選手が、今年のインディアナポリス500マイルレース(通称インディ500)で日本人選手として初の優勝を飾りました。

パチパチパチ!

快挙といっていいでしょうね。
何せ日本人初。
日本人の過去最高は5位(二度)なのですから、今回は初の表彰台、しかも真ん中なのです。

ちなみに佐藤琢磨選手、過去のインディ500の成績はあまりぱっとしません。
2013年と2015年の13位が最高です。
実は2012年、最終ラップまでトップ争いを繰り広げましたが、最後でスピンしてしまい優勝を逃しているのです(結果は17位)。
このときの方が優勝の可能性が高かったように思います。
トップを30周以上も走ったのですから。
今回の勝利は、その時のリベンジともいえますね。

インディ500のミニカーは持っていません。
探してみたけど1台も...。
ル・マン中心に集めていたので仕方がないですけどね。

過去にSTPロータスのタービン・カーを買おうと思ったことがあります。
インディで唯一知っているクルマ(古い話です)。


俗に「世界三大レース」というのがあります。
 ・モナコGP = F1世界選手権
 ・インディ500 = インディカー・シリーズ
 ・ル・マン24時間レース = FIA 世界耐久選手権
なのですが、この三つのレースに出場したことのある日本人はただ一人、中野信治選手だけ。

こうなったら、佐藤琢磨選手にル・マンにも挑戦してもらいたいなあ。

もし、佐藤琢磨選手がル・マンに参戦して優勝することになれば、A.J.フォイト、グラハム・ヒルに次ぐ、史上三人目の快挙なんですけどねぇ。
永い両レースの中でたった二人!
まあ、そのくらい難しい、ということで。

ちなみに、上記の三大レースすべてに優勝しているのは、前出のグラハム・ヒル選手ただ一人なのです。

何はともあれ、おめでとうございます、佐藤琢磨選手。


予約していたものがやっとそろった2016年のル・マンの表彰台トリオ(と、強引に関連付ける)。
手前が優勝したポルシェ919、左上が2位のトヨタTS050、右上が3位のアウディR18。
まだ、箱から出す暇もなく...。

モデルはスパーク製、1/43スケール。

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童夢の夢

2017年05月01日 | ミニカー
5月になりました。
お仕事はカレンダー通り、ということで今日と明日は出勤でした。

とはいえ、相手のお客様がお休みだったりするので、今日はデスクワーク。
先日のブログに書いたように、今日から「軽装期間」なので、ネクタイは外してのお仕事でした。

それはさておき、

「童夢」というのはなかなかドラマチックな成り立ちです。
レーシングカーを作るために「童夢-零」というおもちゃのクルマを作り資金を集めていた会社(プロジェクト)が、そのおもちゃどおりの「Dome Zero RL」というクルマでル・マン24時間レースに挑戦してしまうという...。

それが1979年のこと。
その後ル・マン挑戦は1986年まで続けられた後一時頓挫していましたが、2001年に再び開始。
その時のクルマが冒頭の写真「Dome S101」。

同じようなクルマが3台ありますが、2001年、2002年、そして2003年のル・マンを走ったS101です。
「Racing for Holland」というオランダのチームからエントリーされました。

この中で一番成績の良かったのは写真左、2003年のS101で総合6位(予選は4位)。
もっとも、リタイヤに終わった2001年も予選は4位、2002年は5位ですから、早いことは速かったのでしょうね。


一度見ると忘れられカラーリング。
何の色だろうと思ってよく見ると、小さなステッカーをペタペタと張り詰めたような恰好。
拡大してみるとこんな様子です。


このせいかどかはわかりませんが、ミニカーの世界ではあまり人気が無いのでしょうか。
オークションではけっこうリーズナブル(便利な言葉)な値段で出品されています。

ドームのクルマはル・マンにはけっこう出ていて、全部集めようとすると30台くらいになってしまいます。
中には高価なモデルもあります。
これはこれで、ひとつの「沼」であることには変わりありませんね。
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お宝のトヨタ92C-V

2017年04月19日 | ミニカー
1992年のル・マン24時間レースに出場し、総合9位になったトヨタ92C-Vのミニカーです。

この年のル・マンはレギュレーションが大幅に変更されました。
前年のル・マンを休んだトヨタは、新開発の自然吸気3.5リットルV10エンジンを積んだTS010を3台、そして従来車の改良型である3.6リットルV8ターボエンジンを積んだ92C-Vを2台、ル・マンに持ち込みました。

92C-Vの34号車は予選11位、決勝では同じチームの35号車(総合5位)に次いでクラス2位となりました。
首位から遅れること31周。
さしもの猛威を振るったグループCカーも、様々な制限を付けられたレースでは、その力を十分に発揮することはできませんでした。
ちなみに優勝はプジョー905、トヨタTS010の33号車が総合2位に入っています。
4年前に撮った写真ですが載せておきます。


この年は、ポルシェのターボエンジン車だけのカテゴリーがあったり、前年度優勝したマツダがロータリーエンジンを封じられ、新開発のエンジンをジャガーのシャシーに積んだクルマ(MXR-01)で健闘したりと、何かと話題の多い年でもありました。


冒頭の写真のミニカーは、あるリサイクルショップで見つけました。
こまめにチェックしているショップなのですが、今回の92C-Vもおそらく買い取られて棚に並べられたばかりだったと思われます。

モデルの状態がとても良く、新品定価の三分の一程度の売価と相まって、まさに「お宝」でした。
これだから、リサイクルショップは侮れません。

メインスポンサーのKITSを始め、国内の会社名のステッカーがたくさん貼られているデザインは、バブルに沸いた当時の世情を表しているようでもあり、見ていて飽きません。
スパーク製(TS010はイクソ製)、1/43スケール。
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ガルフカラーは?

2017年03月03日 | ミニカー
ポルシェ917好きの影響か、ガルフカラーのミニカーはけっこう集めました。
フォードGT40、ミラージュ、アストンマーティン、アウディ。

中でもマクラーレンは、ちょっと変わったガルフカラーなので「ル・マンのプロトタイプカー集め」というポリシーにもかかわらず、けっこう台数を集めています。

マクラーレンF1 GTRですね。

以前にも取り上げたことがありますからご覧になった方もいると思います。



さて、先日写真のミニカーをオークションで落札しました。

1998年のル・マンを走ったマクラーレンF1 GTRの40号車。
チーム名は「ガルフチーム・ダヴィドフ」。
41号車との2台体制でレースに臨みました。
結果は40号車が総合4位、41号車は残念ながらリタイヤでした。


ガルフチームということで条件反射的に手に入れた40号車ですが、どこにもガルフカラーがありません。
メインスポンサーは「EMI」。

「???」

いったい、どういうことなのでしょうか?


やはりいくら探しても、ガルフのロゴは見つかりません。

早まりました。
欲しかったのはガルフカラーのクルマであって、ガルフチームのではないのです。
ガルフオイルがガルフチームのスポンサーになっていないのは謎のままです。
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ミニカー売り場

2017年01月25日 | ミニカー
年々ミニカーショップが減っていきます。
と同時に残されたショップの中でも、専門店は別にしてミニカー売り場の面積が次第に縮小されつつあります。

月に一度くらい、友人と待ち合わせをしてショッピング(ウィンドウの場合もありますが)を楽しんでいる中野のお店(どちらも中古品店)も同様なのです。

そのうちの一軒は、ミニカーの大半が姉妹店である秋葉原のお店に移されてしまい、あとを美少女フィギュアに占められてしまいました。
残ったのは不当(と思えるほど)に高値のものばかりで、とても買えないものばかり。

逆に秋葉原のお店の方は品ぞろえが充実していましたが、ちょっと遠くなってしまったので毎回顔を出す、というわけにはいきません。

もう一軒の方も1/43スケールのものが隅っこに押しやられて、別のシリーズの商品が幅を利かせるようになってしまいました。
勢い、今までよりも積み重ねて置いてあるので何が置いてあるのやら良くわからない状態で陳列してあります。

「売る気はないのか!」

と思わず心の中で思ってしまうほど。

もちろん、店員さんに「見せてください」と頼めばガラス戸を開けて見せてくれるのでしょうが、そうなると何となく買わないといけないと思ってしまう小心者(?)なので、言い出せずにいるのです。

加えて、何だかパトカーが大量に陳列されています。
世の中にはパトカー好きが多いのでしょうか?
それともパトカーに恨みでも持つものがいて、夜な夜な針かなんかでチクチク突いて溜飲を下げているのかもしれません(まさか、ね)。

一方、以前はけっこうな陳列数があった○○○○カメラのような量販店のミニカーコーナーはほぼ壊滅状態といっていいくらいです。
申し訳程度に数台の乗用車が置いてある、という感じ。

やはりミニカーは通販とネットオークションに頼らざるを得なくなってきているのでしょうかね。
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二年越しの夢

2017年01月17日 | ミニカー
1965年のル・マン24時間レースを走ったマセラティTipo(ティーポ)65というレースカーです。

初めてこのクルマを知って「ぜひこのミニカーを集めたい」と思ってから二年九か月。
本日やっと手にすることができました。

あまりのうれしさに、デジイチを持ち出す間もなく、ケース越しにスマホで撮影した画像を載せます。
画質などこの際度外視。
というくらいに、今はTipo65を手にした喜びに浸っているのです。

ちなみに、その二年九か月前のブログはこちらになります。

 → シファートとル・マン[2013年4月]

このクルマをドライブしたのはスイス人ドライバーのジョー・シファート(シフェール)。
このブログには何度も登場している、私の一番好きだったドライバーです。

そのシファートがル・マンを始めて走ったという特別のクルマ。
決勝レースはわずか3周でリタイヤしたという結果から見て、そんなミニカーがこの世にあるはずはないと思っていたのですが、ありましたね。


メーカーはレオモデルという聞きなれないメーカー。
調べてみるとイタリアのメーカーらしい。

新品なのに外箱が付属しないところを見ると、ブリスターパック入りのミニカーなのかもしれません。
であれば落札価格(競合者が一人いました)も常識的な価格よりは少し高いのかもしれませんが、このミニカーを入手できる千載一遇のチャンスでしたから、思い切り高い値を付けて応札しました。
結局その後、落札価格を競り合うということも無く、首尾よく手に入れることができました。

実は昨年の6月に一度、Tipo65を落札しています。
が、そのときは外箱が破損しているという理由で出品者にキャンセルされてしまったのです。
外箱を外して棚に並べている私にとっては、どうでもいいことだったんですがね。
ちなみにそのときはイクソ製ということでしたが、当時の写真を思い返すと今回のモデルと同じだったような気もします。


以前ブログを書いたときは、「まだ集めてないものがある」と書いたシファートの搭乗マシンですが、今回のTipo65が入手できたことにより、ル・マンでドライブした7台のクルマはすべて集めることができました。

私にとっては二年越しの夢が叶ったことになります。
奇しくも今日は家内の誕生日。
ケーキを買って帰りささやかなお祝いをしたのですが、私にとっても忘れられないプレゼントを得た日になりました。
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お年玉

2017年01月06日 | ミニカー
年末にミニカーの通販ショップからメールが来ました。
注文していた2016年のル・マン参戦マシンのうちの1台です。

トヨタTS050ハイブリッド5号車。

中嶋一貴らがハンドルを握って24時間を走り、ゴールまで残り2周というところでまさかのスローダウン。
最終周を6分以内で走れなかったという規定により失格となってしまったクルマです。
優勝したポルシェ919ハイブリッドの2号車以外では一番多い周回数を記録したのにこの結果。
まさに2016年のル・マンで一番記憶に残ったマシンだったかもしれません。


注文したのが昨年の9月9日。
3か月以上経った年末の27日に入荷の知らせがありました。

すぐに手続きをとったのですが到着は年を越してしまい、少し遅れたお年玉みたいな格好になりました。
まだ封を開けてありません。
陳列棚の整理が延び延びになっているからです。

残る表彰台トリオの3台(ポルシェ、トヨタ、アウディ)は、まだ入荷の知らせがありません。
これらのクルマは当然の如く人気が高く入荷も遅れがち。
昨年の実績は5月21日でした。
送料の都合もあるので、できれば3台一緒に入荷してくれるといいですが...。

ちなみにモデルはスパーク製、1/43スケール。
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出番を待つミニカーたち

2016年12月23日 | ミニカー
クリスマスイブの前日、たまった仕事(主に色々な片付けのたぐいですが)をやってしまおうと、早起きしたのですが。

結局久しぶりに顔を揃えた家族とともに、たまった録画を見ていたりして午前中は貴重な時間を費やしてしまいました。
家内に言わせれば、録画しただけで視ない番組は、ハードディスク・レコーダー内のゴミみたいなものだそうで、言われてみればそうかもしれません。

午後からは、作業机の前で片付けのまねごとをやっていました。
机の周りを片付けながら、ふと横を見ると買っただけで陳列棚にも並べていないミニカーたちが、何か訴えているように並んでいます。

決して並べてあげないわけではなく、陳列台が満杯なので並べてあげることができないのが実情。
陳列棚の物理的なキャパシティはすでに限界なので、あとは二台重ねという手段を取るしかありません。
もう少し彼らには待ってもらうしかないのです。

また、中にはあと何台かそろったらブログを書こうと準備しているミニカーもあります。
中央最上段の黄色いミニカーは、1989年のル・マン24時間レースに出たトヨタ89C-V。

いや、正確にはエントリーされて予選を走っただけで、決勝には走ることができなかった「37T」号車。
予選ではトップだったそうですから、特別なチューニングが施されていたのでしょうかね。

ちなみにこの年のトヨタ車は3台出走しましたが、3台とも早々にリタイヤしてしまいました。
活躍はしなかったものの、36号車、38号車は集めたいと思っています。

「37T」号車の下の2台は、2009年のアウディR15の2号車と3号車。
どちらも最近新品で購入したので、けっこう「良い値段」でしたが、すでに所有している1号車と合わせ、とにもかくにもR15のコンプリート。
まあ、R15は2009年と2010年だけなので台数が少ないのです(ル・マンは全部で6台のみ)。

アウディR15はいつかはブログに取り上げたいとは思っているのですが...。
1号車も含め、3台ともほぼ同じカラーリングだし、アウディはこの年プジョーに敗れて6連覇を逃しています。
さらにこの2台、決勝は6位と7位という結果。
アウディの中では若干地味目な感じのクルマですね。


作業台横の数を数えてみたら、1/43スケールのミニカーが22台もありました。
うち、陳列台へ並べられるのを待つもの(つまりル・マン出走車)は12台。
これらは早く何とかしてあげなければ。
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デカールの浮き

2016年11月05日 | ミニカー
オークションや中古ショップなどでミニカーを入手すると、傷が付いていたり、必要なパーツが付いて無かったりといったことがままあります。
また、塗装色が変色・退色していたり、マーク(デカールと言います)がはがれているといったことも無いわけではありません。

もちろん、入手前に十分注意して入札・購入を決めるわけですが、ときどきそうしたものを入手してしまうこともあります。
めったにないことですが、新品を入手した場合でも、そうしたことはあるみたい。

これまで、入手したミニカーには極力手を入れないで飾ってきました。
自分自身に修復するスキルがないので、仕方ないといえば仕方ない。

今回、オークションで入手したミニカー(1999年のBMW V12 LMR、17号車)のリアスポイラーに貼られたデカールが完全に浮いてしまっているのを見つけました。

あ、レースはもちろんル・マン24時間レースです、念のため。
ちなみにモデルはミニチャンプス製、1/43スケール。


入札する前から写真を見てそんな感じはしていたのですが、まさかここまでとは。
放っておくとデカールが乾燥して割れてしまうかもしれません。

で、ミニカーの師匠でもある友人に相談して、プラモデル・ショップで「マークセッター」なるものを購入してきました。
これは、デカールを貼る際にデカール自体をやわらかくするもので、合わせて粘着力を増す効能もあるものだとか。

デカールを軟らかくすることに特化した「マークソフター」という製品もあるそうですが、今回は「マークセッター」を選びました。


とはいえ、いざ実際に使ってみようと思うと、一人では自信無し。
新しくデカールを貼る場合と違い、すでに貼られて、なおかつ浮いてしまっているものの修復なので、果たして出来るものなのか不安です。
やり直しが利きそうにありませんしね。

横浜に住む友人が今度山梨に帰るまでに少し時間があるので、この機会に「マークソフター」も用意して、目の前でお手本を見せていただこうかな、とか考えています。
果たしてどういうことになるか...。
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NSX、8位!

2016年11月01日 | ミニカー
1995年のル・マン24時間レースというと、関谷正徳さんが日本人で初の表彰台に立った年ということで覚えられています。

実はこの年、GT2というカテゴリーで優勝したのがホンダNSXでした。
カテゴリーこそ違え、こちらは日本のクルマ、日本人ドライバー3名、それにチーム・スタッフ、メカニックに至るまでオールジャパン体制での優勝でした。

ということで、今回はその時のNSX84号車を取り上げます。


NSXは言わずと知れたホンダのスーパーカー、ル・マン参戦は前年の1994年でした。
このときはクレマー・チームのマネジメントを受け、3台体制でエントリーし、総合14位、16位、18位の成績でした。
リタイヤしなかったものの完走18台ですから、どん尻の方でゴールしたような結果でした。

ちなみにその18位のクルマ(47号車)のドライバーは高橋国光さん、土屋圭市さん、飯田章さんの3名で、土屋さんと飯田さんはル・マン初参戦だったのです。


さて、GTカー元年とも呼べる1995年、ルマンにはマクラーレン、ニッサン(スカイライン)、トヨタ(スープラ)、ジャガー(XJ220)、ポルシェ(911)などに交じって、ホンダもNSXで二度目の参戦を果たします。

2台のワークスカー(46号車、47号車)とは別に「TEAM KUNIMITSU」からエントリーした84号車。
このとき、高橋さん55歳、土屋さん39歳、飯田さん25歳でした。


ちなみに1995年は阪神淡路大震災があった年、地下鉄サリン事件が起きた年、そして(当然ながら)Windows95が発売になった年ですね。

84号車は予選36位、そして決勝レースではオイル漏れのためにピットからのスタートを余儀なくされ、また夜間走行中片方のライトが消えてしまうというアクシデントに遭遇しながら走行し、見事総合8位・クラス優勝を遂げました。
84号車の車体には日の丸とともに「Team Kunimitsu」と大きく描かれています。


「TEAM KUNIMITSU」は1996年にもNSXで参戦しますが、このときは総合16位・クラス3位の結果に終わりました。


プロトタイプカーを主に集めている私にとって、NSXのような市販カーをベースにした(といっても実質的にはシャシーからオリジナルなのですが)レースカーは、収集の対象外。
集めることは考えてはいなかったのですが、1台くらいホンダ車があってもいいかなという考えとともに、ハンドルを握った土屋さんと飯田さんが、「例のクルマ」のドライバーだった、ということもあって入手することにしました。

 → 走るカップヌードル[2015年10月]

一方、高橋国光さんは言わずと知れた二輪のチャンピオンから四輪に転向してハコスカGTRなどで活躍した方ですから。
ル・マンも1995年の時点で何回か出場なさってたはずですね。

 → 無冠の帝王[2011年10月]


さて、オークションで手に入れたNSX。

外箱は若干くたびれておりましたが、本体はわりと美しいままで、中古品とはいえ保存状態はきれいでした。
市販車ベースのクルマらしく、内部のロールバーなども取り付けられていて、手に取って眺めるには楽しいモデルです。


モデルはエブロ製、1/43スケール。
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あと一台

2016年10月27日 | ミニカー
1960年から1965年までの6年間、イタリアのスポーツカーメーカーのフェラーリがル・マン24時間レースで6連覇を果たしました。
この記録は、ポルシェが1981年からの7連覇を果たすまではル・マンの最長記録だったのです。

で、この優勝した6台のミニカーを集めようと思っているのですが、唯一集められないでいるのが1964年のフェラーリ275Pの20号車。
ミニカーとして存在することはわかっていますが、オークション市場に登場しません。

イタリアのメーカー、ジョリーモデル製、型名はJL0227。

何年も探し続けていますが出ませんねえ。


フェラーリ275Pは1964年のスポーツカー耐久選手権でフォードに勝つために制作されたクルマ。
排気量3.3リッターのエンジンを積んでいました。
前年の覇者、250Pから大幅な改良が施されていたということです。


これが1963年のル・マンを走った250P。
ちなみに22号車は総合3位、優勝したのは21号車です。


一方、翌1965年のル・マンでは275LMというクルマが総合優勝を飾っています。
「LM」はル・マンの略。
ル・マン用に特別に作られたクルマです。
具体的には公道を走るタイプのボディにレース用のエンジンを積んだものと思えばいいでしょうか。
ほとんどがプライベートのレースユーザー向けに販売されました。

1965年のル・マンでは、フェラーリのワークスチームからエントリーされた330Pはすべてリタイヤしてしまい、NARTという米国のチームからエントリーされた275LMの21号車が総合優勝して、フェラーリに6連覇をもたらしたのです。


ご覧のように275の名前は付いていますが、フツーのGTカーみたいな形です。

付け加えておくと、フェラーリの250とか275とかの数字はエンジン1気筒あたりの排気量を表しています。
250cc×12気筒で3,000cc、275cc×12気筒で3,300ccという具合です。


いずれにしても、1964年のフェラーリ275Pの20号車。
この一台が手に入れば、フェラーリの6連覇が完成するだけでなく、1952年から2015年までの64年間すべての優勝車がそろうんですけどねえ。

どこかにないかなあ。

※モデルはイクソ製、1/43スケール。
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ダウアーポルシェ

2016年10月06日 | ミニカー
1994年のル・マン24時間レースで総合3位に入ったダウアーポルシェ962LM。
私の好きなモデルの一つです。

このクルマ、この年から変わったレギュレーションに基づいてGT1というカテゴリーに属します。
見た目はグループCカーですが、公道を走るクルマを1台作っていたという理由で優位なクラスにエントリーできたのでした。

結果から言うと、同じ962LMの36号車が総合1位、35号車は途中タイヤがバーストするなどのトラブルもあり、首位から1周遅れの3位になったのです。
ちなみに2位はサード・トヨタ94C-Vで、トヨタはこの年もわずかのところで優勝を逃しています。

さて、この962LM35号車、実は4年前に同じモデルを今回と同じオークションで入手しています。
私としてはめったにないことですが、まあ「たまたま目に入ってしまって」としか理由がありません。
中古品ながら定価の三分の一以下という値段は「掘り出し物」の部類に属します。

外観はこんな形。


そしてスリーブ(外箱)を外したところはこんな格好をしています。
写っている写真も貴重な資料ではありますが、ミニカーの撮影をする場合には...。


本当かどうか、999台の限定生産と書いてあります。
見た目は豪華ですが、背景付きの大きなケースなので他のモデルと一緒に飾り棚に並べるには少し不向きでしょうかね。

せっかくなので、手元の二つのモデルを比べてみました。
上が今回のミニチャンプス製、下がアルタヤ(イクソかな)製です。
微妙な違いがわかるでしょうか。



糸くずが大きく写り込んでしまっているところはご愛敬。
注意不足でした。

リア側から比べてみたところ。
アンテナの有無はともかく、リア・スポイラーやストップランプの形状などもかなり違いますね。



車体上部を眺めたところ。
上部やサイドの空気取り入れ口などの作りがしっかりとできています。


正面上部から俯瞰したところ。
シェルをあしらったデザインが素敵です。


ふたたびリア・ビュー。
どちらも、こういう角度から見られることを意図したデザインなのでしょうね。




少し考えて、陳列棚にはこれまでどおりアルタヤ製のモデルを飾ることにしました。
こちらのミニチャンプス製のモデルは、しばらく私の作業机の近くに置いて眺めることにします。

こうした「特別待遇」のモデルが次第に増えてきて、机の周りが賑やかというか煩雑になったというべきか。
スケールは1/43。

コメント
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