五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

ミニカー集め

2016年09月22日 | ミニカー
初対面の人と会って自己紹介した時にお互いの趣味の話になりました。

私が特定のレース(日本グランプリとル・マン)に関するミニカーを集めている、という話をすると、その方は「自分の名字と同じメーカーのミニカーを集めている」との返事。
面白い集め方をするものだと思いましたが、いろいろ話をしてゆくと、ずいぶんと自分の名字に誇りを持っているご様子。

なるほど、それならば納得です。
詳しくは聞けませんでしたが、スケール、車種などには関係なく、ご自分の姓と同じ名前のミニカーを買い漁っているとのことでした。

考えてみれば大半のクルマメーカーは創業者の名字を付けておりますね。
違うのはニッサン、スバル、ダイハツ、いすゞくらいでしょうか。

世界的に見ても、GMとかBMWなどを除けば、かなりのメーカーが創業者の名字だったりします。
例外はメルセデスかな?

なかなかミニカーの同好の士というのは見つからないので、今度また機会があったらお話をしようと思っています。


国産車ではありませんが、このマクラーレンも人の名前(名字)ですね。
二年くらい前に撮った写真ですが。
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ニッサンR390の戦い[その2]

2016年09月02日 | ミニカー
前回]に引き続き、ニッサンR390の戦いについて。


1998年、ニッサンは再びTWR(トム・ウォーキンショー・レーシング)とタッグを組み、新しいR390を作りル・マンに戻ってきました。
前年度の問題点であったギアボックスの冷却に関する改良を行い、ボディをロングテール化して空力の改善も行いました。
また、F1のチームからTCS(トラクション・コントロール・システム)やABS(アンチロック・ブレーキ・システム)などを導入し、走行性能も高めたのです。
これにより、4台出場したR390は決勝では総合3位を筆頭に、すべてが10位以内に入るという良い成績を収めました。
ちなみに、総合優勝と2位は、ポルシェ911GT1でした。


それでは出場した4台のクルマを見て行きます。
30号車は予選10位、決勝は総合5位でした。


ドライバーはJohn Nielsen/Franck Lagorce/Michael Krumm。
スポンサーはクラリオンです。

31号車は予選13位、決勝は総合6位、30号車と同じく首位から9周遅れのゴールでした。


ドライバーはJan Lammers/Erik Comas/Andrea Montermini。
スポンサーはユニシアジェックス(日産系の部品メーカー)。


そして、総合3位に入った32号車、ちなみに予選は14位でした。


ドライバーは星野一義/鈴木亜久里/影山正彦。
スポンサーはカルソニック。
3台とも薄いブルーのチェッカーフラグをイメージしたカラーリングで、赤いリアウィング。
それぞれがあまり区別が付かないモデルで、並べていてもあまり「飾り甲斐」が無いというか。

33号車は上記3台とは異なり、鮮やかな緑色の車体です。
これはスポンサーであったJOMOの影響でしょうか。
予選は19位、決勝では10位でした。


34号車のドライバーも影山正美/本山哲(さとし)/黒沢琢弥の日本人トリオでした。
この34号車は、前年度のル・マンを走った22号車をリファインしたものだったようです。
ボディは他と同じなので一見わかりにくいですが...。


以上二回に分けてR390の戦いについて書いてみました。

以前のブログに書いたように、今回紹介したミニカーは32号車を除いて、県内の中古ショップにてまとめて購入しました。
モデルはイクソ製、1/43スケール。
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ニッサンR390の戦い[その1]

2016年09月01日 | ミニカー
1960年代後半に日本のカーレースをけん引したニッサンR380。
今回はその流れをくむ「名前」を継承したGTカーであるR390について記します。

まずは、1997年のル・マン24時間レースにおけるR390。
決勝レースに先立つこと二か月前に行われた「Prequalifying(予備予選とでも訳すのでしょうか)」で1位になったR390の21号車です。

このクルマ、実はジャガーXJR-15というレースカーをベースに、ニッサンのグループCで活躍したエンジンを積んでいます。
製作したのはトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)という会社、前年にポルシェWSCというクルマでル・マンを制しています。
またデザイナーはシャドウやアロウズのF1マシンなどを設計したトニー・サウスゲートでした。

このマシン、予備予選では1位となったのですが、レース後にレギュレーション違反を指摘されてしまいます。
何でもリアトランクに冷却ダクトを置き、ギアボックスの熱をそこから外に出していたというのです。
市販のGTカーではありえない構造。
まあ、GTカー・クラスといっても、その実態はプロトタイプカーそのものだったのですが。

それはさておき、今回のモデルは本戦ではなく予備予選を走ったR390のもの。


決勝レースでは、トランクを密閉式にしてレースに臨んだのですが、やはり冷却系のトラブルが起こり、結果は芳しいものではありませんでした。

3台出走したR390は2台がリタイヤし、残る1台がかろうじて12位完走(とはいっても、トップから67周遅れ)を果たしたのでした。

翌年、ニッサンは新たなR390で再びル・マンに挑むことになりますが、それはまた次回で。

 → ニッサンR390の戦い[その2]
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ミニカーの里帰り

2016年08月26日 | ミニカー
ベントレーと言えば、2003年のル・マン24時間レースで優勝した「スピード8」が有名で、以前にこのブログでも取り上げたことがあります。



今回ご紹介するのは、2003年に優勝した「スピード8」ではなく、2001年に初めてル・マンに挑戦した時のモデルです。

このときの7号車、予選は7位だったものの、決勝レースではギアボックスのトラブルでリタイヤ。
一方の8号車は予選9位、決勝では2台のアウディに次いで総合3位を獲得しました。
ベントレーとしては優勝した1930年から71年ぶりの表彰台獲得です。

表彰台に上がった8号車の方は先のブログを書いた直後にオークションで手に入れました。
で、それから二か月後に7号車も入手したのですが、私はそれを「表彰台に上がっていない」という理由で横浜の友人に譲ってしまったのです。
表彰台を獲得していないモデルでも平気で集めている今では考えられないことですが、当時は頑なに「表彰台プラスPP(ポール・ポジション)」にこだわっていたのでしょう。


実はこの7号車、当初は入手するつもりはなかったのですが、直前に入手したモデル(1980年のロンドー、総合3位)と同じ出品者だったので、友人の誕生日祝いにするつもりで手に入れたのです。
同梱、すなわち二台を一緒に送ってもらうことで、送料を節約しようとしたのでしょうね。

それから4年。

今年友人が番号を勘違いして同じモデルを入手してしまったことを知り、一台譲っていただくことになりました。
それが今回、ご紹介する7号車なのです。

厳密に言うと、私が差し上げたモデルではないのかもしれませんが、同じ2001年の7号車ですので、ここは「里帰り」ということにしたいと思います。


ちなみに、あいだの2002年に出走した8号車(この年は1台のみ)は未入手です。
これがそろうとめでたく「スピード8」のコンプリートとなるのですが、正直ベントレーに対するそこまでの思い入れはないので、優先順位は限りなく低いものになっています。
そこまでの陳列スペースもありませんし。

今は二台仲良く陳列台に並んでいます。

※モデルはイクソ製、1/43スケール。
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帽子とミニカー

2016年08月21日 | ミニカー
横浜の友人と中野で待ち合わせ。
ほぼ一週間前には山梨で会ったのに、東京でもツルんでいるとは。

台風が来そうなので、傘を用意していったのですが、案に相違して天気は晴れ。
最初に訪れた中野ブロードウェイの中にある帽子店で日除け替わりの帽子を買いました。

衝動買いした割には、かぶり心地が良くて、日除け効果も申し分なし。
写メを見た家内からも「ツバの広い帽子は今年の流行」とのメッセージが届きました。
道理で店頭の一番前に飾ってあったはずです。

残念ながらブロードウェイ内の二軒の中古ショップにはお目当てのミニカーはありませんでした。
探しているモデルが次第にコアな車種になってきているという理由もありますが、中古品のショップですから時にはそういうこともあると、自分を納得させるしかないのかもしれません。

気を取り直して次に向かったのは神田末広町。
いつもはJR線を使っていくのですが、今回は東西線と銀座線を乗り継ぐ東京メトロの旅。
乗り換えもスムーズで、思いの外早く着いた気がしました。

ここでの一軒目は新品のお店。
さすがに種類の豊富さには目を見張るものがあり、中古ショップでは決してお目にかかれない高級品も多数展示されています。
まあ「目の保養」とでもいうべきお店。

でもこのお店で、探していたうちの一台を見つけました。
それも特価だったのでお得感がハンパありません。

アウディR10、3号車。
2007年のル・マン24時間レースにヨースト・チームから出走して予選5位、しかし決勝レースではわずか22周でリタイヤしてしまったクルマです。
3台出場したR10のうち、優勝した1号車を除く2台のR10はいずれも事故のため完走できませんでした。

そんなR10ですが、正味の稼働期間は2006年からの3年間。
R10は三連覇を達成します。
優勝したモデルはすでに入手済みなのですが、今回はそれ以外のモデルを探していて、首尾よく見つけたという次第です。
今回は珍しい帽子とのツーショットでした。

ちなみに、モデルはイクソ製、1/43スケール。
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ミニチャンプスの3台セット

2016年08月03日 | ミニカー
久しぶりにミニカーネタを。

といっても、最近忙しくてなかなかミニカーを買う機会がありません。
なので、今年5月に購入したミニカーのセットをお披露目です。

1982年のル・マン24時間レースは、Cカーと呼ばれるカテゴリーで争われ、ポルシェ956Lが表彰台を独占するという衝撃のル・マンデビューを果たした年になりました。

ミニカーでも、その3台セットが限定販売され、hpi-Racingという会社で作られたセットのことは以前このブログでも取り上げました。

 → 「1982年のパレードラン」[2013年5月]

今回ご紹介するのは、それとは異なるミニチャンプス製の3台セットです。
もちろん中古品、あるオークションで入手しました。


hpi-Racing製と異なるのは、リアカウルが着脱式にはなっていないこと、デカールが初めから貼ってあることでしょうか。
価格もhpi-Racing製に比べて安い(といっても3台分ですから、相当の価格ではあります)。

タバコ会社のデカールが貼ってあることが理由なのか、人気があるみたいで中古品市場では比較的よく見かけます。
そして、けっこうな価格で取引されています。

ミニチャンプスのミニカーが新品で販売された段階で、タバコ会社(ここではロスマンズ)のデカールが貼られていたのかどうかについては実のところよくわかりません。hpi-Racing製やスパーク製のようにサービス・デカールが同梱されていただけかもしれないのですが、今まで私が知る限りではデカールは貼られていました。



実は今回、定価の三分の一程度の値段で入手することができました。
競合もいたのですが、運が良かったと思います。

このセットは全部で5,832セット作られたみたい。
で、私の入手したものは1200番台でした。


販売台数はhpi-Racing製のものよりもずいぶんと多いみたいです。
まあ、この数字が正しい、としてですが...。

以前にも書きましたが、こういうセット(限定パッケージ)は私の陳列台に飾れないので、ちょっと寂しいです。
それでも今回買ってしまったのは、ロスマンズのカラーが好きなのと、カーナンバー通りの1-2-3位でのフィニッシュというのがあるでしょうか。

その後2002年にもアウディR8が達成しています。



出来上がりの品質的には、hpi-Racing製やスパーク製に劣ると言われているミニチャンプス製ですが、シロートの私の眼には、違いはあまりわかりません。

ともかく、これで二つのセットがそろいました。
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気になるポルシェ908/2

2016年07月16日 | ミニカー
久しぶりにミニカーネタを。

オークションサイトを見ていて気になったクルマがありました。
1972年のル・マン24時間レースに出場したポルシェ908/2の6号車、シャシー番号022。

908/2というのは、908の進化したモデルでドイツ語の別名でFlunder(ひらめ)。
オープンモデル(スパイダー)のクルマで、その名の通りのっぺりとした形をしています。

908の全盛時代は1969年で、ポルシェにマニュファクチャラーズ・チャンピオンをもたらしています。
今で言うとWECの総合チャンピオンに当たるでしょうか。

1972年になると、すでにポルシェのファクトリーチームは参加しておらず、プライベートチームが戦っているだけでした。
この年からマトラの三連覇が始まるのです。


前置きが長くなりましたがこのクルマ、一見ガルフカラーかなと見間違うばかりのライトブルーですが、Hans-Dieter Weigelというドイツ人の方のチームから出場しています。
「Weigel」というのは英語ではウェイジェル、ドイツ語ではワイゲルとでも読むのでしょうかね。

この6号車、予選は12位、決勝では一時7位を走っていたのですが、終盤事故を起こして惜しくもリタイヤしています。
ドライバーはワイゲルとクラウゼのドイツ人コンビでした。
ボディに「TEAM AUTO USDAU」と書かれているのはスポンサー名ですね。


で、この908/2-022、記録をたどってみると...。

908/2-022のデビューは1969年のセブリング12時間レースです。
このときにハンドルを握ったのは俳優のスティーブ・マックイーンとピーター・レブソンでした。

当時マックイーンはル・マンを舞台にした映画を取ることを計画していて、自身の映画プロダクションでこの908/2を購入し、自らハンドルを握ったのです。
結果は何と総合2位。

という話を聞くと、映画通の方は察しが付くかもしれません。

翌1970年のル・マンでレースカーと一緒に走り迫真のシーンを撮影したあの「カメラカー」がこのクルマなのです。
残念ながら、フィルムの交換のためにピットストップを繰り返したため周回数が足らず、完走扱いにはなりませんでしたが、この「カメラカー」は9番目くらいで24時間を走り切ったのです。

ちなみに、保険会社がウンと言わず、マックイーンはル・マンを走ることはできなかった、ということです。


ボンネットなどにカメラを積んだ「カメラカー」のミニカーは人気が高く、なかなか入手することができません。
このモデルはその代り、の意味もあります。
いつか並べてみたいものです。


さて、908/2-022に話を戻しますと、1973年にはエクアドルのチームに売却されル・マンに出場します。
エクアドルのドライバーによって運転された908/2-022は予選33位、決勝では大健闘と言ってもいい総合7位に入賞します。
そして、1974年再び同チームからエントリーされた908/2-022は予選13位、決勝では一時は7位を走っていましたが、レース開始10時間過ぎに事故のためリタイヤしてしまいました。

これをもって、908/2-022のレース記録は途絶えています。
解体されてしまったのか、あるいはどこかでひっそりと余生を送っているのでしょうか。


このモデル、私のコレクションとしては初のベストモデルというイタリアのメーカーの製品です。
スケールは1/43。

スパークやミニチャンプスなどと比べるとお世辞にも精細なモデルとはいえません。
何せ、落札価格が送料よりも安かったのですから。
が、ときどきこうした珍しいクルマに出会うことができるメーカーなのかな、と思います。
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ル・マン24時間レース

2016年06月21日 | ミニカー
今年のル・マン24時間レースは、ポルシェ919の大逆転優勝で幕を閉じました。
これでポルシェは18勝(だったかな?)、919としては二連覇を達成したことになります。

しかし、レース自体は終始トヨタTS050が燃費の良さを活かしてリードし続けました。
残り三分(五分とも言われます)で何が起こったのでしょうか?

チームから詳細が明らかにされていませんので、詳しいことはわかりません。
ドライブしていた中嶋の「ノーパワー!」はレース関係者にとっては今年の流行語に選ばれてもおかしくないかもしれませんね。


それはさておき、昨年のル・マンの表彰台に上がった三台のマシンが、やっとミニカーでそろいました。

まだパッケージを開けていません。
その内ちゃんとした撮影をしたいと思っています。

優勝したポルシェ919、17号車。
総合2位に入った、同じくポルシェ919、19号車。
そして3位のアウディR18 e-tronクワトロ、7号車。

ショップに注文したのは昨年の10月7日、3台一緒でした。
3位の7号車が届いたのが年が改まった2月の始め、17号車と19号車は5月の終わりにやっと届きました。

今年のミニカーも同じような感じなのかな?
もう少し早く届けてくれるといいのですがね。
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再びガルフカラーのミラージュ

2016年06月15日 | ミニカー
ガルフカラーのミニカーが好きで、以前から何度かこのブログに登場させてきました。
代表格でもある1970年代のミラージュというレースカーについては、下記のブログで取り上げました。

 → ミラージュ(2014年2月)
 → 1977年のミラージュ(2015年6月)

で、このときにはまだ持っていなかったミラージュについて、今回取り上げます。

まずは1973年にル・マンを走ったミラージュM6、1969年以来、4年ぶりの参戦でした。
オイルメーカーのガルフオイルがスポンサーになり、F1用のフォード製エンジンを積んでいました。
ドライバーは8号車がデレク・ベルとハウデン・ガンレイ、9号車はF1ドライバーのジョン・ワトソン、マイク・ヘイルウッド、ヴァン・シュパンの3名でした。


予選は8号車が8位、9号車が9位と、カーナンバーそのまま。
しかし、決勝レースでは両車ともリタイヤしてしまいます。

8号車は、序盤でギヤボックスのトラブルで4時間もの修理を行い、その後レースに復帰しましたがオイル漏れを起こし、エンジンが焼き付いてしまったのです。
一方9号車は、深夜コースアウトしてしまい、わずか112周しただけで戦列から離れざるを得ませんでした。


ミラージュM6は、風洞実験で空力を徹底的にテストされたデザインだそうですから、重心の低いかっこいい姿をしています。


さて、翌1974年。
この年はマトラが三連覇を成し遂げた年であり、ミラージュGR7は苦しい戦いを強いられました。
ドライバーは11号車がデレク・ベルとマイク・ヘイルウッド、12号車がヴァン・シュパンとレイネ・ウィセルの二人でした。


予選は11号車が4位、12号車は3位と、優勝候補のマトラに次いで良い位置に付けました。

迎えた決勝レース、今回は期待されたミラージュでしたが、まず12号車がわずか49周でリタイヤしてしまいます。
原因はドライブシャフトの破損でした。

残る11号車も同じトラブルに見舞われましたが、ピットストップのたびにグリスを注入するなどの涙ぐましい対応を行い、結局首位から20周遅れの4位でフィニッシュしたのでした。


1974年版のGR7は、リアウィングもポリスチレンフォームにマグネシウムコーティングを施すなど前年のM6から徹底的な軽量化を行いました。
残念ながら、それでも優勝したマトラよりも40キログラムも重かったのだそうです。
私はこのデザイン、結構好きです。

下の写真は、11号車の運転席の中を撮影したもの。
サルテ・サーキットのコース図が描かれたものが内部に貼ってありました。
なんて細かいこと。
でも、ドライバーはこの地図を運転中に見たのでしょうか?


ミラージュは翌1975年、新しいGR8で念願の優勝を飾ります。
が、その時のことは、すでにブログに書きましたので今回は省略します。
ちなみに、この1975年までがガルフカラーのミラージュでした。


ガルフオイル自体は今でもWECやスーパーGTなど、モータースポーツへの協賛を続けています。
最近、別のガルフカラーのクルマを見つけましたので、この機会にご紹介しておきます。
ちなみに、ミラージュとは何の関係もありませんが、フォードのV8エンジンを積んでいるというのも何かの縁かもしれません。

2006年のル・マンに出場したクラージュC65というクルマです。
ん、少し名前も似ているような...。

クラージュはフランスの老舗シャシー・コンストラクターです。
C65は私が集めているLMP1というクラスではなく、その下のLMP2というひとつ下のカテゴリーのクルマです。
本来は収集対象ではないのですが、ガルフカラーを身にまとっているので、オークションに出品されているのを見て素通りできませんでした。


このC65はポール・ベルモンドというフランスのチームからエントリーされた2台のうちの1台です。
どこかで聞いたような名前だなと思ったら、あのフランスの映画スター、ジャン=ポール・ベルモンドさんのご子息だそうです。
ご自身も俳優であり、また元F1ドライバーでもあり、現在はチーム・オーナーなのかな。
私よりも9歳年下のようですね。


プライベートチームのクルマなので、よく見かけるものと若干デザインが異なりますが、水色にオレンジ色を基調とするガルフカラーは、かなり目立ちます。

ル・マンでは今でも毎年ガルフカラーのクルマが走ります。
私のコレクションも、この先何台増えていくのでしょうか。


※今回のモデルはすべてスパーク製、1/43スケール。
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出張の合間に

2016年06月05日 | ミニカー
一泊で横浜に出かけました。

会合前の時間を使って、横浜駅前の某大型家電量販店を覗いてみました。
行ったのはミニカー売り場、カメラ売り場、オーディオ売り場、スマホ売り場など。
結構まとまった時間があったので、各売り場をじっくりと見て回りました。

ちょっと期待して行ったのがミニカー売り場、でしたが...。
しかし、期待は見事に裏切られました。

時代はフィギュア全盛。
ミニカーの売り場自体がとても狭かったうえに、私が探しているルマンなどのモデルはほとんど皆無に近かったのです。
かろうじてあったのは、エブロ製のトヨタ7。
1969年の日本グランプリ出場車の再販です。
すでに所有しているモデルですが、ちょっと珍しかったので写真を一枚。


翌日は東京の知人と久しぶりに面会。
こちらも約束の時間までに時間が少しあったので、いつもの中野に出かけました。

有名カメラ店では、いつものように前から欲しいと思っている交換レンズとご対面。

「今に買ってあげるからね」

いつになるかわかりませんが、物欲が枯渇しないように、定期的に眺めて上げるのが愛情というもので。
前日のお店でも実物を触ってきたのですが、その上にカタログまでもらってきて...。
われながら少し異常な感じもします。

反対に、二軒回ったミニカーショップでは、まったく収穫はありませんでした。
まあ、そういう日もあるわけです。
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昔のレース雑誌

2016年06月01日 | ミニカー
近所の知人から雑誌やムック本を借りました。

先日、組内の飲み会があった時に昔のレースの話になり、私が日本グランプリやル・マン24時間レースのミニカーを集めているという話をしたところ、二歳年下の彼が何冊かの本を貸してくれたのです。

クルマやレースが好きで、何度も富士スピードウェイに通ったという彼は、海外のF1や国内のグラチャン(懐かしい響き!)が好きだそうで、クルマのプラモデルもずいぶんと集めた、といっていました。

そんな彼が貸してくれたのは、1987年のル・マンのムック本。
1987年と言えば、ポルシェが962Cで連覇(ポルシェとしては1981年から数えて実に七連覇)を成し遂げた年です。


記事を読むと、宿敵ジャガーとは30周も離しての勝利ですが、内実はけっこう厳しい戦いだったことがわかります。
結果論ですが、翌1988年のジャガーXJR-8の勝利を予感させるレースだったのかもしれません。

せっかくですので、優勝したワークスのポルシェ962C17号車と、総合2位に入ったプライベートの962C72号車を並べて記念撮影をば。
ちなみに17号車がスパーク製、72号車はビテス製です。


一方、こちらのムック本は三栄書房の「日本の名レース100選」から、1973年の富士1000kmと1968年の日本グランプリ。
前者は私の好きなドライバーの一人である高橋晴邦選手がセリカLBで優勝したレースだから。

そしてもう一冊は言わずと知れた日本グランプリのもの。
この時優勝した北野元選手直筆サインが表紙にあります。
後年、サーキットでご本人からいただいたのだそうです。


さて、富士1000㎞レース自体は、特に思い入れはなく(ツーリングカーレースはあまり興味無し)、ただし中に高橋選手のインタビュー記事があり、そこにトヨタ7(ターボエンジンを積んだ5Lマシン)で臨んだ1969年の日本グランプリのときのことが書かれていました。

残念ながらこのレース、トヨタ7の5号車はレース開始後わずか5周くらいでリタイヤしてしまい、高橋選手はステアリングを握ることもできませんでした。

今思い出しても、高橋選手のドライブするトヨタ7を見てみたかった気がします。
相手は6リッターのモンスター・マシン。
何を言ってもタラ・レバの話なのですがね。


高橋選手は当時23歳。
若いですねえ。
それに格好良かった。

記事の中にもコースアウトしたクルマの写真が出ています(右上)が、トヨタ7の5号車のミニカーと一緒に写真を撮っておきましょう。
こちらのミニカーはエブロ製です。


ちなみに1974年と翌75年、高橋選手はシグマというチームからル・マンに参戦していますが、マシンのせいか期待されたような成績を残すことはできなかったみたいです。

さて、高橋選手は27歳で引退してしまい、その後会社を起こしたりレーシング・チームの監督をおやりになるなどして、今も元気でお過ごしだそうです。
私よりも8歳年上でしょうか。

ちょっと、昔の思い出に浸ってしまいました。
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近づくル・マン24時間

2016年05月17日 | ミニカー
2016年のFIA世界耐久選手権(WEC)のレースはシルバーストーンとスパの2レースが終わりました。
これまでの結果はポルシェ919とアウディR18が1勝ずつで、トヨタTS050のより一層の奮起が期待されます。
今期はニッサンが不参加(あくまでもLMP1クラスへの、という意味。他のクラスへのエンジン供給ではたくさんのチームに使用されています)なので、トヨタには頑張って欲しいのですがねえ。

第3戦のル・マン24時間レース(6月18日、19日)まであと一か月になりました。


それはそうと、今回の本題はあくまでもミニカーなのですが...。

冒頭の写真は、2月に入手した昨年のル・マンの入賞車。
総合3位に入ったアウディR18 e-tronクワトロの7号車です。

以前のブログにも書きましたが、昨年のル・マンの表彰台に上った3台のクルマ、スパーク製の3台を、ある通販のショップで予約しました。

それが昨年の10月。
で、そのうちの一台が届いたのが今年の2月。

他の2台はいまだに届きません。
件のショップでは今でも予約を受け付けていますがね、販売を開始したという情報が入ってきません。
どうなったんでしょうね、私の予約したミニカーは。


それがミニカーの世界、といえばそうなのかもしれませんが、新品の購入は毎年こんな感じ。
2015年のものは特にその傾向が顕著な気がします。

来年からは、中野あたりに中古品が出回るまで待つかなあ。
スパークジャパンのFacebookページ、予約したミニカーが届くまでは「いいね」は取り消しておきましょう。
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吉祥寺のミニカーショップ

2016年04月24日 | ミニカー
吉祥寺にあるミニカーショップに友人と二人で訪れました。
東京に住んでた頃、会社への往き帰りの途中にあったので、これまでも一人では何度か足を運んだことがありますが、二人で行ったのは初めてです。

さほど広くない店内に所狭しと並べられたミニカーは、よく行く中野の中古ショップとは違い、すべて新品。
そのせいか、きれいに並べられ、商品説明のタグも丁寧に付けられています。

この店の特長は何といってもカフェが併設されていること。
店内でコーヒーなどを飲みながら、並べられたミニカーを見ることができます。

飲み物を置いたテーブルに直接ミニカーを置いて眺めることもできそうですが、さすがにそこまではできかねますね。
買うと決めたのなら別ですが。


で、この店で探していたミニカーを一台見つけました。
それが下の写真のプジョー908 HDi-FAP。
2009年のル・マン24時間レースで総合6位に入った7号車です(写真では少し見づらいですが)。



実はこの日、友人とは中野の駅で待ち合わせ、カメラショップで友人の交換レンズの購入に付き合い、その後中野ブロードウェイ内のミニカーショップを物色し、そこでも一台購入しているのです。

今月の初めに書いたブログ[プジョー908の挑戦]の中で、「まだ集めていない」と書いた二台が偶然にも今日見つかったのです。

友人と二人でコーヒーを飲みながらそんな話をして、そうしている間にも買うか買うまいか迷ったのですが、結局購入することにしました。


ミニカーショップから井の頭通りを三鷹方面に歩き、昔よく行った(今でも時々訪れますが)大きな酒屋さんにも顔を出し、三鷹駅から中央線で戻りましたので、けっこうな距離を歩きました。

けっこうな疲労感と満足感を感じながら、山梨へと帰ってきました。
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プジョー908の挑戦[Part2]

2016年04月01日 | ミニカー
前回の[Part1]に引き続いて、プジョー908のル・マン参戦のお話です。

2009年。

過去2年連続してアウディR10 TDIの優勝を阻止できなかったプジョーは、さらに改良を重ねた908 HDi FAPを3台エントリーしました。
予選3位に付けた7号車は、レースの序盤に他のクルマから追突され、修理に永い時間を費やすというアクシデントに見舞われながらも、その後素晴らしい追い上げを見せ、結局首位から13周遅れの総合6位と健闘しました。

このミニカーは持っておりません。
機会があれば揃えたいとは思っておりますが...。


8号車はステファン・サラザンが圧倒的な速さで三年連続予選首位を獲得、決勝レースでもスタートから5時間以上首位を走っていました。
ところがトランスミッションのトラブルによりピット・ストップを余儀なくされ、一時は6位まで順位を下げてしまいました。
しかし、ここから怒涛の追い上げを見せ、レース半ばには2位まで順位を上げることに成功したのです。


総合2位を獲得したこのモデルはイクソ製です。

さて、残る9号車は予選5位でしたが、決勝レースではアレクサンダー・ブルツ、デヴィッド・ブラバムらが快調に運転し、8号車に代わって首位に立つとそのままの順位を維持して見事プジョーに総合優勝をもたらしました。


こちらの9号車もイクソ製です。

このブログで何度も書いていますが、最近のイクソ製のモデルは斜めになったディスプレイ台を使用しているので、このように並べて写真を撮ろうとすると、何か違和感を感じます。
もちろん、他社製のモデルと並べるのは論外ですが...。


あえてプジョー908のワン・ツー・フィニッシュを再現してみました。
何せ、1993年以来の非ドイツ車(※)による優勝なのですから感慨深いものがあったでしょう。

※1995年のマクラーレンと2003年のベントレーはドイツ製エンジンを使用。

そして、その1993年の時の優勝車は同じプジョーの905だったんですね。
まあ、因縁と言えば言えるでしょうか。
それにしても、ル・マンでのドイツ車の強さったら...。


さて迎えた2010年。

プジョーはル・マンの連覇を狙い、4台の908 HDi FAPをサルテ・サーキットに運び込みました。
結果から言うと、4台のプジョー908 HDi FAPは予選の上位4位までを独占し、その圧倒的な速さを見せつけましたが、決勝レースでは4台すべてリタイヤしてしまい、予選5位のアウディR15 TDIに優勝を許してしまうことになりました。

1号車と2号車は持っておりません。
下の写真は予選首位の3号車です。

しかし出走した4台の中では最も早く、わずか38周しただけでリタイヤしてしまいました。


実を言うとこのクルマは、前年度優勝した9号車と同じ車体なのです。
ル・マンの優勝車はどこかの博物館にでも飾っておくものだと思っていましたが、案外そうでもないようですね。
このレースの前にもセブリング12時間(総合2位)、スパ1000キロ(総合優勝)の2レースに出ています。


このモデルはスパーク製です。
レジン製の特長である緻密な細工は素晴らしいのですが、そのぶん高価ですし、オークションでもなかなか安いものは出ないので、集めるのに苦労した一台ではあります。


一方、下の4号車はチーム・オレカ・マットムートというプライベート・チームからエントリーされたクルマです。
予選は4位、決勝は終盤まで実に373周も頑張って走ったのですが、最後にリタイヤしてしまいました。
最後の一台に望みを託したプジョー・ファンの落胆はさぞ大きかっただろうと思われます。


実はこのクルマ、2008年の9号車(総合3位)であり、2009年の7号車(総合6位)でもあります。
ル・マン三年連続出場、まさに歴戦のつわもの、といったところでしょうか。


こちらのモデルもスパーク製。
プライベートのクルマらしく、塗装がとてもカラフルです。
オレカ・チームの特色ですね。

3号車と4号車を並べてみました。
カラフルなクルマは、陳列棚に並べておいても「並べ甲斐」があります。


先日のブログにもちょこっと載せた、中野の中古ショップで見つけたというモデルがこのカラフルな4号車なのです。
今回他のワークス車に交じって、このブログに登場させることができました。


2011年。

プジョーは新たな908(この年から名前に「HDi FAP」は付きません)を開発してル・マンに参戦しました。
新しい908は3.7リットルV8のツインターボ・ディーゼル。

高性能のこのクルマはル・マン以外ではアウディR18 TDIを上回る成績を上げ、この年のヨーロッパのレースのシリーズ・チャンピオンを獲得するまでになりました。
しかし残念ながら、2011年のル・マンではアウディR18と大接戦の末、惜しいところで優勝を飾ることはできずに終わりました。

総合4位に入った7号車は持っていません。
下の写真はその中の1台、総合3位に入った8号車です。

この年流行りのシャークフィンが目を引きます。
デザインもなかなかに格好いいです。


モデルはスパーク製です。
青い車体が白い台座に良く映えます。

一方こちらは、総合2位に入った9号車です。
首位に遅れることわずか14秒ほどだったそうです。
24時間走った差がわずか14秒ということで、珍しく最後までデッドヒートを繰り広げたんですね。


こちらのモデルはイクソ製です。

プジョー908は車体の下部が黒い色(908のベース色)なので、黒い台座だと外形がぼやけてしまいます。
イクソがスパークに及ばないところでしょうか。

ちなみにこの年もオレカ・チームは908(「HDi FAP」の名前が付く前年のマシン)を出走させ、総合5位を獲得しています。
残念ながら、このモデルもコレクションにはありません。


さて、来たるべき2012年に備えてプジョーではハイブリッド車の開発を続けていました。
アウディが「e-tron」という名前のハイブリッド車をR18の車体に積む、という情報が流れていたのでしょう。

しかし2012年の1月、プジョーは突然耐久レース活動全般の打ち切りを発表してレース活動から撤退してしまいました。
当然、前回取り上げた908ハイブリッドもレースに出ることなく幻のクルマとなってしまいました。

原因はプジョー社本体の経営難からと言われております。
それでもいつの日にか再び(いや三たび)「ブルー・ライオン」がサーキットに姿を現す日が来ることを願っています。
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プジョー908の挑戦[Part1]

2016年03月31日 | ミニカー
二日連続でフランスのレースカー、プジョー908を取り上げます。

2000年代の前半、スポーツカー選手権やル・マン24時間レースで圧倒的な強さを誇っていた王者アウディに対抗すべく、プジョーが新しいプロトタイプ・カーを発表したのは2006年でした。
それが、写真の「コンセプト・カー」です。

「コンセプト・カー」というのは、そのクルマのイメージを具体化させて見せるためのものなので、実際に走るレベルまではいかないみたい。
このときのクルマも実物大の模型みたいなものだったのではないかと思われます。

ドアも開きそうにないですし、バックミラーやワイパーも無し。
第一運転席の中が見えませんから、ひょっとしたら粘土で作った、いわゆるクレイモデルだったのかもしれません。


そうはいっても、クローズドボディの流麗な姿は、オープンタイプのアウディR10(2007年のル・マン優勝車)とは対照的で、将来の戦闘力も感じさせます。
ひいき目ですかね?

このミニカーはスパーク製なのですが、オークションでもあまり人気がないようで、割とリーズナブルな価格で手に入れることができました。
ミニカーの醍醐味である運転席周りの造作が無いというのも理由の一つかもしれません。


プジョー908(正式にはこの後ろに「HDi FAP」が付きます)のデビューは2007年。
ル・マンには7号車と8号車の2台がエントリーされました。
7号車のドライバーは元F1ドライバーのジャック・ヴィルヌーヴがドライブしましたが予選3位、決勝レースでは2位を走っていましたがエンジン・トラブルでリタイヤしてしまいました。


7号車はイクソ製。

一方の8号車は、ステファン・サラザンらがドライブし予選首位、決勝レースではアウディに次いで10周遅れの総合2位となりました。
挑戦初年度で表彰台を獲得。
しかし、ライバルのアウディに比べると、24時間を走り切るにはクルマとしての信頼性に難があったようです。


8号車はイクソ製ということでオークションで手に入れました。
確かに本体の作りは7号車に極似しているのですが、台座のカタチを見るとミニチャンプス製のような気もします。


このモデル、台座にプジョーとエンジンオイル・メーカーのトタル(Total)のロゴ入りなので、いずれかのメーカーの特注品なのかもしれないのですが、詳しいことはサイトを探してもよくわかりません。
わからないままに掲載しておきます。


2008年。

プジョーは改良を加えた908 HDi FAPを3台、ル・マンに持ち込みました。
新しい908は断然速く、予選の上位3位を独占しました。
しかし、決勝レースではまたもトラブルに悩まされ、全車完走は果たしたものの、アウディR10の優勝を許してしまいました。

7号車はジャック・ヴィルニューヴが昨年の雪辱を狙いましたが予選3位、決勝レースでは一時は首位を走るもののアウディR10の逆転を許し、わずか4分30秒ほどの差で総合2位となりました。


7号車はスパーク製です。

8号車はステファン・サラザン、アレクサンドル・ブルツらがドライブし予選首位、しかし決勝レースではメカのトラブルに見舞われ、首位から13周遅れの総合5位に終わりました。

この8号車、車体は前年のル・マンで総合2位に入った8号車なのです。
ついでに言っちゃうと、このクルマ翌2009年のル・マンではプライベートのペスカロロ・チームから17号車として出場しています(結果はリタイヤでした)。


8号車はイクソ製です。

9号車は予選2位、決勝レースでは8号車と同じく首位を走ったものの、運転ミスを犯して順位を下げ、結局総合3位に終わりました。


9号車は私のコレクションとしては珍しいノレブというメーカーの製品です。

こうして見ると、3台のクルマは黒が基調の中にもフランス国旗の三色(赤、青、白)を取り入れているのがわかりますね。


さて、こうしてプジョーの挑戦は2009年に引き継がれてゆくわけですが、それは次回に譲ってここでは2008年に発表された、ハイブリッド車をご紹介しておきましょう。

ディーゼルエンジンにリチウムイオン・バッテリーを積んだハイブリッド車は、同じくハイブリッド車を開発中のアウディに対抗して開発されたものです。


2008年はプレゼンテーション・カーとして発表されましたが、この後改良を重ねて2011年にはシルバーストーン・サーキットでのデモ走行を行うまでになりました。
果たしてその結果や如何に...。


この908ハイブリッド車のモデルもイクソ製です。

続きは次回[Part2]で。
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