夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

眞子さま「駆け落ち婚」、小室母子の信じられない「非常識さ」、76歳の私は学び、憂いを深めて・・。

2021-09-03 16:02:33 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であるが、
先程、ヤフージャパンより配信されたニュース見ている中、

『 眞子さま「駆け落ち婚」であらためて見えた
       小室母子の信じられない「非常識さ」
』、
と題された見出しを見たりした。

私はテレビのニュースなどで、皇室の眞子さまの婚約などで、
少しばかり気になりながら、憂いたりしてきた・・。



こうした心情を秘めてきた私は、今回の記事で改めて学びたく、
記事を読んでしまった。

この記事は、政治ジャーナリストの安積 明子さんが、
講談社の公式サイトのひとつの【現代ビジネス】に寄稿され、
9月3日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・

☆スキャンダルが続出している

 

☆問題なのは小室母子の「非常識さ」だ

☆「駆け落ち」でも残る警備費の問題

こうした行為が、人々の嫌悪の対象になるのは当然で、

☆国民に説明する「責任」がある

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 




今回、政治ジャーナリストの安積 明子さんの寄稿文に導かれて、
《・・小室母子の信じられない「非常識さ」・・》、
多々教示されたりした。


何かと無知な私が、今回の難題の最初は・・、
小室 圭さんの母の佳代さんが、「かつての婚約者」からの409万3000円の「借金」問題であった。

私の場合は、「借金」をしてしまったならば、
成るべく早く返済するのが、礼儀と学んできた・・。

こうした「借金」が、小室 圭さんから、母に「借金」があったと気付いた時は、
お母さん、早めにお返して下さい、と諭すのが通常の感覚である。

ましてお付き合いされている御方が皇室関係の女性であるならば、
このような「借金」問題などは、皇室の御方が何より険悪され、軽蔑されることが、
小室 圭さんは、察知できない感覚が、私は理解できない。

こうした「借金」問題が泥沼化となってきたが、
こうした中で、眞子さまが小室 圭さん、母の佳代さんの不純な言動に、
心の礼節もない人たち・・と気付いて、交際の解消にならなかったことにも、
私は理解できないでいる。



あるとすれば眞子さまが、一途に小室 圭さんに恋焦がれ、
どのような経過を得ても、共に生活をしたい・・、
このように私は思い馳せたりした・・。

しかしながら眞子さまが一般社会の御方であったら、
やむえないかなぁ・・と思われるが、皇室の御方である。

それにしても小室 圭さんは、眞子さまと結婚すると決意した時、
品格はもとより、交際される御方たち、そして生活費など破格に要すること、
私はサラリーマンの生活収支しか知らない私でも、驚嘆し、憂いを深めている。
コメント (2)
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加藤登紀子さん×渡辺えりさんの対談、人生の晩秋期の多事多難、76歳の私は、多々教示され・・。

2021-09-03 14:25:12 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の76歳の身であり、
家内は私より5歳ばかり若く71歳となる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、築後40数年の古ぼけた戸建てに住んでいる。


過日、ヤフージャパンより配信されたニュース見ている中、
加藤登紀子さん×渡辺えりさんの対談され、人生の晩秋期の多事多難を語り合い、
76歳の私は、多々教示されたりした・・。

この記事の原文は、『婦人公論』2021年8月10日号に掲載され、
関連の
婦人公論.jp に於いて8月21日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

加藤登紀子さん(左)と渡辺えりさん(右)(撮影:藤澤靖子)
歌をご縁に交流が始まった、加藤登紀子さんと渡辺えりさん。
年齢が一回り違う二人は、それぞれ終活に着手しています。

両親と夫を看取り、この先を見据えて娘たちと相談している加藤さんと、
ひとり暮らしで課題が山積みの渡辺さん。

物の整理から終の棲家、理想の最期まで聞いてみると・・・(構成=村瀬素子 撮影=藤澤靖子)



☆終活の話をするには準備や策が必要

加藤 
えりさんとは、2020年の、浅川マキさんの追悼コンサートで出会って、
すっかり意気投合したのよね。
この間も、私がやっているYouTubeのライブ配信に出てくださって。


渡辺 
歌手として歌わせていただき、お世話になりました。
そのときのトークでも盛り上がりましたけど、私と登紀子さんは、ともにひつじ年のやぎ座。


加藤 
一回り離れているのに、なぜか同級生みたいな感覚がある(笑)。
いまは、ご両親の介護をしていらっしゃるとか。


渡辺
私が介護しているわけではないんです。
山形の介護施設にいるので、月に一度両親の好物を持って会いに行く程度なのですが。

二人とも認知症の症状があり、もう母は、私が自分の娘だということもわからない。
父のほうはまだ症状が軽いものの、声が出なくなってきて、自力で歩けません。


加藤 
ご両親は同じ施設にいらっしゃるの?


渡辺
ええ。でも要介護度が違うので、部屋は別々です。
仕方のないことですけど、施設では起床、食事、入浴、就寝など
タイムスケジュールが、きっちり決められていて。

元気だったころ、父は夜中まで『水戸黄門』の再放送を見たり、
母も夏場は下着のまま畳に寝転がったり、自由気ままに暮らしていたんです。

それなのに制約が多い生活になってしまい、
ここが終の棲家になるかと思うとかわいそうで。
自分が同じ状況に置かれたら、絶対イヤだなあ・・・と。


加藤 
親を見ていると、自分の行く末に。思いを巡らせてしまいますよね。
私は父、母、夫(藤本敏夫さん)を見送った経験があります。

夫は肝臓がんで、4年の闘病の末に亡くなりました。
本人の希望で延命治療はせず、最期まで意識をしっかり保って逝ったので、
私もそうありたいと思うわね。


☆父の突然死、後に問題が山積み

渡辺
登紀子さんは、強い。
私は身内の死を想像しただけで、悲しくなってしまう。
一日でも長く生きてほしいと思うから、本人の意思とか尊重できるかな。


加藤
ただ、私の両親は、終活と呼べるようなことは、取り立ててしていなかったのよ。
特に20年前に亡くなった父の場合は、突然のことでしたから。
82歳のとき、川に転落して亡くなったんです。


渡辺
当時は、さぞショックを受けられたのでは。


加藤
もちろん、驚いたわ。
でもお医者様によれば、落ちる直前に脳出血で亡くなっていたので、
痛みも苦痛もなかったんじゃないかと。

身内からすれば、うらやましいくらいみごとな死で、
姉たちと「お父ちゃんらしいね」って笑っちゃったくらい。


渡辺 
明るいなあ。
愛されていらしたんですね。


加藤 
でも、死後に残された問題は、山積みだった。
特にお金に関する処理が大変でね。
亡くなったのは、経営するロシア料理店のスタッフたちの給料日前。

葬儀を終えたその日のうちに、きょうだい三人で今後のことを話して、
次の社長を姉に引き受けてもらうことを決めて・・・。
無事にお給料を払うことができたときはホッとしました。


渡辺 
すぐにきょうだいで連携されて、すばらしいですね。


加藤 
父が自分の年齢を考えて、早めに相続の方針を決めてくれていたら、
あんな苦労もしなかったでしょう。

ただ夫もそうだったけれど、本人は最後まで生きる気でいるから、
そういう人に、終活の話を切り出すには、入念な準備や策が必要ね。

父のときは、困難にぶちあたったことで、
かえってきょうだい三人が、、力を合わせる機会が持てた、ともいえる。
これはこれでよかったと思うしかないわね。

☆年に一度の話し合いで、財産を「見える化」

渡辺
うちの親に、もしものことがあったら、
きっと私は山形にいる弟に頼る一方だと思います。

登紀子さんご自身は、終活を始めていますか?


加藤
少しずつしてきましたよ。そう考えるのは理由があってね。
ほら、年齢とともに、物ごとのサイクルが短くなっているでしょう。
仕事にしても、私生活にしても。


渡辺
わかります。
年々時間が経つのが速くなって、「えっ、もう1日が終わる!」と焦ることばかり。


加藤
昨日あんなに洗濯したのに、もうこんなに洗濯物が溜まっちゃったとか、
コンサートが終わったら、休む間もなく次の準備に取りかかるとか。
ひとつ片づけたら、すぐ次がやってきてしまう。


渡辺
いくらやってもキリがない。


加藤
子育てをしていると、特に感じるのよ。
それで、学んだの。

「また一からやるのか」とか「まだ終わらない」とうんざりするのをやめて、
毎日少しずつ、ちゃんと終わらせることだけに、集中すればいいって。


渡辺
「少しずつちゃんと、終わらせる」かあ。
そんなふうに考えたこともなかった。


加藤
終活も同じだと思うのよ。
一気にやろうとすると気が重くなるから、
小分けにして、目の前のことから、とにかく手をつける。

物ごとは「すぐ解決しよう」という勢いで臨まなくちゃ、
ずっと解決できないままに、なってしまうんですよ。


渡辺 
ほとんどできていない身には、耳が痛い。
具体的には、どんなことをなさっているのですか。


加藤 
ここ10年くらい、知人にアドバイスされて、「財産の見える化」をしています。
うちは引っ越し貧乏で、あちこち移り住んできたから、
大した価値はないけれど、家がいくつか残っていて。

年に一度、不動産を含めた財産目録を表にして娘三人に見せ、
どのように分けるか相談しています。

いわば財産分与の予行演習。
年度替わりとか年始とか、家族が集まる機会にやっているの。


渡辺 
娘さんたちとそういう話し合いが、季節行事のようにできるのは、心強いですね。
私は子どもがいないので、死後のことを託す相手がいないんです。

弟に「私に何かあったら、あとはお願い」と言ったら、
「姉ちゃんのほうが、長生きするだろう」と断られちゃったし。



☆仕事の資料が段ボール300箱!

加藤
終活といえば、物の整理から始める人も多いようだけど、えりさんはどうしているの?


渡辺
一番の課題は、仕事の資料の整理ですね。
20代で劇団を結成しましたから、資料本や手書き原稿、舞台美術の絵などが40年分、
段ボール300箱あるんです。


加藤 
すごい量ね!


渡辺
100箱は、山形の県立図書館に、
100箱は、劇作家の平田オリザさんが学長を務める兵庫の芸術文化観光専門職大学に寄付して、
100箱は、まだ家に。
中身の整理はできていないので、10年かけて3ヵ所の整理をしていこうと考えています。


加藤
そうすると、まだまだ道半ばね。
自分の物の整理は?


渡辺
2年前に離婚して、マンションに引っ越したのを機に、
多少片づけたものの、すっきりとはほど遠い状態です。

いっそ子どもがいる人と再婚して、
その子に手伝ってもらえないかな、なんて皮算用をしています。(笑)


加藤
ちゃっかり(笑)。
私はそんなに物に執着しない性格だし、
移動性の家族で20回以上引っ越して、その都度整理したもの。

いまはひとり暮らしだから、割に物が少ないわよ。
えりさんは、どうして物が減らせないの?


渡辺
思い出の品がどうしても、捨てられないんです。
小学生のころから、ファンのジュリー(沢田研二さん)のサインボールも、いまだに持ってます。
あの世には持って行けないとわかっているんですが。


加藤
それは手放せないわ。(笑)



☆終の棲家の候補はあるけれど

渡辺
登紀子さんも、私の友人も、引っ越し好きの人は荷物が少ないし、
言動も軽やかで、前向きだなあ。
私はいつまでもクヨクヨして、思いも物も溜め込んでしまうタイプ。


加藤 
えりさんは、人にも物にも、情が濃いのよ。
故郷への愛も、強いでしょう。

私が生まれたのは旧満洲のハルビンで、いまはもう別の街になっているから、
思い入れはあるけど、何も残っていない。

帰る場所が強固にあるえりさんと私の違いが、
人生のしまい方にも、表れている気がするわ。


渡辺 
実は、この4月に個人事務所を作りまして。
66歳にして再出発です。

いまは、やりたいことが多すぎちゃって。
韓流ドラマの『愛の不時着』にハマり、韓国語も習い始めました。
いつかヒョンビンと共演したい!


加藤
韓国語は、音を覚えればラクだし、東北弁と似てるというから、
きっとすぐマスターできるわよ。


渡辺 
あと、山形で演劇塾を開くという計画も。
稽古場として、古い家を買いました。

本当は60歳で始めるつもりが、東京での仕事も続けたいし、
資金を貯めなければと思っているうちに、6年経ってしまった。
来年あたりから、本格的に動き出そうと準備中です。



☆東京に戻るとホッとする

加藤 
私も少し演劇をやっていたからわかるけど、お芝居は舞台美術に衣装に、何かと大変でしょ。


渡辺
そうなんです。1本につき数千万円かかり、赤字になれば、自分で持ち出し。
これまで演劇に注ぎこんだ分を貯金していたら、悠々自適の晩年ですよ。

今度、『喜劇 老後の資金がありません』という舞台に出るんですが、
他人事じゃない、まさに私の話(笑)。

しっかり貯金をしていたのに、娘の結婚式や舅の葬式でお金が飛んでいき、
パート仕事もクビになってしまった主婦を演じるんですけど。


加藤
いざとなれば、山形に移り住めばいいんじゃない? 家があるわけだし。


渡辺 
うーん。家を買った場所は、バスが1日1本しか来なくて、
コンビニまで歩いて45分もかかるんです。
冬は雪かきが大変ですし、ひとりで住む自信がない。


加藤 
私も、夫が千葉に設立した有機農場(鴨川自然王国)に時々行って、
草取りをしたり、田植えをしたりするけど、
歳とともにしゃがんで、農作業をするのがつらくなるわね。

これまでは東京は仕事をする場所、鴨川は休息する場所だったけれど、いまは逆。
鴨川で足腰とエネルギーを使って、東京に戻るとホッとする。


渡辺
鴨川には、娘さんが住んでいらっしゃるんですよね。


加藤
そう、次女の八恵が、家族と暮らしています。
農村だから、住んでいる人は高齢者が多い。

それで八恵が、「集落の古民家をリフォームして、老人ホームにしたらどう? 
ママが入居すれば、きっと人が集まる」って言うのよ。(笑)


渡辺
老人ホームの主(ぬし)みたいな。
登紀子さんがそこでライブをしたら、大盛り上がり間違いなし。


加藤
いまは終の棲家に、田舎を選んで移住する人も増えているでしょ。
そういう人が入居して、周りには地元の若い人や子どもがいて、
お互いの力を発揮して暮らすのもいい。

終の棲家を考えることは、この先をどう生きていくかを考えることだし、
私は、ただ最後まで身軽でいたいっていう気持ちなの。



☆孤独に死ぬのが怖い

渡辺
最近は、「家族や周りに迷惑をかけないように」
という観点から、介護やお墓選びを考える人が多いみたいです。
お金や手間をかけないとか。


加藤
人生の最晩年に、迷惑をかけずに生きることは、なかなか難しい。
だから、素直に受け入れて、しまえばいいと思うのよね。

4年前に101
歳で亡くなった母は、
私の姉に下の世話をしてもらっても、「ごめんね、すまないね」とは言わなかった。

介護のプロにお願いするときも「男性は恥ずかしいから、女性でお願い」ときっぱり。
ただ母のように、最期まで「こうしたい」、「こうしてほしい」と
はっきり言ってもらえるほうが、家族としてはわかりやすい。
自分もそうありたいと思いますね。


渡辺 
私も同じことを親に対して思います。
残り時間が少なくなっているのだから、気を使わなくていい。

私は、友だちや親しい人には、そばにいてほしいし、
看取ってほしいという、甘えがすごくあって。
ひとり孤独に死んでいくのが、怖いんです。


加藤 
えりさんはさっき、「ほとんど終活できていない」と言ったけれど、
人生の終え方は、イメージできているんじゃない。
希望もはっきりしている。


渡辺 
たしかにそうですね。
特に死にまつわることは、離婚してひとり暮らしになってから、
意識することが増えました。

お風呂に入っているときに、
ふっと「いま私が死んだら、誰が見つけてくれるかな」と考えたりもします。

親しい友人たちにも、
「連絡がつかなかったら、様子を見に来て」と頼んでいるくらい。



☆どんちゃん騒ぎで送ってほしい

加藤
葬儀の希望はあるの? 
このごろは著名な方でも、本人の希望で、お葬式を身内だけですませ、
死後に発表されることも多くなったわね。


渡辺 
先日、私が以前主宰していた演劇塾の生徒だった女性が亡くなったんです。
後になってわかったのですが、彼女は末期がんを患ってから、
身の回りのことをぜんぶ整理していた。

最後に行きたかった京都の天橋立を訪れて、近くの公園で力尽きたんです。
お通夜に告別式、お別れ会もいっさいなし。

本人の希望ならば仕方ないけれど、
残されたほうは、別れを言う機会がなくてつらいな、とつい考えてしまって。
複雑な気持ちになりました。


加藤 
そうね。潔い去り際ともいえるけれど・・・。


渡辺 
コロナ禍で、仕方ない面もあるのですが、
この1年、親しかった人たちの葬儀やお通夜がなかった。

でも、故人の思い出を語って共有する場って、必要だと思うんです。
私のときは、葬儀の形はともかく、盛大な飲み会を開いてほしい。
どんちゃん騒ぎの中、みんなに笑顔で送ってもらいたいなあと。


加藤
私は、外国の地でひとり、旅の果てに人生を終えることに、ちょっと憧れてる。
でも、旅先で航空券やホテルの手配をし続ける必要があるでしょう。
そんな元気があったら、すぐには死ねないわよね。(笑)


渡辺 
そうですよ!


加藤
娘たちから、
「ママのお葬式は、大事業になりそうだから、いっそ生前葬をしたら?」
と言われたこともあるのよ。

でも、私は死ぬ直前まで、ステージに立って歌うつもり。
毎回のコンサートが〈生前葬〉みたいなものなんです。


渡辺 
私にとっては、舞台ですね。
ステージで最期を迎えられたら本望だけど、
それはそれでスタッフやお客様が大変・・・。
それより、まずは家の片づけですかねえ。


加藤 
気長にやっていけば、大丈夫よ。
最近は片づけでも財産管理でも便利なサービスが出てきているし、一度利用してみたら?


渡辺
お願いしてみよう。
先輩を見習って、少しずつ、自分の人生を整理していけるように頑張ります。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした。 
 
 
 
今回、加藤登紀子さん、そして渡辺えりさんの対談を読みながら、
お二人の波乱に満ちてきた人生航路を学んできた私は、
人生の晩秋期のそれぞれ多事多難がある、と改めて教示されたりした・・。


過ぎし4月中旬、私はファイナンシャルプランナー、相続診断士の寺門美和子さんの寄稿文に於いて、

”終活3点セット”について
1:金融資産・重要書類・年金内容の棚卸
2:ライフプランニング
3:エンディングノート
 
まずは、この3点を行うことで、

自分の終活で大切なことと向き合えると思います、と学んだりした。
多々教示されたりした。

私は民間会社に35年近く奮戦してきたが、定年退職を迎えたのは2004年の秋であったが、
最後の5年はリストラ烈風の中、私は出向となったのは55歳の時であった。


この時に私が定年退職後のセカンドライフについて、
私たち夫婦はどのように過ごしたいか、話し合ったりした。



もとより老後の資金の予定額も必要で、経済にも疎(うと)い私は、
信愛している経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そしてデフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。


やがて定年退職時になると、この当時は大企業も盛んにリストラが実施されている中、
たとえ私が定年後に新たな職場を探しても、これといった突出した技術もない私は、
何よりも遠い勤務先の出向先で、私なりに奮闘して体力も気力も使い果たしてしまった。


そして定年後に、年金生活を始めた時、
古ぼけた一軒屋を、新たに新築すれば少なくとも3000万円は資金を要すると思い、
老後の資金に余裕がなくなり、私たち夫婦の趣味の国内旅行費などに制約されると思い、断念した。

そして定年退職時の2年前に、少しリーフォームをして、500万円前後で整備した程度となった。




こうした中、我が家の生計は原則として、私たち夫婦はお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、ここ16年半ばかり過ごしてきた・・。

こうした中で私たち夫婦は、原則として月初めには家計簿をお互いに確認しながら実施している理由は、
40数年前、私たち夫婦が婚約する前、 お互いに隠し立ては・・やめましょうねぇ、 

と私は妻となる人から言われたりしてきた。

そして私たち夫婦は、結婚以来、毎月家計簿を原則として翌月の初めにしているが、
もとより生活費をお互いに確認した上で、
私、家内が趣味に使える費用を捻出する為に、 毎月確認し、家計簿の月次決算をしている。




遺言書作成に関しては、定年退職時に私は家内よりあの世に先に旅立ちと思い、

残された家内が生活に困苦しないように、公正証書を作成したりした。

問題はエンディングノートの各項目であり、
お互いの終末治療の扱い、葬儀、お墓など多岐に及び、
ときおり10数年に及び、話し合ったりしてきた。

そして家内が2年前に大病をして、亡くなる確率の高い難病、
と医師から伝えられて、退院後に私たち夫婦は、終末治療の扱い、葬儀、お墓、
残された方の生活のありかた、生活費など、考えられる範囲で話し合ったりした。

こうした中、家内は家内の妹に、茶道具、和洋服など、
贈与するために宅配便などを活用して、幾たびも送付したりしてきた。




このような我が家の”終活3点セット”に準ずることをしてきたが、
この世はまさかの出来事もありえるので、その時は更新すれはよい、
と微苦笑をしたりしている。
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