過ぎし2010年(平成22年)の秋、私は66歳の健康診断の時の結果、
『糖尿病で、内科に受診して下さい』と明記されてしまった。
私は青ざめ、翌日に自宅から徒歩10分ばかりの内科専門病院に行き、検査、そして問診の時、
『国内旅行に何とか70歳ぐらいまで行きたいので・・何なりと御指導をお願い致します』
と私は内科の医師に懇願した。
そして高橋真梨子さんが唄われた『桃色吐息』は妖艶であるが、
体力の衰えた66歳の私は、青色吐息のような表情で、内科の医師のアドバイスを聴いたりした・・。
私は家内との共通趣味は国内旅行であり、糖尿病の場合は、もとより食事制約がある。
このような時、家内と共に旅行の宿泊先で美味しい夕食を頂けそうな時、
私は食べてはいけない料理だったら、余りにも惨(みじ)めである、と思ったりした。
やがて医師から、料理のカロリー試算表を渡された上、 軽い運動を毎日して下さい、と私は言われた・・。
この後、6週間の私は、家内が料理のカロリー試算表を確認しながら野菜を多くした料理を作って貰い、
これ以来、朝夕頂いたりした。
そして私は、ウォーキングをしたり、或いは早足で遊歩道を歩いたりし、
お酒はしばらく・・さよならねぇ、と夕食の時も煎茶を飲んだりしていた。
こうした中、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、
糖尿病の範囲の対象から克服でき、悪玉コレステロールは基準値の90%、
これ以外は、ほぼ優等生となって、改善努力の成果となっている。
そしてこうした定期健診を受けるたびに隣接した薬局で、血糖値を下げる薬を頂き、
日々朝食後に飲んでいるが、これ以外は至って健康だ、と思ったりしている。
しかしながら家内は、糖尿病の予備群ですから、程々に注意して下さい、と言われる時もある。
このように私は、私は最寄の内科に8週間毎に定期検査日、
そしてこの間に検査結果日と健診を受けて、早や14年目となっている。
家内は、過ぎし2019年の4月、初期の膵臓がんに遭遇して、
私たち夫婦は、安楽な年金生活は激変したりした・・。
そして家内はこの後、2泊3日で検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきたのは、5年半前の出来事であった・・。
この事態に、私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。
もとより転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、私の『おひとりさま』の生活などを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。
やがて手術後、定期的に採血検査の基づいて、
手術して下さった担当医師より家内は受診して、
結果として幸運にも転移がなく、そのたびに私たち夫婦は安堵をしたりして、
今日に至っている。
このように私たち夫婦は、それぞれ病気を体験してきたので、
今回の《・・75歳を過ぎたら「一つくらい病気持ち」が案外いい・・》って、
どのようなことですか、と思いながら、記事を読んでしまった。
無断であるが、記事を転載させて頂く。
《・・12/23(月) 5:11配信