その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

腰を伸ばして眺めれば…

2024-03-17 07:40:09 | 転職

どこで、どんな風にねじ曲がった?

夜半には風も弱まるはず…朝起きて、こりゃたまげたねぇ! 雨除け替わりの錆びついたトタン板が飛び散り、どこのお宅のモノかしら?塩ビの波板まで水路に落ちていた^^; 自慢のパイプハウスの一棟もポリ天幕が片側外れて風にあおられている…ビニール製の天幕なら破れているところだわ。風の弱まるのを待って、長男『ポン太郎くん』と何とか仮止めしましたけれど、破れていたら大損害…また、赤字に拍車がかかるところでしたわ。(良かったよかったと胸をなで下ろす^^;)
はて、風でねじ曲がった訳でもあるまいに、『観音さまを巡る小さな旅』で見つけた老松…山形県の同じ圏域に住んではおりますが、遠く離れた所ばかりではなく、こうして珍しい光景やモノに出会うことしばしばであります。『おやじぃ』は、樹齢こそ、そう古くはない松を見ながら、『腰の曲がった老人』の姿を妄想しております。「常盤の松」が、霜雪に耐えてなお葉の色が緑濃い長寿、高潔の象徴であるとするならば、農村に生き残った老松は、畑に這いつくばって、苗を植え、草むしりをしていたら、いつの間にやら腰が曲がっていたなんてねぇ…。
「前のめりに生きるは我欲の象徴、ふんぞり返るは傲慢の相、右にも左にも偏らず、背筋を伸ばして生きるのが仏教にいう中道である。」…大学卒業前に、上杉藩菩提寺の老僧が語った『教え』が今も心に残っております。果たして、自分はどう生きて来たか…若くして、目の前の草(仕事)にしか目が行かず、ちょっと褒められれば(昇進すれば)有頂天になり、力の前に右へ左へとグラグラ、その場しのぎに軸足を変えてきたのではなかろうか?大げさではありますが『自分自身の振り返りの旅』にもなっておりますよ(笑)


『ノロ社長』が今はまっているラーメン^^;

さて、人の好み、味覚というものは千差万別だから、美味しいか、不味いかという評価は自分のブログの中ではしないことにしております。「無色声香味触法」…味わいも香りも舌ざわりもまた、不変のものなど存在しない…『珍説、般若心経』から抜き出しで自分を納得させながら、子どもの頃の無垢な感覚で味わった『昔ながらの中華そば』を追い求める矛盾だらけの行為。お隣のテーブルでは小さな女の子が「ラーメンおいしい!」と大きな声で叫んでおります。(さぞや、提供したご主人も嬉しいに違いない。)「食べてもおいしい~!」(ガクッ!何でもいいんかい?)いやいや、何でも美味しいと感じて、素直に声に出して言える姿が『無垢』なのかも知れないねぇ^^;
はてさて、感覚を研ぎ澄ましてばかりいたら心身ともに疲れてしまう。どこか慣れ合いや『気の緩み』というものも必要なのだよ。和歌山県で開催された自民党青年局の懇親会…マスコミとて「下着のような水着姿の女性ダンサー…」と忖度した書きようであるけれど、昨日のお隣の女の子なら「裸のオネェさんがいる~!」と素直な感情をそのまま大きな声で言ってくれたに違いない。そして、『大人たち』は、ハタと顔を赤らめるのである。誰だって、その場に相応しくないということなど分かっている。(弁えている。)それでも口に出来ないのは、「その場の雰囲気を壊す。」「無粋である。」と言われることへの『おびえ』かも知れない。腰が曲がってしまったことにも気付かずに、ふと、腰を伸ばして眺めてみれば、世の中が大きく変わっていることに初めて気が付くのでありますよ。加齢によって「子ども返り」するならば、『無垢』な声を発してみたいものだわ(笑)

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ノリとわかめと…

2024-03-15 09:05:24 | 転職

手入れされた杉木立…高峰観音

『おやじぃ』の『小さな巡礼の旅』も終盤戦突入です。こちらは山形県飯豊町手の子地内…例年であれば雪に閉ざされる地域で敬遠するところなのだけれど、高規格道路「梨郷道路」が開通したこともあって足を伸ばしてみました。今年は雪も少なく、ご覧の通り運転には支障なし…ただし、お堂の裏手には自慢の「水芭蕉園」があるとのことだから、5月の連休あたりに訪れるのがベストなのかも知れない。(その頃、『おやじぃ』は田んぼの中を右往左往しているでしょうけれどね^^;)
はて、こちらのご本尊は「
金製の十一面観世音菩薩立像 4㎝」!!! 材質や大小で『モノの価値』を量るのは悪いクセである。秘仏扱いであるから、「拝む(手を合わせる)」ことは出来ても、「拝む(見る)」ことは出来ないはずである。人には「見せない」、滅多に「見られない」から『ありがた味』が増すのであって、日常的に「見て」いたら何も感じなくなる…それは、まるで子どもの頃に見た我が祖母の「お腰」ひとつの裸の姿であり、そんなものに『性的な興味・興奮』を覚えていたら異常である。(秘仏と祖母の裸を同一化してしまうところがバチ当たりではあるが、観世音菩薩は慈悲深いはずだから、そんな『おやじぃ』をも許してくださるに違いないと勝手に決めつけている^^;)
そうそう、こうして『男ども』は何事も『許していただける』という幻想と思い込みの中で育ち、生き残ってきたのかも知れないなぁ。お堂に掲げられている「絵馬」には、女性たちの「観音講」の様子が描かれているものが多いのでありまして、純粋に苦しい日常からの『救済』を求め、その日だけは、料理や歌舞に興じている姿に『小さな幸せ』を託していたのかも知れないなぁ…。


トッピングは「海苔」か「ワカメ」か?

さて、『おやじぃ』の『小さな巡礼の旅』は、『昔ながらの中華そば』を探す旅に変容し始めております。最近、感じ始めている「味覚の老化」…「刻みネギ」を丼に散らすお店もありますが、出来れば中央にまとめていただきたい! レンゲで澄んだスープを飲み、『かえし』とスープをまずは味わい具合を確かめ、次にネギ周辺のスープをすくって香味を味わう。そして、おもむろに海苔からしみ出す旨みを楽しみ、胡椒を振って味変(味の締まり)を確認する…ちょっとしたグルメ評論家のような書きぶりではあるけれど、仕事に追われて昼飯をかき込んでいた若い頃を思えば、時間に余裕があるのだから、650円の世界に没頭させてくださいな(笑)
はてさて、真剣な研修会の後には息抜きも必要と、若手議員の『男ども』の『ノリ』で企画された『懇親会』…「私の内閣が目指す多様性とは合致しない。」と答弁された岸田首相ではあるけれど、「多様」と言ってから「多様性」と言い換えているのよねぇ…『多様性とは合致しないけれど、多様なお悦びは許してよ。』なんて、心中を邪推しております^^; 『エッフェル塔の前でポーズを決めるお悦び』も『懇親会でダンサーに触れる悦び(多くの方は触っていないという記憶らしいけれど^^;)』も、公職・公務であるから『息抜き』は一切許されない…昭和の『おやじぃ』からすれば、ギスギスした社会にも思えてくる。「昔なんざぁ、余興に『わかめ酒』が出されたもんよ。」などと、ハレンチなお遊びを自慢する古参議員が出て来て欲しいもんだわ。『不快』である『不謹慎』であるという方々が大多数?なのだから『これは「ノリ」でしでかした「ワカメ(若気)」の至り』などと洒落を利かせても笑って許してもらえないだろうなぁ…そういう時代なんです。
ラーメンのワカメ周辺のスープは塩辛かった…社用・公用のPCでエッチなサイトを覗いてはいけませんぞ!システム管理者に直ぐにバレるから…バレる、バレないの以前の問題だけれど、バレなきゃ良いという風潮もあるような気がしますけれどねぇ(笑)

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口だして、金ださず^^;

2024-03-14 08:56:31 | 転職

置賜三十三観音第4番 中村観音…被災

突然思い立って始めた三十三観音を巡る『おやじぃの小さな旅』は、3分の2ほど…もう少し^^;
こちら山形県飯豊町「中村観音堂」は、令和4年8月3日の豪雨災害で裏山が崩れ、土砂とともに押し出され、現在は解体、復旧工事を模索されているようであります。事前学習したから「立入禁止」は承知の上…「立入禁止」と書かれるとノゾキたくなるのが『助平オヤジ』の本性である。(規制線の中には入らないという節度は守っております^^;)地元有志による「参道」や「せせらぎ空間」の整備が令和3年に行われているようだから、有志の思いを一
瞬で押し流すような災害だったようである。道すがら、洗堀された河川改修工事(小白川)も行われており、随所に災害の爪痕が残っている。JR米坂線や県道10号(現在仮設通行可)で崩落、落橋し、赤字路線であるJR米坂線の復旧の目途は未だに立っていない。過疎地の重要な路線ではあるのだけれど、過疎地ゆえに利用者も少なく、JR側が二の足を踏むのも理解はできるけれど…しかしなぁ? 交通弱者の『生活の足』とてこのような状態なのだから、県文化財に指定されている観音堂(室町時代後期の建築とされる)の復旧、再築は後回しだわねぇ…。と言うか、「県文化財指定」というのは名ばかりで、あれやこれやと口は出しても、お金(予算)が無いのが文化行政でありますよ。
議員さんたちは、『多様性』という『性の文化』に対しては身銭を切るが(ホントに身銭かねぇ?)『地方文化』というものには興味がないらしい。おっと、ちゃっかり『口も出して』おりました、チップという『支援金』を出す替わりに『お手ても出す』という念の入れようである。情けなや(笑)


『ノロ社長』…お土産は「馬肉チャーシュー」ダス^^;

さて、社長!『おやじぃの小さな旅』は、物見遊山だけでは無いぞい! 午前中はアルバイトの事務仕事をこなし、年度末は事務が煩雑するだろうと、団体共済の申し込みを済ませ、3月9日に開通したばかりの高規格道路「梨郷道路」の接続がどこまで続いたかを確認して明日の新潟上越出張に備えているのだよ。(一部、ガソリン代は団体に請求しておこう…節約せつやく^^;)ついでに、周辺市町の『まちづくり』なるものも観察しているのだよ。オラが在所より雪深い飯豊町のはずなのに、山間部に立派なアルミ温室が建ち並ぶ…「補助金」の為せる技だわなぁ^^;
はてさて、高額な補助金を受けることが出来たとしても、『おやじぃ』にはその償却費を稼ぎ出すだけの作付けが思い浮かばない。(これを我が在所では『ほいど馬買った。』という…『ほいど』とは、おバカ。馬小屋も無いくせに、周りに釣られて馬を買ってしまうという愚をあざ笑う、あまり良い表現ではないけれど…。)生産性や資金収支も考えずに「補助金」が出るからと飛びつく訳にも行きますまい。「新規就農対策」とか、「スマート農業」などと言葉を並べると予算が付いちゃうのよ…予算が付いた以上、支出されないと『汚点』になるから、『標的(受け手)』を探すことに血道を上げる。見た目のスマートさも後継者対策には効果があるかも知れないけれど残るのは借金、『経営哲学』のスマートさの方が重要だと思うんですけれどね…。まぁまぁ、余計なことには『口をださず』、『お金を生み出す』ことをもう一度考えてみよう。考え方が『文化財級(超古い~!)』だとしても、『助平オヤジ』からの『口移し』の高額チップなんかいらないよ、気色悪い。『文化財保護』に『農家保護』…利権まみれの補助金なんて要りませんと言ってみたいもんだわ(笑)

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困ったときは…女?

2024-03-12 09:47:20 | 転職

宮城県白石市陣馬山…「世良修蔵」の墓が

一週間に二回の訃報とは…叔父叔母も高齢とはいえ、立て続けの訃報にがっかりしております。「足元(雪)が心配だから来なくても…」という叔母に、正直なところ年の離れた従弟たちとは面識もなく、『これが最後の義理立てかも』という思いで、通夜に参列してまいりました。前回、通夜会場を間違えるという失態を演じているので少々早めに出発して場所を確認し、空き時間に白石市の観光パンフに「世良修蔵の墓」という文字を見つけて足を伸ばしてみました^^;
「世良修蔵」…奥羽鎮撫総督府 下参謀。奥羽越列藩同盟からすれば、仇敵の将でありますよ。会津救済嘆願を握り潰し、和平交渉に出向いた仙台藩士(藩主も含め)に対して無能者呼ばわりしたとも言われ、激高した仙台・福島藩士たちによって、福島県の旅館「金沢屋」で就眠中に襲われ、後に斬首されたらしい。その後の『釈明会見(建白書)』には、「貪婪無厭(たんらんむえん)…欲の深いこと」「酒色荒淫、醜聞聞くに堪えざる事件枚挙仕り」とあるらしいから、散々な言われようである。ドラマでは「泉谷しげるさん」や大河「小沢仁志さん」が好演しておりますなぁ…。
会津藩もまた『賊軍』という汚名を着せられているから、和平交渉(謝罪)に応じる様子もなく、悲惨な会津戦争へと突き進んでいくのでありますが…歴史に「たら」「れば」がないことは十分承知しているつもりではありますが、もしも「世良修蔵」に嘆願書を受け取るだけの度量があったのなら、悲惨な結果を招かなかったとも思えるし、もはや、「維新(新体制)」というエネルギーのはけ口は、戦闘と言う形でしか収められなかったのかも知れないとも思える。墓石の傍らには、山形ではまだ早い白梅が、何ごとも無かったかのように芳しい香りを漂わせておりましたけれど…。


夜にしか食べられないラーメン^^;

さて、通夜を終え、叔母に「旦那さんの分もこれからを楽しんで…」などと声掛けをしてお暇したものの、お腹が空いた。白石市ならば「温麺」でしょう!(出来るなら、もっと早出して亘理あたりで「はらこ飯」か「ほっき飯」も食べたかったのだけれど…まったく、バチ当たり者めが^^;)我が在所と同じで、白石市も夜7時を過ぎると飲食店が閉まってしまうのよ。ならば、夜しか食べられないラーメンを食べに行こう…そうそう、繁華街で夜しか営業していないお店でね。酔っぱらってから食べるラーメンを素面で食べたらどうなるか?もう、かれこれ10年以上「繫華街」というものに行っていないような気もするが…。
はてさて、温泉街の夜のお店も寂しくなったものでありますよ。(月曜日だから尚更である。)おお、和歌山県では45歳以下の若手議員が集まって、『多様性』に関する研修会を開いたようである。水着姿に近いダンサーが何故『多様性』なのか理解に苦しむけれど、『勇気』を持って余興を演じて見せたのだから褒めてあげなければいけない。(そんなことにいちいち目くじらを立てていたら、地方議員のオジサンたちは総て職を辞さなければいけないという経験がおありのはずである…オラ、昭和・平成を知ってるべぇ^^;)ここは凛として、「私たちは彼女たちの生活手段の一援助をしたに過ぎない。」と開き直りなされ…料亭なら許されて、オープンなら許されないのかい?『情報公開』に努めておりますとサラリと言ってのける『度量』というものが必要である!そして、出ました出ました、青年局長に『女性』の鈴木議員が就任…都合が悪くなると何故か『女性』を担ぎ出す。参ったなぁ…「貪婪無厭 酒色荒淫」は斬首相当!もう総て『女性』に任せようや…これぞ『令和維新』(笑)

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すっぱい葡萄は…

2024-03-10 09:09:19 | 転職

置賜三十三観音第27番 高岡観音…

イヌ科のキツネは、肉食に近い雑食性(餌が少ないときにね)とされる。お稲荷さんでもあるまいし、観音さまとキツネの彫り物の関わり合いが理解できなかったのだけれど、もう一対のフクロウとを合わせて考えるに、ネズミを狩る『益獣』としての扱いだったのかも知れない。さらには、どう見てもブドウ畑の中のキツネである。ブドウ自体は奈良時代には渡来したとの説もあるから、唐草模様だけでなく、ブドウの蔓をモチーフに使われたとしても不思議はない。イソップ童話に「狐と葡萄」というお話もあるようだけれど、まさかその影響を受けたとも思えない…もしも、たわわに実ったブドウが「豊穣」の象徴だとすれば、『田の神』と『益獣』とを結びつけた崇敬者(農民)たちの願いだったりしてねぇ…また、お得意の独自解釈をしたところでありますよ^^;
昨夜、恒例の『晩酌会』を終え、ほろ酔い加減で帰宅する途中、目の前を一匹のキツネが走り去っていった。ノラ猫や犬じゃない、確かにキツネである。だって、尻尾が太かったもの。(突然のことで画像に残せる訳もなく、酔っ払いの目撃証言でしかないけれど^^;)30年前に福島県内の山中で夜に一頭を見掛けて以来、ましてや我が在所では野生のキツネは初見でありますよ。これは興奮して語らずにはいられない…しかし、我が家の『女子会』は、冷静に「寄生虫が怖い。」と語るのみで『おやじぃ』の興奮が伝わらないのでありますよ。「エキノコックス症の原因条虫は、北緯38℃線以北だわ!」と『女子会』を一喝したいところだけれど、こちらの命の安泰を図るため口には出さないことにする^^;(山形県でも2007年にと畜場に搬入されたウマから発見されたという報告事例があり、知多半島では定着したとの見解もあるようです。)


得意のノゾキ…周囲の彫刻も彩色されていた?

さて、こうして『おやじぃ』の発見の興奮が『女子会』に無視されることは日常茶飯事だから気にしない^^; 「君たちは、日常に小さな発見や興奮を味わえない悲しい人間である。」とコチラも冷めた目で見ることにいたしましょう。一方、『晩酌会』のお相手である友人『ノロ社長』は、毎朝、『鷹くん』がやって来るようになったと、こちらも興奮気味である。(「ノスリ」ではないかと思うのだけれど…。)「餌付けして、俺は『鷹匠』になる!」と3月の仕事にあぶれた彼は次なる『野心』に向けて安い鶏肉を与えているようである。(生態学や保護の観点からは、よろしくない行為であるとは思うのだけれど、言って止めさせるのも『大人気』ないような気がしましてねぇ…。)
はてさて、「狐と葡萄(邦題)」というイソップ童話は、美味しそうな葡萄を見つけたキツネが、何度飛び跳ねても葡萄に手が届かず、最後は「これは酸っぱい葡萄に決まっている。」と捨て台詞を吐いて別の食べ物を探しに去るというあらすじである。世の中では、このことを「負け惜しみ」と言い、「自分の能力不足には向き合わず、対象が『価値のないもの』であると決めつけることで、自己正当化する防衛機制」の表れとして理解されているようである。世の中には『酸っぱい葡萄』が何と溢れていることよ。手の届かない存在として諦めるならまだしも、その存在を自分のレベルまで引きずり降ろして『叩く』…最近のゴシップマスコミの常套手段であり、その方が売れるから困りものではある。もしも、彫刻のキツネのように、『豊かな葡萄』に恵まれた社会ならば、他人のモノまで手を伸ばそうとは思わないだろうにねぇ…。『平等』ってさぁ、皆に平らに分け与えられるモノでもないはず…時には『酸っぱい葡萄』も食べなはれ、『甘い葡萄』が欲しければ努力もしなはれ…問題は、『甘い葡萄』を手に入れられる機会・手段(教育)が均等に与えられることだと『おやじぃ』は思うのでありますけれどねぇ…。

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旅は道連れ…お相手は?

2024-03-08 09:37:14 | 転職

鳥居と参道…『おやじぃ』は修験者かい?

鬱蒼と茂る杉木立の参道…行ったこともないくせに、勝手に「四国八十八か所」や「熊野古道」をイメージしております。『会津仏教と羽黒修験が交流する要衝の地』…またぞろ、難解な教育委員会のお触書がある^^; そういえば、山形県内の神社仏閣に「湯殿山」の石碑がある山岳信仰の何故?どうやら「羽黒山」は現世、「月山」は死後の世界、「湯殿山」は来世(生まれ変わり)の幸せを祈る民間信仰の山だったらしい。仏教の開祖とされる「ゴータマシッダールタ」さえ、存命していた年代は複数説あり、その教えを仏典としてありがたく体系化し、さらには庶民に分かり易く、布教、解説してくれたのだろうけれど、それぞれの宗派の「真髄」というものを『おやじぃ』は知らない。また、自分で選んだ訳でもない…そこに「お寺」があったから^^; 死んだら、ありがたい戒名をいただいて、お経を読んでいただいて…これは、もはや『葬式仏教』であって「宗教」ではなく、「三宝(仏、経、僧)」に帰依せよとお経を読まれても何のことやら分からない。『僧教不在』とも言えるわなぁ…。(熱心に教えを説いておられるお坊さんには申し訳ない^^;)
死んでお経を上げていただいて、それで浄土に導いていただけるなら『いいとこ取り』である…ただ言えることは、宗教としての仏教が広まった背景には『現世から救済』という要素が巧みに取り入れられていたに違いない。古来より庶民は何がしかの苦しみを持ち続け、『救済』を求め続けてきたのかも知れない。現世においては『政(まつりごと)』が、庶民救済の旗頭であっても良いはずではあるけれど、「政治不信」がはびこるのは、『救済』の手段が「お金」に置き換えられたからに他ならないなどと、『小さな巡礼の旅』の折り返し地点に立って振り返ってみましたよ。(今朝はマジメに^^;)


お金、食欲と煩悩の中をさ迷って…

さて、昨年の暮れに連れ合いを亡くした叔母を見舞ってみました。ゲ!…やっぱり入院していたかぁ。敵(連れ合い)を亡くして、意気消沈する時期が来るに違いないと思っていたのでありますが…92歳の叔母も一気に老け込んだような気がする。(頭とお口はしっかりしております^^;)巡礼の際に笠に書かれる「同行二人(どうぎょうににん)」の文字…常に、弘法大師と常にあるとの意らしいのだけれど、松尾芭蕉の「おくのほそ道」にも登場するこの言葉は、紀行の中では、病気の「曽良」との別れの際に用いられ、古典の教師は、『一人は「己」であり、一人は「己の影」である。』と解釈されていたようである。口喧嘩をしていても「同行二人」…長く夫婦を続け、欠ければそうもなる。『おやじぃ』の場合は、背中に取りつかれていると思っておりますが(笑)
はてさて、「己」と「己の影」が常に一緒に歩いているとするならば、『独り旅』もまた寂しくないかも知れないけれど、「影」に語り掛けても応えてくれないので、おしゃべりな『おやじぃ』の場合の『死出の旅』は、弘法大師や観音さまもよろしいけれど、うら若き女性に手を引かれたならば、勇んで出掛けてしまうかも知れない。(何とバチ当たりなことよ^^;)「現世」に悩み苦しみ、「来世」に期待したとしても、明るい未来が待っているなどと期待してはいけない。ましてや「死後の世界」に何かを求めても仕方がない。(第一、還って来た人を知らないから誰も保証できないのだよ。)『世界三大詐欺師』などと言ってもいけない。それぞれの『教え』は正しいものだったはずだから…後から捻じ曲げてしまったのも「現世の人」である。ならば「現世」では、『政』が救済の手段として、「己」と「己の影」も平等に照らすことが可能なのだろうけれど…『煩悩』という海を泳いで楽しむのも生きていればこそ。「無いないナイ」とばかり言わずに「有るあるアル」と探し回る旅を続けてみますかね…そうねぇ「お相手」は、今のところ「影」でも充分でありますよ(笑)

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聞く耳と「信」?

2024-03-07 10:03:41 | 転職

置賜三十三観音第16番 鮎貝観音ですが…

おやおや、肥料や農薬が8%引きですかぁ…春先には必ず使う肥料を中心に買い求め、手持ち現金が無いのでカード決済をしましてね、「(支払いは)何回ですか?」と聞かれたから「100回で」と応えたら笑われた。(あくまでウケ狙い…余計な金利はつけません^^;)ポイント満点券(500円)と、さらにポイントも付いたから消費税分相当の値引きかなぁ(笑)
外は雪なのに、無加温ハウスの中はモヤモヤと暖かい…「折角の熱を逃さないように、トンネル栽培にして、中のホウレンソウには直接ビニールが触れないように…。」などと余計なお節介をしてから、ご隠居『おやじぃ』は『小さな巡礼の旅』に出掛けたのでありましたとさ。目指すは置賜地方北端の白鷹町…最も北に位置する観音さまだから、3ヶ所ほど回ることに致しまして、最初に訪れたのが「鮎貝観音(泉蔵院 天台宗)」であります。『カンニング般若心経』もそこそこに、何かないかと辺りを見渡しますと「聖徳太子」と彫り込まれた石碑がありましたよ…へぇ~!(これは知らなかったわぁ^^;)
「太子信仰」…天台宗、真言宗etc.と日本仏教の創始者として崇められ、「救世観音」との同一視の例もあるという。石碑の方は、「太子講」…大工や左官さんたちの『守り本尊』として建てられたに違いないなどと、物事の上辺だけをおさらいして勝手に解釈しております。
フムフム、確か逸話に10人(一説では8人)の訴えを同時に聞き分け、一人ひとりに応えたとか…何をそんなもん、『おやじぃ』の場合は、同時に10個の興味が湧いてくるのである!他人は、これを注意力散漫というに違いないけれど(笑)


『晩酌会』は3月20日をもって閉鎖?

さて、何回聞いたことか、この宣言^^; ちなみに、聖徳太子が制定したと伝えられる「十七条憲法」の第5条に「餐(あぢわひ)を絶ち 欲を棄てて 明らかに訴訟を辨へよ(わきまえよ)」という条文があるらしい。どうやら当時の官僚たちの間でも「供応接待」は横行していたようである。そうそう『毎晩、刺身など食べていないで、お仕事をしなさい。』と602年の頃から、聖徳太子は人々を諫めているのだけれど、ご本人は万券にも登場した人物である。(その評価は時代によって変遷している。)何とか『ニセ太子講』でお金にあやかりたいと願う『オジSUN』たちでありますが、聖徳太子ご自身も1984年を境に、お金とは縁(円)が切れたようでありますから、『御利益』なし(笑)
はてさて、折角『観音さま巡り』をしても、俗世から抜け出せない。ん~?10人の訴えを聞き分けた聖徳太子でなくとも、『聞く耳』を持った内閣総理大臣が日本にはいらっしゃるではないか!(自分で言っているだけですが^^;)そうそう、「十七条憲法」の第11条には、『功過を察して賞罰を当てよ』という条文もあるらしい。他人の話を良く聞くというのは、耳で聞いて、脳みそで考えて、口に出す(行動する)ことであって、右の耳から聞いて、脳みそを軽く通過させ、左の耳から『排泄』することではないと思うのでありますけれどねぇ…『救世観音』を巡っていたら、1400年前の官僚に宛てた憲法が今でも通用するのではないかと思い始めてきましたよ。ちなみに、改憲論議が起こる『第9条』はというと、「信は是れ、義の本なり 事毎に信あれ」なんですと…これなら改正しても良いかなぁ?彼の場合「信(支持)」が無いのだからどうしようもありませんけどね(笑)

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不足(不測)のときに…

2024-03-06 09:42:56 | 転職

置賜三十三観音第15番「火の目観音」…

こちらの観音さまは、元は『檜の目観音』と呼ばれていたそうでありますが、米沢大火の折りに観音だけが焼けずに残ったことから「火の目観音」と呼ばれるようになったとか…『御利益』は、火伏せの仏さまである^^;
「悠長に観音さまと湯巡りかね?」などと揶揄されている『おやじぃ』でありますが、午前中は、アルバイト先の報酬支払の手続きや事業を進める上での情報収集(官署)に務めたつもり…少しは社会貢献しているつもりであります。いつものように『カンニング般若心経』を唱えながら、お寺としては廃寺なのかと思いつつ、道路向かいを眺むれば米沢市の観光(由緒)看板が立っている。『覗きの虫』が騒ぎ出し、道路を渡れば、そこは「莅戸善政」の墓所である長泉寺でありました。
「莅戸」と書いて「のぞき」と読む。米沢藩中興の祖「上杉鷹山公」(養子さんなのよぉ^^;)は世に名を馳せておりますが、「莅戸善政」まで知る方は少ないのではなかろうか?「米びつをのぞき(莅戸)てみれば米はなし あすから何をくろうべえ(九郎兵衛)哉」とまで揶揄された人物である。
元々は中級武士、鷹山公に重用されるも、藩内の『抵抗勢力』によって、一度は失脚、隠居するものの、鷹山公の再登板で、奉行職(国家老)まで登り詰めた人物である。鷹山公の藩政改革もこの人物無くして果たし得なかったとも言える忠臣、『実働部隊』の一員でありますよ^^;


シンプルに…何も加えず…

さて、昔ながらの「米沢ラーメン」を食べてみたい自作編…冷蔵庫には卵以外何も無し^^; 鰹出汁と砂糖、醤油、みりんだけでスープをこさえてみた…むしろ、記憶にある味に近づいたような気がする。そうか!子どもの頃は、そもそもお肉というモノを食べた記憶が無いから、鶏ガラ、豚骨の類も手に入りにくかったに違いない。基本が煮干しや鰹節が出汁の素だったとすると記憶に近づくのもうなずける…『有るモノ』を探すのではなく、『無いモノ』 の中で培われた味覚だったのかも知れない。ちなみに、「莅戸善政」は「飢饉」の際の備えとして「かてもの(救荒食物)」を編纂した人物でもある。
はてさて、満ち足りて、不足することを知らないから、『味』を追求し、色々なモノを探し出し追い足ししていく…それが『美味しいモノ』として認知されていく。時の総理は、施策に不足するものを『検討し』、『私が先頭に立ち』、『指示しました。』と連呼される。問題は、それが優れた『政策』であっても、『抵抗勢力』の妨害でうやむやにされ、「莅戸善政」のような忠臣、『実働部隊』が存在しないのではないかなどとも考え始めている。『おやじぃ』の『米沢藩びいき』は、天明の飢饉に際して、領民に餓死者を出さなかったことによる…これまた、鷹山公の『指示』ではあるけれど、莅戸らの家臣は、すべての藩士、領民に対して、収入に応じた積立(穀物や金銭)を義務化したようである。これまた、大きな『抵抗』はあったに違いないと思えるのだけれど…。どこか不足(不測)の事態を考えない愚かさよ…『おやじぃ』もまた、「莅戸」と聞いて「ノゾキ」を連想してしまうウツケ者ではあるけれど(笑)

 

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死化粧…

2024-03-05 09:00:03 | 転職

「白梅」と思ったら…「雪化粧」でした^^;

事業未着手の現場を回りながら、ふと「紅梅」の花芽が膨らんでいることに気付きまして、開花が近いと思っていたら、今朝は「白梅」が満開だった…まさか、一転の「雪化粧」でありますよ。画像がよろしくないけれど、本当に白梅が咲いたような雪の着き方でありましたよ。(騙された^^;)
「化粧」の歴史は、紀元前1200年代の古代エジプトまで遡ることができるようである。当時は虫除けの意味合いもあったらしい。まぁ、男どもが女性のお化粧に対して、あれやこれやと口出しするのは嫌われるから止めておいた方が得策である。それは、他の誰かに対してのものであって、決して『おやじぃ』に向けて行われている訳ではないのだから当然である。ちなみに「化粧」の心理的効果として、「自尊心の向上」「社会的な幸福感」があるとされているから、それに余計な口出しをされたら怒るわなぁ…立派な『おやじぃ』は弁えているから言わないいわない(笑)
世に「厚顔無恥」という言葉がありますが、これは『ファンデや白粉を厚く塗り重ねていることを人に悟られても恥として感じない人(炎上だわ^^;)』ではなく、面の皮が厚く恥知らずの人を指す言葉であって、これならば政界には多数存在するようである。嘘にまた新たな嘘を塗り重ねても、嘘が真実になってしまうのだから、どこにホントがあるのか分かりはしない。当のご本人たちだって、塗り重ねている内に、何が事実だったのかさえ分からなくなってしまっているのかも知れない(笑)


脂ぎっている訳でもないのに…

さて、昔懐かしい「中華そば」を求めて何軒か回っているのだけれど、シンプルな醤油ラーメンの「脂」が舌に残るようになったことに気付きました。味覚障害かなぁ…ネギの周りのスープ、海苔の周りのスープ、胡椒を振った部分のスープと、風味を利き分けできていると思っているから、舌に残る『脂感』は、年齢のせいで動物系の油脂を受け付けない身体になっているのかしらなどとも思い始めている。それはそれとして受け入れることといたしますが、これでは求める「中華そば」には巡り合えませんわなぁ…味噌ラーメンなら受け入れるのにねぇ^^;
はてさて、こうして舌に残る「脂」…歳を重ね、若い頃は仕方が無いことと半ば諦め、渋々受け入れていたことも、最近、その許容の範囲が狭まってきたような気がする。(年を取ると丸くなるんじゃないのかい?)政治なんて、その極みかも知れない。自分事ならば「まぁ、そんなもんでしょう。」と『大人』の対応をする『おやじぃ』でありますが、我が子や若者たちの将来を考えると、果たしてこれを続けていて大丈夫なのかと思えてしまう。何も出来なくなって(何の影響力もなくなって)感じる無力感…『検討することを検討する。』元々、『検討する』という言葉は、「やる気はございません」という『行政・政治用語』だから、それを繰り返し使い出したら、「早よ辞めなはれ!」と言わなければいけないところなのだけれどねぇ。穏やかな顔に施す「死化粧」…何層塗り重ねても、既に死んでいることに気付けない情けなさよ(笑)

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「報・連・相」とお手柄と…

2024-03-03 09:08:26 | 転職

「ホウレンソウ」の生育適温は15℃である!

①降る雪を克服するか、②敢えて積もった雪を利用するか…『おやじぃ』はハウス内を加温して「①克雪」を試みても燃料費に野菜単価が追い付かないだろうと考え、ならば、秋野菜(キャベツ、ニンジン)を敢えて雪の下に貯蔵し「②利雪」によって、野菜自体が持つ貯蔵でんぷんの糖化を進めて『甘い野菜』を作ることを選択してしまうのだけれど…長男『ポン太郎くん』は、手持ち無沙汰から、1月下旬にホウレンソウを播種してしまったようである。『報告』を受けたら「おバカ!」と口走ったかも知れない^^;
「ここまで成長しました。」と『連絡』を受けたとしても、「今年は暖冬小雪の年だから…」と『成果』を無視したかも知れない。「これからどうしましょう?」と『相談』されたなら「それは自分で考えろ!」と冷ややかな態度を取ったかも知れない。世に言う『報・連・相』を一方的に強調する無能な上司の姿がそこにある。『成果』を見届けて、それではハウスの横幕をしっかり固定して、さらには、トンネルを施して少しでも暖気を確保することを『指示』する…「これはイケるかも?」と『お手柄』は独り占めである^^;
『寒〆ホウレンソウ』の栽培を考えたこともあったけれど、11月末まで抑制栽培キュウリがハウスを独占しているので、降雪まで期間では成長の時間が短すぎると半ば断念していたのでありますが。『大人の常識』からすれば『無知』なる故の無謀な挑戦…暖冬というイレギュラーがあったとは言え、『知識』が邪魔をした一例かも知れないねぇ(笑)


「四国八十八ヶ所」を分霊したもの…

さて、「報連相」は1982年山崎富治社長の著書「ほうれんそうが会社を強くする」のヒットが始まりとも言われているようです。今では「報告、相談がない!」と、ダメダメ上司が「報連相」を強要するのだけれど、対象となる部下たちは『沈言済(チンゲンサイ)』…「沈黙し、言わずに済ます。」んだそうでありますよ。言ったところで怒られ、適切な指示もなく、相談したところで「自分で考えろ」と言われるだけだから、言わずに済ます。結果責任だけを問われ、お手柄は横取りならば、誰が報告、相談しますかってところですかねぇ…本来は、社内の風通しを良くすることが目的だったとのことだから、昭和の『おやじぃ』も反省しなければいけませんなぁ(笑)
はてさて、確定申告の取りまとめをしながら、大量出荷のJAは利益率が低く、『市民市場』の利益率が高いという現状に気付く(出荷量の違いもありますけれどね。)…現状では12月から4月までは、『雪下野菜』を除くと売りに出せるものがなく、これとて、雪を掘り起こしての出荷単価は労力に見合わないのでありますよ。無知なる故の『無謀な挑戦』は、ある意味、現状を打破するヒントになるかも知れない。若者たちの「挑戦」の芽を摘み取っているのは、『智恵・経験』が豊富と自意識過剰気味な『おやじぃ』の方かも知れないなぁ。これは「暖冬小雪のお陰」と切り捨ててしまうのか、新たな試みとして挑戦し続けるのか…『おやじぃ』に残された時間は短く、若者には未来に向かって『何か』を求め続けられる時間がある。失敗から学ぶことも多くあるに違いない。『おやじぃ』に求められているのは、『失敗』を小幅に留めるためのヒントであって、『出る杭』を叩くような『経験』の羅列ではないはずである。所詮、失敗したとしても種子代程度だから、『出る杭』をさらに引っ張り上げる度量かも知れないなぁ(笑)

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