どこで、どんな風にねじ曲がった?
夜半には風も弱まるはず…朝起きて、こりゃたまげたねぇ! 雨除け替わりの錆びついたトタン板が飛び散り、どこのお宅のモノかしら?塩ビの波板まで水路に落ちていた^^; 自慢のパイプハウスの一棟もポリ天幕が片側外れて風にあおられている…ビニール製の天幕なら破れているところだわ。風の弱まるのを待って、長男『ポン太郎くん』と何とか仮止めしましたけれど、破れていたら大損害…また、赤字に拍車がかかるところでしたわ。(良かったよかったと胸をなで下ろす^^;)
はて、風でねじ曲がった訳でもあるまいに、『観音さまを巡る小さな旅』で見つけた老松…山形県の同じ圏域に住んではおりますが、遠く離れた所ばかりではなく、こうして珍しい光景やモノに出会うことしばしばであります。『おやじぃ』は、樹齢こそ、そう古くはない松を見ながら、『腰の曲がった老人』の姿を妄想しております。「常盤の松」が、霜雪に耐えてなお葉の色が緑濃い長寿、高潔の象徴であるとするならば、農村に生き残った老松は、畑に這いつくばって、苗を植え、草むしりをしていたら、いつの間にやら腰が曲がっていたなんてねぇ…。
「前のめりに生きるは我欲の象徴、ふんぞり返るは傲慢の相、右にも左にも偏らず、背筋を伸ばして生きるのが仏教にいう中道である。」…大学卒業前に、上杉藩菩提寺の老僧が語った『教え』が今も心に残っております。果たして、自分はどう生きて来たか…若くして、目の前の草(仕事)にしか目が行かず、ちょっと褒められれば(昇進すれば)有頂天になり、力の前に右へ左へとグラグラ、その場しのぎに軸足を変えてきたのではなかろうか?大げさではありますが『自分自身の振り返りの旅』にもなっておりますよ(笑)
『ノロ社長』が今はまっているラーメン^^;
さて、人の好み、味覚というものは千差万別だから、美味しいか、不味いかという評価は自分のブログの中ではしないことにしております。「無色声香味触法」…味わいも香りも舌ざわりもまた、不変のものなど存在しない…『珍説、般若心経』から抜き出しで自分を納得させながら、子どもの頃の無垢な感覚で味わった『昔ながらの中華そば』を追い求める矛盾だらけの行為。お隣のテーブルでは小さな女の子が「ラーメンおいしい!」と大きな声で叫んでおります。(さぞや、提供したご主人も嬉しいに違いない。)「何食べてもおいしい~!」(ガクッ!何でもいいんかい?)いやいや、何でも美味しいと感じて、素直に声に出して言える姿が『無垢』なのかも知れないねぇ^^;
はてさて、感覚を研ぎ澄ましてばかりいたら心身ともに疲れてしまう。どこか慣れ合いや『気の緩み』というものも必要なのだよ。和歌山県で開催された自民党青年局の懇親会…マスコミとて「下着のような水着姿の女性ダンサー…」と忖度した書きようであるけれど、昨日のお隣の女の子なら「裸のオネェさんがいる~!」と素直な感情をそのまま大きな声で言ってくれたに違いない。そして、『大人たち』は、ハタと顔を赤らめるのである。誰だって、その場に相応しくないということなど分かっている。(弁えている。)それでも口に出来ないのは、「その場の雰囲気を壊す。」「無粋である。」と言われることへの『おびえ』かも知れない。腰が曲がってしまったことにも気付かずに、ふと、腰を伸ばして眺めてみれば、世の中が大きく変わっていることに初めて気が付くのでありますよ。加齢によって「子ども返り」するならば、『無垢』な声を発してみたいものだわ(笑)