「デジャヴ」…既視感。実際には体験したことが無いのにどこかで見たような、あるいは体験したことがあるような感覚…『夢屋国王』の場合は、「夢」…確かに一度見た光景であるのだけれど、どうしても場所が思い出せない「夢」を見てしまうのであります。「夢」に出てくるのだから、一度どこかで経験しているに違いない。今朝方の夢も農地(水田)が夢に現れ、下手くそな耕運の仕方を見ても、どうも自分が耕運した場所に違いないと夢の中で思っているのでありますが場所が特定できないのであります。来年こそは、もう少し上手に耕運できるだろうとか、来年は、この場所にもち米を植えようなどと勝手に考えているのですが、はて、この場所は一体どこなんだろうとか、水利をどこから取れば良いのだろうかなどと一生懸命考えている…実に他愛のない夢であります。
今では、荒地と化してしまった畑に打ち込まれたアンカー…造形の不思議さに思わず一枚。昔、樹園地(ぶどう園)だった頃の名残りかぶどう畑にしようとして途中断念してしまったものか?今となっては、人の意思もそこにあった光景も忘れ去られてしまった遺物であります。
記憶の糸を辿りながら、古い風景を思い出そうとすると、昔は、この用水脇の道を歩いて行くと大きな掘にぶつかって、子どもの頃は飛び越えることが出来なかった思い出だとか、大きくうねった用水の曲がり角には柳の木があって、大人でも足が立たないような深い淵があったような記憶が蘇えって来ます。いつの頃からか、土地改良事業が進み、今では用水脇の道は自動車で通ることが可能であるし、大ナマズが棲んでいると信じていた深い淵は大きなU字溝に置き換えられ、何の変哲も無い光景に変わっております。そう、子どもの頃見た景色だから、場所が特定出来ないのかもしれません。
昨日、母方の叔父が書類に印鑑を求めにやって来ました。子どもの頃遊んだ記憶のあるため池(集落の共同所有地)が、高速道路用地になるのだという。「ああ、あの堤ならば、子どもの頃、ぶどうのジベ処理の時に連れて行ってもらった記憶があるわぁ~。」一度か二度見たことがあるというだけの景色だから、もう場所の特定など出来る訳も無いのでありますが、珍しいトンボが沢山いたことだけは良く憶えているのであります。
はてさて、子どもたちの目に映る原風景は、一体どのように変化していくのでありましょうか?ヨシやセイタカアワダチソウが所々に生える荒れた耕地の残像か、大型機械によって耕運される農地なのか…今ある光景が、未来にまで続く保証は無いのでありますよ。