昨年、『夢屋工房』営業部長として、営業と言う種を播いておいた『夢屋ニンニク』に突然、地元の食品加工会社よりオファーがやって来ました。ニンニク栽培倍増計画も出荷先に行き詰まり、『夢屋ニンニク生産部』の意欲が減退し始めてきた時期であったので、この申し出は大きい…「ニンニク作って、青森行こう!」とスローガンを掲げた、オヤジたちの夢物語も現実味を帯びて参りました。「行く々々は契約栽培をしても…」との申し出だから、出荷時期や数量、出荷の規格など、営業部長として細部を詰める必要がある。久々の朗報を、商品企画開発部長である友人『ノロ君』にも伝えたいところであるが彼は手術で入院中…研修生(兼営業課長)である『貧乏父さん(H.N.)』も会社の決算期だから呼び出すのが憚られる。この辺りが小規模経営体の泣き所なのであります。今年から専業農家である『トシパン』もニンニク栽培に参入する予定であるから、彼に生産部長というポストを与えて、生産量を確保しなければならないなどと、社長兼営業部長の画策は続くのであります。しかし、『貧乏父さん(H.N.)』だけが、中々研修生から昇格できない。彼にも然るべきポストを用意しなければ…『夢屋工房』は、何処かの第1野党政党のように、ポストを餌に人材(人罪)を集め始め、実力と行動力が伴わない集団に成らないように気を配らなければならない時期に来ているのであります^^;
さて、2週間前に刈り取った稲(ヒメノモチ)の株から「蘖(ひこばえ)」が出て来ました。「蘖」とは、稲に限らず太い幹の根元から生えてくる若芽のことでありまして、稲の場合は、「穭生(ひつじばえ)」とも言うらしい。こうした風景(穭田)を見ていると、稲とはつくづく丈夫な生き物であると思うのでありまして、また丈夫な植物だからこそ、太古の昔から栽培されてきたとも言えるのかも知れません。減反として「青刈り」という生産調整方法が取られていた時は、早めに青刈りを行って「ひこばえ」から稔った稲を収穫したなどという豪傑も現れたので、「青刈り」の実施時期の確認は、一般の転作作物の時期から遅らせて確認作業を行った時代もあるほどなのであります。
人間とは、一人ひとりは弱い生き物でありますが、したたかな生き物でもあります。巻頭画像のアメリカセンダングサの種のように、嫌われながらも、人に纏わりついて子孫を残そうとするタイプもあれば、世話をしても中々育たない植物もある。力強さと弱さを合わせ持った人間は、如何に生きるべきなのか…『夢屋工房』の生き残り戦術や今後の生き方を急に哲学し始める『夢屋国王』でありましたとさ…^^;
ちなみに、アメリカセンダングサの花言葉は、近寄らないで…だそうでありますが、秋を迎え、急に人恋しさを覚える『夢屋国王』は、決して「近寄らないで」などと『名誉ある孤立』を望んだりしない、淋しがりやのオジサンなのであります^^;