その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

「大奥」のなぞ?

2023-11-30 10:38:15 | 転職

ひとりでも制御不能なのにねぇ…

大河ドラマ「春日局」は、1989年橋本壽賀子さん脚本のドラマだったようである。日がな一日、古いテレビドラマを観続け(というより流し続け)、遂に面白味を感じなくなってしまいましたよ。古いドラマで「大奥」のタイトルを見つけ、たまには時代劇をと観ていたら「春日局」が登場いたしましてね、お万の方を『還俗(げんぞく)…僧侶を捨て俗人に戻ること』させたとか、家康公に拝謁したとかの場面が出てきまして、史実としてはどうなのよなどと調べた次第。(冬の雨に暇を持て余しておりますよ^^;)
結局のところ、諸説あって少々検索したところでは分からない。「大奥」さえドラマでは『建物』として描かれているけれど、江戸城絵図などを見る限りでは、結構広いエリアを占めていたようである。最盛期にはお女中の数も1,000人とも3,000人とも諸説あるようだから、そりゃ~広大なエリアが必要だわねぇ^^;
『奥のことは奥に任せてある。』などと、素知らぬ顔を決め込むご主人も、幕末には「表」の政治の舞台が、「大奥」にも持ち込まれ政治工作が行われたような記載もあるから、『それなり』の権力を持っていたに違いない…いや、「表」の顔はご主人でも、操っているのは「奥方」という構図は、今の世の中のことだけではなさそうである(笑)


「御台所」は北条政子が始まり?

さて、「将軍家の血筋(男子)を守り繋げるため。」…当時の考え方をここでとやかく言うつもりもございませんが、「世嗣(せいし)」となる男子を産んだ正室は2代将軍秀忠の妻「お江与の方」だけだったようである。つまりは『お世継ぎ』として男子にこだわると、側室の子ということになったのかいと今さらながら驚いております…これ以上は言及すまい。
はてさて、日本史には出て来ないだろう日本史…男子中心の、それも当主にまつわる家伝、書簡などから類推せざるを得ない事情もあるのだろう。当然、美化、脚色されている箇所もあるだろうから、『史実』というものもかなり怪しい。ましてや「大奥」の内部情報に関しては「他言無用」であったろうから、これまた曖昧な部分が多いに違いない。待て待て、現代でも「大奥」に似たような女性主体の組織もあるような気もするが…。「男だから」とか「女だから」という性別によるゴタゴタと言うよりは、『組織を守る』という概念に「男」も「女」もさほど違いはないような気もする。「廃部」「解散」「名称変更」etc.それぞれの組織問題の解決策として今も用いられている手法ではありますが、『人間の性(さが)』というものは、そうそう変わるものじゃない。寒風にさらされて鼻水を流す『青オニ君』のように、ひとり取り残されている『おやじぃ』が何をいうってね(笑)

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穴の穴…

2023-11-29 10:38:19 | 転職

失敗しても落ち込むな…

晴天の月曜日から一転して雨の火曜日。雪囲い作業の判断は間違っていなかったような気もする。もう晴れ上がる日をそうそう期待も出来ないし、雨が続くならば、いっそのこと雪に変わってくれた方が外作業も楽なような気もする。(決して、雪を待ち望んでいる訳ではないけれど…。)
もう少し庭木を整理してからと思っていたのだけれど、そろそろ限界を感じて剪定した枝を処分場に持ち込みました。軽トラック満載で1,600円…精算を済ませて足元を見たら500円玉が落ちていた。「しめしめ」と拾ってポケットにねじ込むか、事務所の窓口に届けるかは貴方次第。『おやじぃ』の頭に浮かんだのは『監視カメラ』の存在…500円程度でネコババしたと言われるのも心外である。正直に窓口に届けましたが、これは届けたからブログに書けることであって、ポケットにねじ込んでいたら決してブログには書かなかったに違いない。これが田舎の道端だったならば、結果は自ずと見えて来る。そして、次に頭に浮かんだ言葉が「何とケツの穴の小さい男よ。」という言葉…ちなみに「ケツの穴」を漢字で書くと『穴の穴』または『尻の穴』となるらしい。しかし、人の目は無くても、『監視カメラ』が知らないところで設置されている。聖人君子を気取るより、面倒なことには関わらないと無視を決め込む風潮もこうして出来上がるのかも知れないねぇ(笑)


『大盤振る舞い』も度量の内?

さて、他人から「倹約家」と言われるならばまだしも「ケチ」と言われると腹がたつ。締めるべきところでは締め、開放すべきところでは放出する…はて、『ケツの穴が小さい』とは、穴が小さいと出すべきモノも小さいと揶揄し、「ケチ」や「小心者」を指す言葉となったようでありますが、残念ながら、具体的な大きさは例示されていない。平均〇㎝と例示されても、自分で測る人はいないと思うけれど(笑)
はてさて、発生学では「後口動物」という分類がある。人間(脊椎動物)の場合は、口よりも先に排泄口が形作られるようでありますなぁ…。出すモノの量を図ってから入る口を作るのかは別にして、出る「結果」を推し量ってから「入る量(税金)」を決めて欲しいものではあるけれど、「結果」の出ないモノにもお金を使うから足りなくなってしまうような気もするが…。またぞろ始まった「大阪万博論議」…確か、同じ構図を「東京オリンピック」でも見たような気がする。『国民の過半数は開催に消極的か反対である。』と散々煽っておきながら、最後は『感動をありがとう。』と締めくくる。これからの世の中『ケツの穴』が小さい方が多勢の方が上手く行くような気もするのだけれど、所詮、他人のお金の場合は『ケツの穴』が大きい方が支持を受けるのかも知れない。そうそう『ケツの穴が大きい』という表現もあることを今朝知りましたよ(笑)

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ツッコミどころ?

2023-11-28 10:04:06 | 転職

「ガリバタ」って何だ?

昨夜の役員会に続いて、公民館の雪囲い作業…「何で月曜日に?」という声もあるけれど、現役労働者諸君の交代制勤務の日程を合わせるとそんな結果になってしまう^^;
時間的には前後逆転しますが、慰労にお昼を食べに行き、メンバーが訪れたことのないという地元のラーメン店に入店したのでありますが、「からしラーメン…辛、中辛、大辛」と辛さのランク付けは分かる。「塩、醤油、味噌」と味付けも分かる。しかし、「辛子味噌ラーメン」と「からしラーメン」の違いが分からない。ましてや「辛子味噌ラーメン」の「塩、醤油、味噌」という分類に疑問が…どうやら、『辛子味噌・ラーメン』のようであり、トッピングとして「辛子味噌」が付くようであると理解したのでありますが…。山形名物「辛子味噌ラーメン」は味噌ラーメンという固定された『常識』で物事を考えてしまうから、「辛子味噌」をトッピングするという考えが浮かばなかっただけ…頭が相当固くなっている^^; そして、『おやじぃ』がチョイスした「ガリバタラーメン」…注文してから「ところで、ガリバタって何?」なんて聞いているのだからお恥ずかしい。出て来てから「ガーリック&バターね。」などと納得しているのだから困りものである。ちなみに、「苦手な具材は抜けます。」とのお品書きであるから、「ニンニクとバターを抜いてください。」とお願いしたら、このラーメン一体何と呼ぶのやら?ツッコミどころが違うような気もするけれど(笑)


小雪・大雪に関わらずこれだけは

さて、来年からは「男結び」など出来ない役員体制となるから、「雪囲い」の勘所だけは伝えておきました。どうせ公民館裏手の窓ガラスが落雪で割れないように囲うだけだから、『見た目』を気にする必要もなく、板を縄でグルグルと固定しようが、堅結びで固定しようが『目的』は達成できるのだから…。そして、古老たちは言うに違いない。「今の若い衆は、男結びも出来ない。」なんてね。生活上、必要とされないから廃れるのであって、「雪囲い」もまた板留の金具さえ設置すれば『雪止め』は完成するはずである。
はてさて、「やらなければいけないこと」と「やらなくても済むこと」…年齢的にも色々と考えるところがある。以前なら、中段の足場に乗って上部の結索も出来たのだけれど、縄を締める度に身体が落ちそうで今年は脚立を準備した。思いとは別に身体が動かなくなっているのでありますよ。公民館の屋根の雪下ろしにしてもしかり…平屋部分は別にして、急こう配の前面は「今年から業者さんにお願いしましょう。」と提案してみた。果たして、降雪期に業者さんが見つかるかどうかもアテがある訳ではないのだけれど、高齢化した集落で転落事故など起こしてしまったら補償のしようもありませんもの…。この場合、「やらなければいけないこと」ではあるけれど、「やらせてはいけないこと」なのかも知れませんぞ。年齢構成を考えながら、頭は柔軟にしないとねぇ…相当固くなっているけれど(笑)

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三面鏡…

2023-11-27 09:35:28 | 転職

「おやじぃ」とネコの腕3本では…

「八面六臂」とは、多方面で際立った活躍をすること…事は、元神職宅から「一面六臂の弁財天座像」が出て来たことに始まるのでありましたとさ。ところで「臂(ヒ)」って何だ?デジタル大辞泉では「肩から手首までの部分、腕」と解説がありまして、別の漢字辞書には、加えて「動物の前足」という解説もありましたよ。「三面六臂の阿修羅像」なんかは有名だわねぇ。「三面」…少年期の反抗心、思春期の悩み、決意みなぎる青年期の顔と解説される方もいらっしゃるけれど、そんなものはとっくに卒業した『おやじぃ』の場合は、『六本の腕で何をつかむか?』を考えてしまう。一本目は当然のごとくお金をつかみ、コップを握りしめ、酒瓶を抱え、つまむ箸と取り皿を取って、残る一本は?待て待て、「三面」でお口が三つあるのだから、対応する腕はそれぞれ二本であり、結局のところ『一面二臂』と同じことであると、新たな『悟り』の境地を拓くのでありましたとさ^^;
まぁまぁ、突然、『自在の六本腕』を与えるからと言われても『寝耳に水』…日頃から、しっかり掴むべきモノを心掛けていないとこういうことになる。一本目は、オッカーへ労いの手を差し延べ、三本は子どもたちにあれこれと世話をやき、一本は筆(仕事)を握り、最後の一本でモノを口に運ぶ…これなら立派なものでしょう?しかし、兼業主婦のオッカーの場合は、六本でも足りなかったはずである。子育ても卒業し、残った三本で何を掴むか…これまた老後の『哲学』ではある(笑)


同時に食べても美味しくはないわ^^;

さて、凡人の『六臂』の使い方は別にして、出て来た「一面六臂の弁財天座像」をどうするか…役員会に諮ったところで結論がでる訳でもなく、結局のところ『寝耳に水』であり、まずは集落の住民に知らせましょうと総会に先送りすることで皆さん納得したようなしないような…本来、ありがたいはずの『座像』も『厄介モノ』扱い。町で『郷土史料』として保管していただけるならと他人任せで済むならばという空気も漂うところであります^^;
はてさて、人の顔は「一面」であり、鏡でも使わない限り、自分の顔を自分で見ることなど出来ないものである。かつて、神とは『鏡』であり、「自分自身を鑑みることである。」と語った先生がいた。なるほど、亡くなった叔母さん宅にあった『三面鏡』は「阿修羅」の鏡だったのかも知れない。折角、横顔の状況を確認するための『三面鏡』も首をひねったり、横目でにらまないと横顔は見れないもの。(子どもの頃に実証済み^^;)『八方美人』なるたとえもあるけれど、これとて、八方に顔は向けているはずである。いくら頑張ってみても、「八面六臂の活躍」には程遠い。だからこそ、神や仏の力に『三面』を作り出したのでありましょうか?猫と『おやじぃ』の『三臂』があっても、結局何もつかめないと悟ったところでありますよ(笑)

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「効果」の落とし穴^^;

2023-11-26 10:01:53 | 転職

一度も食べたことのない「キク」…

食物から得られる「効果・効能」…お口から摂り入れるモノではあるし、それで健康になれるならばありがたい。刺身に添えられる黄色い「小菊」は、彩りのためと思っていたのでありますが、どうやら「キク」には、生体内の解毒物質である「グルタチオン」という物質の産生を高める効果があるらしい。(㈱ポーラによる研究成果)しかし、「キクにはグルタチオンという抗菌物質が含まれている。」という記載もあり、そのため、刺身の「ツマ」に使われていると解釈されている方もいらっしゃる。「わさび」も同様で、生わさび、チューブ入りわさびetc.を培地に使って「抗菌性」があるかを調べた方もいらっしゃる。確かに効果はあるようなのだけれど、そもそも「抗菌」という言葉自体が「菌の増殖を阻止することではあるが、対象や程度を含まない概念」とされているから、人体内での効果と言えば、「グルタチオン」が産生する前に、当の刺身は消化されてしまっている気がする^^;
「美白効果」「アンチエージング」etc.…消費者の購買意欲をくすぐるような商品は様々あるけれど、インビトロ(人工的条件下)の研究成果が、インビボ(生体内)で起こるという解釈は少々危険な香りがする。「菊花」は古代より中国で「延命長寿の花」とされてきたようであるから、効果・効能を信じて食べるという程度に留めておいた方がよろしいのかも知れない。第一『おやじぃ』は、刺身のツマである「小菊」を一度も食べたことがないのである(笑)


「サンシュ」か「サンショ」か?

さて、「庭の山椒(さんしゅう)の木~♪鳴る鈴かけて~♪」…宮崎県民謡の「ひえつき節」が元歌なのだけれど、こちらの歌詞は昭和になって作詞されて全国的に知れ渡ったらしい。我が親父は、「山椒(さんしゅう)」を「さんしゅゆ(山茱萸)」と勘違いしていたようである。「山椒」の木に鈴を掛けて、それを鳴らして男は来訪を告げる…姫は馬に水をやると言って外に出る。何とまぁ、昭和らしい『逢瀬』の表現ではあるけれど、今なら携帯、ラインでチャッチャッとなんてね。勘違いして送信したら、途端に『着拒』されてしまう時代でありますから^^;
はてさて、「効果」というものは、次第に現れるところに魅力があるのかも知れない。『時短』がもてはやされる時代に生きていると、即、「効果」が有りや無しやという結論を急いでいるような気もする。菊の花には抗菌効果があり、次第しだいに「グルタチオン」という解毒物質が産生されて健康づくりにはよろしいと解釈すれば効果あり。刺身と同時に食べても意味はないと考えれば効果なしということになってしまいますわなぁ…。庭の木の鈴を鳴らして、彼女が出て来てくれれば『脈あり』…『着拒』されたなら『脈なし』…それでも、いつかはコチラに目を向けてくれるかも?この場合は「ストーカー」だったりしてねぇ。他人の「健康によろしい。」「あの人は素敵だ。」という感情にチャチャをいれるもんじゃないわなぁ(笑)

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まちがいさがし…

2023-11-25 10:41:17 | 転職

秋田県では「ザッパ汁」というらしい^^;

我が親父は「さんぱ汁」と言っていた。恐らく漢字に直すと『残端汁』というところに落ち着くと思うのだけれど、検索しても『残端』という言葉は出て来ない。『残飯汁』では恐ろしく、寿司店や小料理屋で「アラ汁」として提供されればオシャレではある^^;
子どもの頃は、「血合い」も含めて煮込んでいたような気がするから生臭く、お子ちゃまの口には合わなかったのだけれど、下処理をして煮込めば良い出汁が出て美味しい。昔「ネコちゃんに食べさせるの…。」と言って買い求めた主婦と「これ煮込むと美味しいんですってね。」と言って買い求めた主婦のお話があったような気がする。猫のエサを人間が食べているのか、本当は煮込んで食べるのに、『残端(アラ)』を買い求めることに恥じらいを感じて『猫のエサ』と言ったのかは分からない。昔は『貧乏臭く』感じたお料理も、一旦『市民権』を獲得するとお品書きにも登場するから不思議である。元々、『食』というものは、命をつなぐために貪欲なものだったに違いない。むしろ「ネコちゃん」の方が、小骨もない『フード』を食べさせられているのだから、立場が逆転しているような気もするが…。まぁまぁ、骨にこびりついた肉まで食べ尽くすのだから、『フードロス』に対抗するには至高の料理ではある。ちなみに「ふかひれ」は、その物を利用するために取られるから『アラ』とは呼ばないようである。あはは、お金になるかどうかで評価が変わる(笑)


赤い実も食べたぁ~♪

さて、今朝のお題の『まちがいさがし』…2019年に米津玄師さんの作詞作曲で、菅田将暉さんがリリースした楽曲のようである。『間違い探し』というゲームパズルは、微妙な絵の違いを見つけ出すゲームではあるけれど、脳トレにはすこぶる良いらしい。いずれにせよ『まちがいさがし』の旅を続けたところで、何が『正解』で何が『間違い』だったのかなんて分かるはずもなく、自分自身が『正解』だったと思い込むことで、自分自身を納得させているような気もするけれど…。
はてさて、『まちがいさがし』に似た言葉で『粗探し』という言葉がある。(「アラ汁」の話題から「粗」を強引に引っ張り出すところが素晴らしい^^;)「他人の失敗や欠点をことさらに探し出すこと。」の意味ではあるけれど、人にはそれぞれ『アラ(粗)』があるもので、これを捨て去るか美味しく調理して食べるかは、これまた利用する方によって様々なようでありますよ。「ふかひれ」のヒレが高級料理に使われるから『アラ』とは呼ばないように、高級食材に変わる『粗』は、美味しく調理すると『スクープ』という高級ネタになるらしい。本来は『ネコちゃんのエサ』程度のネタを、人格まで傷つけるような記事に仕上げてしまうのも如何なものか…散々もてはやしてから、一気に下げる得意技。良い部分に目を向け、捨て去る部分は飲み込んでしまうのも『大人の対応』だと思うのだけれど、お金になりそうな話題には飛びついてしまうのよねぇ…ネコは見向きもしないと思うけれど(笑)

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「ろうろう」とは…

2023-11-24 09:18:04 | 転職

「サンシュユ」の実も色付いて…

仕事部屋に閉じこもってアルバイト作業をしていたら、窓際に「シジュウカラ」の訪問を受けました。「シジュウカラ」は留鳥であり、雑食性とのことだから居てもおかしくはない。『おやじぃ』は、虫を中心に食べていると信じ切っていたから、「雪も降るから、そろそろ雪の無い南へと行った方が良いのではないかい。」などと窓越しに余計な心配をしております。最近は、『優しい心』というよりは、小動物を見ていると子や孫を見るような目線になってしまったような気がする。それぞれが『生業』を立てて生きているのだから、年寄りのやはり余計なお世話ではある^^;
そんな『おやじぃ』の夢に『ろうろう』という四文字が出て来た。①「朗々」…音声が澄んでよく通るさま。(子どもの頃の声は響くものである^^;)②「浪々」…さまよい歩くこと。(人生の意味を考える日々もあったっけ^^;)③「朧朧」…おぼろにかすんださま。(最近は、記憶もかすみがち^^;)④「老々」…非常に年老いたさま。(まだ、この域に達する訳にはいかない^^;)と、漢字に直して並べ替えてみたら人生のようにも思えて来た…。英語に直せば「Row! and Row!」…漕げや漕げといったところですかねぇ。幸せという『船着き場』を目指して生きてきて、振り返ってみたら、そこは『三途の川』だったりして(笑)


そろそろ、外仕事も辛いわ…

さて、「日中、人が居ない。」と会議等で繰り返し訴えても、現職で勤めている方にはピンとこないのかも知れない。日中(夜勤であっても)勤めてさえいれば、自分たちよりは若い世代との交流がある訳だから致し方ないのかも知れない。この5年間を振り返っても、お茶飲み友だちを訪れる年寄りたちの姿さえめっきり減ってしまいましたよ。子どもたちは、幼稚園、小学校へと消え、外遊びする姿を見掛けない。中学生は町内1ヶ所の中学校へ通い通学する姿を見掛けるのは朝と夕方だけである。年寄りたちさえ、デーサービスに通い、家に残っているのは自営業者か、少々動けるけれど足(交通手段)のないお年寄りばかり…「防災」などと言われましても、日中に動ける人が居ないのでありますけれどねぇ…。
はてさて、コロナ禍を何とか乗り切り、『以前の日常を』という掛け声は耳にするのだけれど、この5年間で、『やらなければいけないこと。』と『やらなくても済ませられること。』の別が切り分けられるようになった気もする。『しきたり』や『行事』などというものは、その最たるモノではなかろうか?鬱陶しいモノは切り捨てる…これはこれで『便利』ではある。個人や家族の生活を守ることで精一杯なのだから、それはそれで仕方のない時の流れなのかも知れない。「シジュウカラ」の食べ物を心配している余裕などありましたっけ?『田舎街は始終空』ではオチにならないけれど、行きつく先は『ろうろう(朧朧)』と見えてくる気がするのでありますけれどねぇ…笑えない。

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白い蝶のサンバ…

2023-11-23 10:09:16 | 転職

愛と美と豊穣の女神「アフロディテ」…

「あなたに抱かれて わたしは蝶になる~♪」…1970年1月に発売された森山加代子さんの曲の一節をご存じならば、あなたはそれなりのお年頃に違いない(笑)
「コチョウラン」を花を見ながら、「胡蝶」にまつわるお話はないかと検索していたら「胡蝶の夢」という「荘子」の故事がありましたよ。「私(荘子)が蝶の夢を見たのか、蝶が私(荘子)の夢を見ているのか?」…『おやじぃ』が口にすれば、途端に『錯乱』したかと勘違いされだろうけれど、そこはさすがに「荘子」である。「生と死」「大と小」「美と醜」etc.の区別は人間の「知」が生み出した結果であり、見せかけの世界であると喝破するのでありますが…。
しかしである「コチョウラン」の学名P.aphrodite はギリシャ神話に登場する「愛と美と豊穣」の女神アフロディテに由来するらしい。洋の東西を問わず「美」への憧れや関心は高く、花にまで女神を持ち出す始末でありますよ。一方、「ヘクソカズラ」「バッコヤナギ」etc.とご本人の意思とは関係なく『不名誉』な和名をつけられてしまった植物もある。「名前」もまた、この世の仮初めのものであると達観できれば良いのだけれど、一生付きまとうものであり、植物の場合は『子々孫々』まで、その名が引き継がれると思えば『憐れ』と感じてしまうのでありますよ(笑)


今夜も慰労の晩酌会…

さて、集落神社の『御神体』騒ぎ…『おやじぃ』からすれば、「そんな偶像崇拝は止めなはれ。」と一蹴したいところだけれど、『集落の長』とすれば、それぞれの意見は聞くべきだとも思っている。問題なのは『他人からの伝聞』に自分の意見を添えてお話をされる方…実物を見ていないのでありますよ。さすが、アイドル(idol:偶像)…その人や物の本当の姿を知らないのに、勝手にイメージを創り上げてしまう。これもまた『仮初め』のモノに違いないはずなのだけれど…。
はてさて、「白い蝶のサンバ」…題名もさることながら、お子ちゃまの『おやじぃ』には、歌詞の意味がよく分からなかった。(今でも分かっていないかも^^; 愛され弾む女心…作詞は、男の阿久悠さんだもの。)『白い蝶』も『白い蛾』も分類学上は同じ鱗翅目であり、『区別』はつけないのだけれど、接客業の場合は『夜の蝶』などとも表現するから、日中に飛び回る『蝶』には華やかさ、美しさをイメージしているフシもある。吸密するために『花(男)』から『花(男)』へと渡り歩いたとしても、いつかは『花(私)』に来てくれるものと期待しているフシもある。いや、居たいた一か所に居座る『蝶』が…11月22日は「いい夫婦の日」であるから、今日だけは『蝶』とお呼びすることにいたしましょう(笑)

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宝物と『たからもの』

2023-11-22 09:43:06 | 転職

「生活道路」ではありませんが…使う^^;

個人が開設する「米沢方言集」には出て来ない方言に『たからもの』がある。親が子どもに対して使うのだから『宝物(者)』と思いたいのだけれど、大人が子どもに対して𠮟りつけるときに発する言葉だから、『我が愛しき息子よ』と愛情表現している訳ではなく、反対に『無能、道楽、怠け者』と罵っているのでありますよ(笑) 宮城県史や宮城県南地方の方言として掲載があるようだから「伊達家」にちなむ方言なのかも知れない。なぜ『たからもの』が『怠け者』となるのかは分からない。自慢気に飾る『宝物』は、処分すれば「お金」になるかも知れないけれど、手放す訳にもいかず、結局のところ実生活には役に立たないということかしらなどと勝手に解釈しております。
そうそう、JR東日本より『赤字路線』が公表されまして、山形県関連では羽越本線(鶴岡-村上区間)の約49億円を筆頭に、5路線7区間で総額113億円超の赤字のようであります。これに工事不通の陸羽西線と災害不通の米坂線が加わるはずだから、小さな市の一般会計予算を上回るような勢いでありますよ。生活者目線からすれば、地方には無くてはならない『宝物』ではあるけれど、経営陣や利用しない方からすれば『たからもの』的存在かも知れない。「廃線」などという問題が提起されれば、地元では大騒ぎになるかも知れないけれど、赤字額を示されただけでは「へぇ~。」くらいでスルーしてしまう。『地元の大切な足ですから…』などと言っても、その実は利用していないのである。


『お宝』が出て来ましたけれど…

さて、神職だった『安山先生』が亡くなり、その後継者もお亡くなりになって空き家となった家屋…遠方に暮らす関係者は、処分して欲しいとのご意向とお聞きしておりますが。あらまぁ、町の文化財担当者と地元有志が調査をしたら、我が集落にも所縁のありそうな仏像etc.が出て来たようである。「弁財天のご神体かも知れない。地元神社で引き受けられないか?」などと急な話が持ち上がりまして、また聞き情報では埒があかないと当の町担当者に確認してみたら、民俗資料として町で寄贈を受ける予定との返答でありましたよ。(良かったよかった^^;)
はてさて、貴重な『財産』ではあるかも知れないけれど、引き受けるとなれば『無沙汰』にもできますまい。正直なところ『宗教色』を除いたとしても、我が子や孫たちの世代にとっては『お荷物』になるものとの思いが強かったのでありますよ。少子化で『墓じまい』があるとすれば、『神社じまい』『お宮じまい』もアリではないかなどとも考え始めている。(信仰心の強い方が継承するというのであれば、それはそれで良いのでありますが…。)鉄路もお墓も神社も『同列』扱いかい?『無いと困るモノ』…人それぞれではあろうかとは思いますが、いずれも人が支えなければいけないものではある。無くしてしまってからでは、復元は不可能に違いない。『宝物』であるはずの地方路線も『おやじぃ』は何年利用していないのだろう…『おやじぃ』自体が『たからもの』ではあるが(笑)

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ピンコロとヨタヘロ…

2023-11-21 10:29:02 | 転職

「朝定食」は炭水化物の塊である^^;

このところ活動が鈍っているので、その日の『お題』に詰まること度々であります。ましてや、アルバイトの事務集計作業で、終日PCの前で格闘中だから、余計にネタに困ってしまうのであります。そんな中で、今朝は『ヨタヘロ期』…評論家 樋口恵子さんの造語らしいけれど、若い頃から女性問題を論評し続け、90歳を超えてなお意気軒高だから頭が下がる。(とは言え、男性が叩かれるから『おやじぃ』にとっては苦手な存在かも知れない…当然、面識はない^^;)エッセー集である『老~い、どん!』のタイトルだけで笑わせていただきました。(読んではいないけれど^^;)
「ピンピンコロリ」を願いつつ、女性は圧倒的に「ヨタヨタ、ヘロヘロ期」を迎える。なるほど、男どもは三大成人病で意外と簡単に『コロリ』と逝ってしまうのかい。朝から体力増強のために「かけそばと納豆ご飯」の炭水化物攻めだもの、短命であっても仕方がない。問題は、誰しもが迎える『ヨタヘロ期』をどう過ごすかということかも知れない。30代では20代以前の体力が頭に残り、40代では30代の体力をイメージする。実際の動きは別にして、どうやら体力だけは10歳ほど若くサバを読んで記憶しているようなのだけれど、60代に突入して、ハタと体力の衰えを感じるようになりましたよ。50代なら容易に出来たことが、現実には出来なくなっていることに気付いてしまうんですなぁ…若くサバを読み続けられればしめたものでありますが、現実のギャップを感じてオロオロし始める。60代初頭は、『ヨタヘロ期』ではなく『ヨタオロ期』なのかも知れませんぞ(笑)


「色づく」と思えば前向きで…

さて、クロロフィル色素が『減衰』し紅葉、『落葉』すると考えれば、『衰退』をイメージしてしまいますが、「色づく」と思えば、未だ『成長』の途上のような気にもなる。『葉(歯)が落ちる』ことには変わりはないのだけれど…。本来、人生とは『未経験』の連続であるはずなのだけれども、一定の時期までは、肉体的にも精神的にも『成長』しているから感じない『衰え』も、一旦『衰え』を感じ始めると、得体の知れない『不安』が到来するようである。しかし、これも誰しもが通るべき『未経験』の一部でしかないはずなんでありますけれどね。
はてさて、昨夜は区長として「まちづくり懇談会」なるものに出席しましたが、高畠町の出生数も令和5年度は100人を切りそうであるとのお話がありましたよ。『おやじぃ』が30代の頃は400人ほど生まれていたはずなんですけれどねぇ…。『団塊の世代』が後期高齢者に突入すると言われる『2025年問題』…今までの『高齢化社会(高齢者が長生きする・増える)』のとは違う、子どもたちが生まれないことによる『高齢化率上昇社会』に一気に拍車が掛かりそうな気配であります。これまた『未経験ゾーン』への突入であります。20年後、今の『ヨタオロ期』は恐らく『ヨタヘロ期』に至っているに違いない。人は『ピンコロ』を願っても、町が『ピンコロ』という訳にはいかないもの…全国共通で起こる現象には違いないのだけれどね。

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