ひとりでも制御不能なのにねぇ…
大河ドラマ「春日局」は、1989年橋本壽賀子さん脚本のドラマだったようである。日がな一日、古いテレビドラマを観続け(というより流し続け)、遂に面白味を感じなくなってしまいましたよ。古いドラマで「大奥」のタイトルを見つけ、たまには時代劇をと観ていたら「春日局」が登場いたしましてね、お万の方を『還俗(げんぞく)…僧侶を捨て俗人に戻ること』させたとか、家康公に拝謁したとかの場面が出てきまして、史実としてはどうなのよなどと調べた次第。(冬の雨に暇を持て余しておりますよ^^;)
結局のところ、諸説あって少々検索したところでは分からない。「大奥」さえドラマでは『建物』として描かれているけれど、江戸城絵図などを見る限りでは、結構広いエリアを占めていたようである。最盛期にはお女中の数も1,000人とも3,000人とも諸説あるようだから、そりゃ~広大なエリアが必要だわねぇ^^;
『奥のことは奥に任せてある。』などと、素知らぬ顔を決め込むご主人も、幕末には「表」の政治の舞台が、「大奥」にも持ち込まれ政治工作が行われたような記載もあるから、『それなり』の権力を持っていたに違いない…いや、「表」の顔はご主人でも、操っているのは「奥方」という構図は、今の世の中のことだけではなさそうである(笑)
「御台所」は北条政子が始まり?
さて、「将軍家の血筋(男子)を守り繋げるため。」…当時の考え方をここでとやかく言うつもりもございませんが、「世嗣(せいし)」となる男子を産んだ正室は2代将軍秀忠の妻「お江与の方」だけだったようである。つまりは『お世継ぎ』として男子にこだわると、側室の子ということになったのかいと今さらながら驚いております…これ以上は言及すまい。
はてさて、日本史には出て来ないだろう日本史…男子中心の、それも当主にまつわる家伝、書簡などから類推せざるを得ない事情もあるのだろう。当然、美化、脚色されている箇所もあるだろうから、『史実』というものもかなり怪しい。ましてや「大奥」の内部情報に関しては「他言無用」であったろうから、これまた曖昧な部分が多いに違いない。待て待て、現代でも「大奥」に似たような女性主体の組織もあるような気もするが…。「男だから」とか「女だから」という性別によるゴタゴタと言うよりは、『組織を守る』という概念に「男」も「女」もさほど違いはないような気もする。「廃部」「解散」「名称変更」etc.それぞれの組織問題の解決策として今も用いられている手法ではありますが、『人間の性(さが)』というものは、そうそう変わるものじゃない。寒風にさらされて鼻水を流す『青オニ君』のように、ひとり取り残されている『おやじぃ』が何をいうってね(笑)