「ああ、参った参った、参った狸は目を見りゃ分かる。死んだ雑魚(ざっこ)も目で分かる。」などと拍子を付けながら口ずさむものの、本当に参ったのならば、ぐうの音も出ない。我が在所では「狸が参ってた。(死んでいた)」などと古い人間が使ったりもします。
4日前のブログで「とんぼのめがね」と題して所感を書きましたが、『オニヤンマ♀』が飛び込んで着ました。正確に言えば、お亡くなりになった「ヤンマ」を拾いましたということなのですが、最近、昆虫のお目めに興味が湧いてクローズアップしてみます。太陽の光の加減かもしれませんが、死後一昼夜経過したヤンマの目は、気のせいか光を失っているように見えました。猛スピードで飛び回るヤンマを捕虫網やカメラに捉えることは、素人には無理な世界であり、こうしてガラス窓に激突したと思われるトンボを写すのが精一杯でありますが、全身にクモの巣を絡めた最期の姿を見ておりますと、彼女の人生(いや、虫生)もこの夏完全燃焼したのだろうと勝手に想像しております。
眼光人を射るなどと申しまして、生き生きした人間の目は輝いているなどと言われますが、自分の目はまだ輝いているのだろうか?力強く飛んでいるのだろうか…などと考えてしまいます。まぁ、ガラス窓に激突するのも時の運。目先のことさえ分からないのに、見えないガラスを恐れて飛んでいては、成ることも成らんなどと、ひとり哲学しております^^;
4日前のブログで「とんぼのめがね」と題して所感を書きましたが、『オニヤンマ♀』が飛び込んで着ました。正確に言えば、お亡くなりになった「ヤンマ」を拾いましたということなのですが、最近、昆虫のお目めに興味が湧いてクローズアップしてみます。太陽の光の加減かもしれませんが、死後一昼夜経過したヤンマの目は、気のせいか光を失っているように見えました。猛スピードで飛び回るヤンマを捕虫網やカメラに捉えることは、素人には無理な世界であり、こうしてガラス窓に激突したと思われるトンボを写すのが精一杯でありますが、全身にクモの巣を絡めた最期の姿を見ておりますと、彼女の人生(いや、虫生)もこの夏完全燃焼したのだろうと勝手に想像しております。
眼光人を射るなどと申しまして、生き生きした人間の目は輝いているなどと言われますが、自分の目はまだ輝いているのだろうか?力強く飛んでいるのだろうか…などと考えてしまいます。まぁ、ガラス窓に激突するのも時の運。目先のことさえ分からないのに、見えないガラスを恐れて飛んでいては、成ることも成らんなどと、ひとり哲学しております^^;