なかなかどうして…上手に張れましたよ^^;
今年の集落役員は、『おやじぃ』の同級生2人と一学年下のオジサン1人の四役体制であります^^;
若い頃から神社祭典の維持など一緒にして来たのだから、気心知れた仲間ではあるのだけれど、「交代制勤務」と言うやつで、中々時間の調整が難しいのでありますよ。集落で購入し、道路拡張後に町に寄託した空き地は、夏場は花壇、冬場は雪の堆雪場として有効に利用しているのでありますが、今度の日曜日は花壇の花植え作業…事前の準備でマルチ張りをしなきゃ~ねぇ。(かつては「老人クラブ」のお仕事、みんなでやればetc.…いつの間にか事前準備と管理は四役のお仕事となってしまいましたよ。)
「花なんか誰も眺めていない。」「何故花植えしなきゃならないの?」と貴重な?ご意見も頂戴しておりますが、年に何度かの集落行事のひとつ…「花を植えること」が重要なのではなく、顔を合わせて近況を知ることの方が、物事(有事)が起こったときの備えではないかと考える『おやじぃ』であります。
今年は思い切って、一列分の土を剥ぎ取り、砕石を敷き詰めて面積を狭くしてみました。(工事は委託)通路も狭めて、除草剤の散布面積(管理面積)も極力減らす努力をしましたけれど…四列目のマルチ張りは、「もう良いんじゃねぇ?」という声も…。結構な『ひまだれ』でありますよ。まだ、我が農園の定植作業も済んでいないと言うのにねぇ…。『ひまだれ』とは、我が在所で「時間を浪費する。」という意味の方言でありますよ。
『エンジリウム』の一種なのかなぁ?
草花の手入れをして、花を愛でるという行為は、心にも身体にも余裕がないと出来ないんじゃないかなぁ?「花植えは、老人クラブの担当である。」…「まだ、一律に年寄り扱いされるのは叶わない。」と、集落の「老人クラブ」が消滅してしまったのはいつの日か?思えば、『おやじぃ』だって「老人クラブ」への加入資格のある年齢になっているではないかいな^^; それでも65歳まで現役として働き続けなければならないのだよ。同級生のひとりは、早出、遅出、夜勤シフトの三交代勤務に身体が続かないとボヤキ始めている。「辞めたい。」…「60歳過ぎて、容易に次の仕事が見つかるならばねぇ。」などという会話が成り立つようになってしまいましたよ。
「それより、オラだの下の年代は鍬を握ったこと(農作業)もなかんべぇ。果たして続けられるの?」と『悪魔のささやき』が…そう誰かが、どこかで「止める」ことを決断しなければならない時が来るはずである。かつて、集落の若い衆が担っていた「祭典」も、集落役員が担うことになったことと同じ。『崇高な思い』だけでは続かないのよねぇ…どうしたって楽な方向に流されてしまうもの。
外は「雨だれ」が…我が家のマルチ張りも終わらせなければ。ところで、方言の『ひまだれ』を漢字で書いたらどうなるの?『暇を垂れる』なのか『暇なのは誰』なのか?「暇」なことは、勤勉な日本人にとっては罪悪なんでしょうかねぇ?本当は、心身の余裕、ゆとりというものが必要なはずなのにねぇ…『おやじぃ』は、結構、暇してますけれど(笑)
#戦争反対 若者たちを戦地に送り出してはいけない。そんな思いや時間に『ひまだれ』とは言っていられない。