刺し身(差し身)が上手い相撲取り^^;
『貧乏神』は、薄汚れた老人の姿で、瘦せこけた身体で顔色は青ざめ、悲しそうな表情で表れると言う。『疫病神』と違って、悪い疫病を流行させる(殺生する)訳でもないから、積極的に招こうとも思わないけれど、八百万の神々のひとつであるから上手にお付き合いすれば良いだけである^^;
友人『ノロ社長』は元請け先(さらに上位の元請けが多数あるのだけれど…)年末の支払い遅延に合って青ざめております。結果は、孫請け、ひ孫請けへの支払いに影響するのでありまして、一旦は、年末で精算するという『商い慣行』を無視したようなやり口に『おやじぃ』とて義憤を感じておりますよ。嫌なら取引を止めれば良いではないか…と行かないところが『厄介お上』の厄介な所以である。
はてさて、年末の大雪で、集落の神社境内も参拝出来ない状態…当番の氏子総代が除雪するはずなのだけれど、自宅の前さえ除雪していない状態だし、除雪機も所有していないから、大晦日の除雪作業は難儀するだろうと中古の除雪機を運んで、参道の道付けをいたしましたよ。(こうして何もしなくても、救ってもらえる者は救われる。)神様は、「どうぞ初詣にいらっしゃい。」と自ら道付けをする訳ではないから、結局のところ、人を救うのは「人」なのである。こうして、何もしなくても救済される者たちと、『お節介な神様』が存在する事で世の中上手く成り立っているのだと納得することにする。(頭に来たので、神様に手も合わせなかった^^;)
『一夜飾り』は「歳神様」に不誠実だって…
29日は「苦が付く」「憎しみまでついてしまう」からと「餅搗きはするな」と教え込まれた。(土地柄によっては『福(ふく)』と読み替えて餅を搗くところもあるという。)ならばいつ搗くのよ…28日はまだ働いているし、31日では忙しなく、鏡餅が固まらない…で、30日に餅を搗くと今度はお供えが『一夜飾り』となるから、歳神様に不誠実な行いであると忌み嫌われるらしい^^;
まぁまぁ、「新しい年を迎える準備は、余裕を持って」という後の人々が作り出した『戒め』であろうと理解して、ならば『おやじぃ』は、「家族が一年間無事に過ごせたこと」と「一緒に汗を流した農機具」と「竈(火)」と「水回り」や「土」「収穫」に感謝して、『八百万の神々』にお供えすることにいたしましょう。さすがに「八百万個」の鏡餅は準備出来ないので、自家用のもち米は「800万粒」使っておりますと過大なウソをつく^^; 『歳神様』には不誠実でも、何とか年内中に間に合いましたと言い訳し、『貧乏神』にも、何とか糊口をしのぐ程度の生活はしていきましょうと互いを慰め合い、『疫病神』には、「あんだ存在感あり過ぎだったから、餅でも食べて丸く収めてちょうだいな。」と説得工作を試みることにする。
色々あった2021年…救ってくれたのも、救ってくれるのも「人」ですよ。と一年を締めくくり、皆様に良い年がおとずれることをお祈りして、今年最後のブログを閉じることにしますかね。仕事納めも仕事初めも除雪作業の予感がするけれど(笑)