予告していた、「福島の光と影」中筋純写真展が始まりました。鎌ケ谷市のきらりホールという新京成線初富駅から直ぐなので、大変便利な場所です。お近くの方は勿論、遠くからの方も是非、見に来て下さい。 「もやい展」とか、他のアーティストとコラボした大規模展示が多かった中で、中筋さんだけの写真展は久しぶりだということで、小さい会場で大丈夫かとの懸念もありましたが、素晴らしい展示に圧倒されるような写真展になっていました。
まずは、入ると、狐さんがお迎え。東京オリンピックの聖火リレーのスタート直前に全線開通した常磐線。新しくなった双葉駅の前に行くと、こけら落としの賑わいのあとは、狐以外に人影はなかったという。
狐さんの左に、この展示へのごあいさつが書いてあります。中筋さんをご存じでない方は、しっかり読んで入っていただくのがお薦めです。
狐さんの右には、福島の「夜の森桜並木」が封鎖された向こう側に立ち入り禁止だった時の写真がありました(照明が反射して、写真は至難で、きれいに撮れませんでした)
そして、この展示の奥がパネルで囲まれて一つの部屋になっていました。そこに「未来」という双葉町の原発の町の象徴のような看板の一部(今は撤去されてしまった)と、その下にこの看板の標語「原子力 明るい未来のエネルギー」を小学生の時に考えた大沼さんの目がありました。
この目は、日本全国40箇所をまわりながら、人々が思いのままに書いた言葉が書き重ねられています。瞳の中で、これから外される看板の最後の姿が見えています。
この部屋の一番奥には、福島原発の全景と、この原発が電気を送り続けた東京の明るい風景(上)と、閉鎖された町に暗い闇が広がり、薄暗い看板の奥に用をなくした信号が小さくともった写真(下)の明暗がくっきり。電気を当たり前に使ってきた私たちには、胸に迫ってくる写真です。すべての写真は、掲載仕切れないので、今度は、狐さんのところに戻って、左のコーナーを見ると、こちらは、チェルノブイリの写真になっていました。
放射能汚染の禁止地区で、自ら故郷に住み続ける選択をして農地に力強く立つ農婦の写真と、誰もいなくなった保育園の園児たちの声がなくなった部屋で、美しく成長した植物の写真が並んでいました。この農婦の写真と、大沼さんの目の写真は、中筋さんの写真展では、いつも入り口近くで必ず会える象徴的な代表作です。
振り向いたところには、こんな写真が。
この写真は、上の写真は中筋さんが双葉町の原発から北へ4キロの津波跡地で撮った枯れ木と上ってきた太陽。それが、偶然目にしたウクライナの子どもが、学習の中で「チェルノブイリの灼熱」のイメージを描いた絵(下)にそっくりだった驚きについて不思議な「共時性」として説明が書かれていました。こういうことがあるのか。
入り口に戻って、さっきの部屋の裏側に、これも、人々が突然去って残されたスーパーの痩せ細った大根の写真が・・・
入り口からは、右には、浪江町の商店街の変遷を歩きながら感じられるストリートビューが3本展示されていました。これも中筋さんの展示では欠かすことのできない写真。上から2014年、2016年、下が2020年の同じ商店街の写真(パネルスペースで2018年はカット)
最初は人が入る事が許されず、人が忽然といなくなり誰もいなくなった商店街が、そして2016年には工事の人の姿がポツリと入り、2020年には解体が進んで行き、最初は見えなかった背景も見えてくる。さて、この解体後は・・・
と、走るように紹介してきましたが、まだまだ紹介できていない写真がたくさんあります。ですが、残りは見に来ていただければと思います。見に来られない方は、写真集があるので、是非、迫力は写真展とは違いますが、ご覧下さいませ。
ところで、最後にもう一カ所だけご紹介するのが、下の写真です。今回の展示でこのコーナーを見た時には、もう心から中筋さんに脱帽しました。
先ほどのストリートビューの背中が上の写真になるのですが、会場の外の自販機の飲み物を飲んだりするフリースペースになっています。そこに座る人たちにみてもらえるように、ここにも、福島の写真が展示されていました。
福島のことを知ってほしい、忘れないでほしいという思いが、溢れている!
1枚1枚の写真が、伝えきれない思いを、福島の人々の心の叫びも、代弁してここにいる。
そう思えました。
中筋さんのたった7日間の写真展。ここを通る人々に、きっと写真立ちが、思いをしっかり伝えてくれることでしょう。
このブログを最後のここまで読んで下さったあなたも、福島のことを忘れないでください。
自分の家のコンセントの先で起こったこと。そして、今、どうなっているのかということを。