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月の満ち欠けに時の流れを感じながら、皆でそれぞれの持ち時間を楽しく意味あるものにしていきたい。

「お迎え月」といっしょに帰る

2022-01-12 21:27:37 | 知ろう福島のこと

   今日も、仕事を終えて外にでると・・・お月様が「お迎え」に来てくれていました。

   <2022年1月12日15:05>

   12:31に出てきたお月様、何だか小さく見えますね。信号待ちしながら、撮りました。

    もう、半月ではありません。真ん中が膨らんでいます。

    

    ふらふら、夕飯を買いながらまだ空いているデパ地下で美味しそうなものを見つけて帰宅。夕飯を食べ終わってベランダから見上げるようにして空をみると、アリスタルコスもしっかり見えるようになったお月様が、きれいに空で輝いて見えました。

     *アリスタルコスではなくて、これはコペルニクスのようです。お詫びして修正します。(2022-9-9)

     

     さらに、時間が経ってから夜空を見上げてみたら、月のそばには冬の星座達が輝いていました。真ん中にオリオン座、その右上に牡牛座、月のそばにはプレアデス星団が見えているような見えていないような(苦笑)。あなたも、空を見上げてみて下さい。寒いのでやや心が挫けそうですが、空を見上げて広がる冬の星空は、賑やかで頑張ってみるに相応しい感動をあなたに与えてくれるはずです。

    今日も無事に1日を過ごすことができたことに感謝して。明日もいい1日になりますように。   

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夕空にお月様が上っています

2022-01-10 17:36:46 | 知ろう福島のこと

   今日も寒い1日でした。ちょっと外に出る気にならない。惑星達は見られそうだけれど、お月様は気を利かせて私のベランダから見えるところに来てくれているし。という訳で、惑星はまた次の機会にして、お月様だけですが・・・

    

     ちょっと快晴とは言えない空ですが、ちゃんとしっかり、いい姿勢でポーズを決めてくれました。

     そうそう、天体ではありませんが、家で閉じこもって外にでない私を訪問してくれたのがいました。鳥さんです。

    

     「僕のこと撮っているの?」「そうだよぉ」

     「名前知ってる?」「知ってるよ。シジュウカラ君でしょ」

     「そうか、背中も見てみたい?」「見せてくれるの?」

         

       ちょっとウグイス色のような背中に、「ウグイス?」と思ったのですが、シジュウカラの特徴ある顔のツートンカラーと、背の白い線を見せてくれました。

       訪問者に感謝します。

       そうそう、私のサイトをご訪問下さったあなたに、私からプレゼントです。ピアニストの辻井君がどうやってピアノを弾けるようになったのかと、楽譜を目で追いながらも下手くそでちゃんとピアノが弾けない私がみつけた辻井君のピアノ学習エピソード動画。

       幼い時から指導してきた先生とのレッスン映像から、その先生の手から飛び立つまでの貴重な記録動画です。youtubeのココからご覧下さい。この先生がいなかったら、辻井君の才能はどうなっていたのだろうか。先生にも大きな拍手を送りたくなりました。そして、ご両親にも。

      

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月が木星から離れました

2022-01-08 20:07:49 | 知ろう福島のこと

   まだ、少し雪が残る底冷えのする関東。でも、空は晴れて雲一つなく、夕方になると月が青空に見えました。

       

      暗くなると、さらにくっきりと見えるようになったお月様。

          

         ああ、きれいなお月様ですねぇ。だんだん木星から離れているお月様ですが、今日ならまだ木星とぎりぎり写真が撮れるかな?

                

        こんなに月を小さくしてやっと右下に木星が入ったのですが、大きい画像でみると見えましたが、アップしてみたら消えた!? という訳で、これからしばらくは月は惑星から離れて行って、冬の星座に向かっていきます。今、夜8時、9時になると賑やかなオリオン座で有名な「冬の星座」たちが見えていますが、そこに向かっているんですよ。月を見つけたら、目を少し東寄りの賑やかな冬の星座も眺めてみてくださいね。

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補完)維新の会の「文通費」批判には、自己批判も必須

2021-12-10 20:55:02 | 知ろう福島のこと

   以前、このブログの11月18日に、「政治家のお手盛り政治にSTOP!」新人議員が選挙当選した10月31日の分として1ヶ月分の「文通費」100万円について維新の会が声を上げたことについて、<維新のHPを見てみると、領収書がいらない「文通費」だが、維新ではちゃんと議員が報告書を作成させて保管していた>と評価して書いた。

   ところが、ここに来て、東スポのココにあるように、<政治資金に詳しい関係者は「維新は使途を公開し、残額を返還できるようにするとアピールしていますが、そこに政治団体への寄付の禁止を盛り込まないと実質的にダメ。政党に寄付ができれば、お金に色は付けられないからブラックボックス化される。残額を返還といっても、寄付して残らなかったなんてことも起こりかねない」と、法案の“抜け穴”を指摘する。これでは“マネーロンダリング”だ>との批判がでた。

   そして、今週の「週刊文春」の記事「『文通費』の9割超が使途不明 胸を張る維新の”問題議員”」(下に一部写真)には、維新の会の中に、杉本和巳・伊藤信久衆院議員のように<文通費の9割を自らが代表を務める政党支部や資金管理団体に寄付している人>の例が明らかにされていて、「これでは、形ばかりの情報公開です」(上脇氏)のコメントがでており、維新の会はまず足下の問題議員を何とかすべきだ~と書かれていた。

   

   (すいません、最後の2段が切れていました。読みたい方は本紙をご覧下さい)

   「批判している人は、きっと自らは正しいことをしているのだろう」という印象を人はうっかり持ってしまうが、クワバラ、クワバラ

    そうとも限らないことが分かった。だからと言って、批判が間違っていなかったことは確かだが、いっしょに自分自身の党や仲間もしっかり監視していかないといけない!ということだ。私も、印象操作にうっかり同調しそうになったことを反省し、前記の記事にこの記事を補完します。

    

   

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伊方原発再稼働に反対!

2021-12-02 22:59:14 | 知ろう福島のこと

  朝から伊方原発再稼働のニュースが入り、悲しさがこみ上げた。日本はどこまでも愚かな国なのだ。

  伊方3号機を巡っては、定期検査に入った直後の2020年1月、制御棒を誤って引き抜くなどわずか1カ月間にトラブルが4件相次ぎ、定期検査は約半年中断。同月には広島高裁が運転差し止めを命じる仮処分決定を出した(後に異議審で取り消し)。21年3月以降はテロ対策施設の完成遅れにより、再稼働ができない状態になった。7月には、17~19年に社員(当時)が宿直勤務中に無断外出していたことが発覚。10月12日に再稼働させる計画だったが、再延期を余儀なくされていた(ココより)。

  そんな日本の相も変わらず不完全でお粗末な体制の原発の再稼働を、なぜ日本国民は許してしまうのか。私は断固反対する! 先日ちょうど、「原発に挑んだ裁判官」という本を読んでこのブログのココに書いたが、最高裁が<担当省庁が審判して「合格」としたのなら、規制基準が不合理なときや、見逃すことのできない欠陥・見落としがない限り、裁判所は行政庁の裁量の範囲内であり、「よし」として、行政に判断をゆだねる。つまり、独自の判断に踏み込まず、原発が規制基準に合っているかで判決を下す>という「伊方方式」の判決を出したことで、日本の原発政策が後押しされてきたこと。それによって、住民側の、原発建設・稼働を阻止する力が押しつぶし続けてきたのだ。

  そんな中でも、福島原発事故前に、原発の危険性に気づいて、志賀原発訴訟で、「ちょうど偶然にも原発近くを通る断層帯についての新しい知見が出て、5つの断層が別々にしか動かないから地震の規模はM6.6と電力会社が主張したが、1度に動けば、M7.6の地震が想定される解析結果が政府の組織・地震調査委員会から3月に出された。さらに、もうひとつ、8月に宮城県沖地震が起きた。女川原発で、想定基準地震動を200ガル上まわる地震が起きた!」として、2006年3月、住民勝訴の運転差し止めの判決を下した裁判長がいたのだ。井戸耕一さんだ。 

  だが、この訴訟は高裁で逆転敗訴、2010年秋に、最高裁で住民側の敗訴が確定した。東日本大震災が発生したのは、4ヶ月余りあとだったという。もし、国民の安全を重視する井戸耕一裁判長の判決にならって、高裁や最高裁が、「炉心溶融事故の可能性も・・・ある」「多重防護が有効に機能するとはかんがえられない」という福島事故で本当に起きてしまったことを予見し、しっかり「危険」とみなして判決を出していれば・・・。

  。とはいえd、「・・・たら」「・・・れば」の話はしても仕方がない。その井戸裁判長が、「裁判官の判断自体も、国民の意識を反映する部分がある。裁判官も世論からまったく自由な存在ではなく、国民的な世論に影響される面は否めません」と言っているように、国民の自身がこの結果を招いたことは確かなのだから。 私自身も含めて、福島原発事故のような過酷事故が起きることを予想もせずに、「原発神話」に踊って信じてしまった日本国民の愚かさ。その愚かさが、高裁や最高裁の判決に反映してしまったということだろう。

  しかも、日本の国民は、全原発を停止させ、再生可能エネルギーへの転換に動いた民主党政権を、福島原発事故の翌年には引きずり降ろし、「原発神話」で福島事故を招いた責任を負うべき自民党政権を帰り咲かせてしまった!!!

  さらには、その後も、説明責任も果たさずに平和憲法を揺るがす集団的自衛権に踏み込み、兵器の大人買いを続け、欠陥のあるイージスアショアに予算をつぎ込んだあげくに頓挫させ・・・人事権を使い官僚を支配し、改ざん、嘘、ごまかしのやりたい放題のトンデモナイ長期政権を支持し続けてきたのだ。さらに、2021年の今回の衆議院においてさえも、過半数を与えてしまった私たち日本国民・・・。

  なんということだ。安全な「核利用」なんてあり得ないのに。世界の多くの国が福島原発事故に驚愕して、ドイツの脱原発を始めとして、再生可能エネルギーに転換をしっかり進めているのに。日本では「原子力の安全神話」が復活され、なんと再稼働を始めるなんて!!!! さらに、石炭発電も止めずに増やそうとしている日本。不名誉な「化石賞」を何回ももらってしまう日本。まったく、恥ずかしい。

  世界の地震の10分の1が起きる日本で!!!地震にさえ脆弱な原発を、ミサイルを変幻自在な場所から複数同時に発射できる技術を着々と磨く他国の脅威の下で。「核弾頭」を、日本が用意して待っているような「原発の再稼働」をするなんて!!!

  しかも、(そんな脅威の下で、危険な原発を廃炉を急ぐどころか、反対に相手国を刺激して喧嘩を売るような「敵基地攻撃能力」を検討する!?)そんな政権を支持するなんて!!!! 日本人の「国の安全」についての根本的な視点の欠如に、私は心から驚愕している。

  原発の再稼働なんて、あり得ない。すべての原発は廃炉にすべし!!!廃炉技術と、再生可能エネルギーの技術こそ、世界に役立つ。世界に役立つ技術をもつ日本になってこそ、他国との平和な関係を持てる。

  今、こんな中で、平和憲法を捨て去り、軍備を拡大し、他国を刺激しようとするような政権には、「日本の安全」を語る資格はない!!!! 

  軍拡に注ぐ予算を廃炉に注ぐべし。再稼働のためにいくら安全対策へ高額投資をしても、完全な「安全」など実現できない。なぜなら、日本は地震国で、大きな地震が過去に何回も起きて国なのだから。しかも、伊方の恥ずかしいトラブルの数々と同じように、スリーマイルも、チェルノブイリも人間が引き起こした人災なのだ。 

     原発の「脆弱さ」への理解が世界で最も欠けている日本に、「原発の再稼働」はまさに自殺行為だ!!! 

  

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「原発に挑んだ裁判官」(著:磯村健太郎、山口栄二)

2021-11-28 15:58:30 | 知ろう福島のこと

  「私が原発を止めた理由」(著:樋口英明)を読んで、その感想はすでにこのブログのココに書いた。まっすぐ直球で樋口さんの気持ちが届けられていて、素晴らしい本だった。もっと何か読んで見たい気持ちになって、手に取ったのが「原発に挑んだ裁判官」だった。

   樋口さんの本を読んで、「原発を止めた判決で左遷されたのではないか」という見方があるのに対して、「自分は、信念をもって勇気ある裁判をして、名古屋家庭裁判所に異動になったと語られたりしても、左遷されたと思っていない。裁判所全体が政権の意向に忖度しているというのも、結構、忌避の申し立てを柔軟な対処で自分が高浜の仮処分の担当の時も、兼務という形で続けさせてもらった」として、否定し、後進の人も信念に従って判決を粛々とだしても大丈夫と勇気づけている。

   そして、この本はというと・・・(裁判所は三権分立と言われているのに独立して判断できているのか)という疑問の答えをえるべく、原発訴訟に関わった裁判官だけでも十数人に取材した生の声から新聞記者2人出した共著だ。

   最初は、まず信念を貫き住民側に勝訴をもたらした樋口英明裁判官の登場だ。実は原発訴訟は、住民勝訴となっても、控訴審では逆転敗訴で住民側が負けるなどして、正式な裁判では原発が止められたことがないという。それでも、登場してくる裁判官の声に耳を傾けると、その時なりに誠実には向き合って判決を出した事が分かる。以前の判例にならう習慣や、忖度がなかったとは言いがたいが、そこにしっかり後ろ盾に大多数の国民が支えていけば、壁は乗り越えられると思える。ただ、そのためには、まさに、樋口さんが、私たちに呼びかけたキング牧師の言葉を我々が胸にしっかり刻み込まないといけないのだろう。

  ”The ultimate tragedy is not the oppression and cruelty by the bad people but the silence over that by the good people.(究極の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、それに対する善人の沈黙である。)” 国民が沈黙していては、裁判所も、国も変わらないのだろう。

  そこで、国民がもっと原発の問題に触れていくためにも、私自身も含めて、しっかり原発裁判のあれこれを振り返えることは大切だと確信した。そこで、自分のためのメモも兼ねて、ここにこの本の概要を残しておくことにする。樋口さんの例も再度纏めておく。

大飯原発および高浜原発の住民勝訴・・・樋口英明裁判長の例

 ・ 3.11の福島原発事故が起きるまで原発訴訟担当の裁判官のよりどころは、「伊方原発訴訟」の最高裁判決だった。それは、「原発が安全なのか危険なのかを裁判所が直接判断する必要はない」と受け取れる内容。専門家が高度の知見で国の規制基準を設け、担当省庁が審判して「合格」としたのなら、規制基準が不合理なときや、見逃すことのできない欠陥・見落としがない限り、裁判所は行政庁の裁量の範囲内であり、「よし」として、行政に判断をゆだねる。つまり、独自の判断に踏み込まず、原発が規制基準に合っているかで判決を下す・・・「伊方方式」だ

   この判決がその後の様々な判決に影響を与え、住民側は負け続けた。

そして、2011年、福島原発事故が起きた。樋口裁判長は、3・11後は、「看過しがたい過誤、欠落」さえチェックすればと言うのでは、小さい不合理はもちろん大きな不合理まで見落としてしまう危険性を考えねばならない。伊方方式は20年前のものであり、法というものは止っていてはダメ。これは正義の問題」として、正義はあるべき姿へ移っていく。3・11で大きく移るはず」と考えた!

 ・審理を始めるにあたり、陪席の2人に「過去の裁判例は調べないように」と指示。それに引きずられず「自分の頭で考える」ようにも指示。最高裁判所の判断が永遠普遍ではない。住民側勝訴とした判決文を読んで見よう。

    原子力発電技術の危険性の本質およびそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も責務を放棄するに等しいものと考えられる

   *「具体的な危険性」とは、原発内に留まる被害ではなく、日本で起こる強さの地震によって、広範囲に及ぶ過酷事故のこと

 ・「今の耐震性では強い地震に耐えられない」と原告。樋口さんは、工学上の議論になると思ったが、被告の関西電力も「原発は強い地震に耐えられない」ということに争いはなく驚いた。ただ、将来にわたって強い地震は来ないと関西電力は主張した。裁判の核心部分は「良識と理性」の問題。「規制基準にあっているかどうかではない」と主張の組み直しを原告と被告に迫った。

   関西電力の基準地震動は700ガルだった。それの1.8倍の1260ガルの設計だから大丈夫と・・・。

  我が国では地震学会おいてこのような規模の地震の発生を1度も予知できていないことは公知の事実である・・・原子力規制委員会においても16個の地震を参考にして今後起こるであろう震源を特定せず策定する地震動の規模を推定しようとしていることが認められる。この数の少なさ自体が地震学における頼るべき資料の少なさを如実に示すものと言える。従って、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。  

  「そもそも、700ガルを超える地震がくることはない」との原告の主張に、被告側が全国で当時20カ所もない原発のうち、4つの原発を想定した地震動を超えるものが6年足らずの間に5回も襲っている事実の存在をみいだした

  実は、樋口さんの三重県の家は住宅メーカーが3400ガルの地震に耐えると明言した家だった。それにくらべ、原発の地下で想定されている基準地震動はほとんどが1000ガル以下。大飯原発の建設時は405ガルだった。それが、建設時から3・11を経て基準を引き上げてきた。樋口さんは、調べるほどに非科学的な、楽観がすぎるような欠陥をみつけ、確信をもって住民勝訴の判決を書けたという

   たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字がでるとしても、これを国富の流出や損失と言うべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の損失であると当裁判所は考えている。

   明快で、素晴らしい判決文だ。他の裁判官がどうしてこのような明快な判決をだせなかったのか?それをこの本は、どんどん明らかにしていく。

   樋口英明さんは、実はもうひとつ高浜原発の再稼働を止める仮処分の裁判も行いました。これは、裁判官忌避の申し立てを関西電力から受けながらも、却下し、名古屋家裁へ異動した後に特別に異動後の名古屋高裁の許可で「職務代行」で出せたモノ。「裁判所は最高裁を頂点とした一枚岩で政権に迎合している訳ではない」 心ある人は裁判官の中にもいること。ただ、この樋口さんの「高浜原発の運転差し止めの決定」は、関西電力が異議申し立てによって、ひっくり返されてしまった。それを担当した3人の裁判官は、3人とも、最高裁事務総局付経験者*最後に補足という司法行政の実験を握ったエリート。この3人そろって赴任した「あまりにも珍しい!?」人事については、この本の最後の方に解説があるので、是非最後までこのブログを読むか、この本を直接読んでみてほしい。

   さて、次にでてくるのは、福島原発事故の前に住民勝訴の判決をした2人の裁判長の話だ。

 <3・11前のわずか2つの住民勝訴の例外>

 1.北陸電力志賀原発訴訟・・・井戸耕一裁判長

    「誠実に事件に向き合って、周囲を気にすることなく、自分たちが信じる仕事を淡々としている雰囲気が裁判官にはあった。弁護士がいくら立証活動をしても結論を出すのは裁判官。そう思い魅力を感じたと裁判官になった井戸さん。

     営業運転スタートの祝典9日後の判決で、原発を止める判決を言い渡すのに重圧はあった。

     原告が立証責任を負うのが民事訴訟では基本だが、原発訴訟は資料を圧倒的に被告の電力会社もつ。証拠が偏っているので、立証責任を被告に負わせた。ちょうど偶然にも原発近くを通る断層帯についての新しい知見が出て、5つの断層が別々にしか動かないから地震の規模はM6.6と電力会社が主張したが、1度に動けば、M7.6の地震が想定される解析結果が政府の組織・地震調査委員会から3月に出された。ただ、30年以内に起きる確率は2%だった。しかし、もうひとつ、8月に宮城県沖地震が起きた。女川原発で、想定基準地震動を200ガル上まわる地震が起きた!  

     井戸さんは、2006年3月、住民勝訴の運転差し止めの判決を下した。ただ、井戸さんは、「裁判官の判断自体も、国民の意識を反映する部分がある。裁判官も世論からまったく自由な存在ではなく、国民的な世論に影響される面は否めません。だからと行って、裁判官が国民の意識の後追いをしているようでは存在意義がないのですけどね。多くの裁判官は真面目に仕事をしている。しかし、慎重な人が多いのも事実だと思う」と述べている。

     「司法は、市民の最後の砦であるべきです」と語る井戸さんだが、この訴訟は高裁で逆転敗訴、2010年秋に、最高裁で住民側の敗訴が確定した。東日本大震災が発生したのは、4ヶ月余りあとだった。井戸さんが判決でいった「炉心溶融事故の可能性も・・・ある」「多重防護が有効に機能するとはかんがえられない」が現実となってしまった。「わずか千年前に起きたことは、『具体的危険』だと思います。原発という危険なものを扱う以上、備えるべきでした」と井戸さん。

 2.動燃・もんじゅ訴訟・・・川﨑和夫裁判長の例

    2003年1月名古屋高裁で日本初の原発訴訟での住民側勝訴。裁判所には科学の専門家がいないので口頭弁論では発言が慎重になるので、1ヶ月に一度朝から夕方まで双方の代理人と専門家とフリートークで質問できるようにした。住民も交代で参加できるようにした。安全審査に「看過しがたい過誤・欠落」があり、放射能物質が外に放出される具体的危険は否定できないとした。さらに、英国の事故で、もんじゅと同じ原型炉で1987年に39本の管が8秒で39本破断する事故があった。1981年に動燃が行った実験でも25本が同時に破断することが確かめられていたのに、科学技術庁に動燃が結果報告したのは1994年、さらに科学技術庁が原子力安全委員会に報告したのは1998年だった。でも、日本の基準ではなぜか、4本が破断することを想定した対策で十分とされたままだった!!!!

    判決には、・・これらの機器の健全性が損なわれることがないと判断したことは、誠に無責任であり、ほとんど審査の放棄といっても過言ではない」「・・・看過し難い不備があるにもかかわらず、審査機関がその補正を求めた形跡はまったく認められず、むしろ、本件許可申請書の記述を無批判に受け入れた疑いを払拭することができない」

    この判決に原子力安全委員会はカンカンになって怒ったらしいが、あとになって、国は設置許可のナトリウム漏れ対策や蒸気発生器についての変更を許可したという。

    「国家の安全保障のような高度な政治問題は国民が選挙で判断すべきであり、国民に直接選ばれていない裁判官が判断すべきではない」という人もいる。でも、訴訟では原発の建設が許されるかではなく、現実に建設される特定の原発についての具体的危険性が争われている

    高速増殖炉は、消費した燃料以上の燃料を生み出すことから「夢の原子炉」と言われ、世界の主要先進国が研究開発したが、他の国は開発中止か断念しているのを強調して、「高速増殖炉」はどういうモノか、設置許可基準を無効として考え直してほしかったと川﨑さんは考えた。

    でも、2005年に最高裁で、この判決は覆り、住民は敗訴。以来、維持管理費1日5000万円かかるもんじゅには、1兆1000億円余りが投じられたが、20年も動かず、2016年に廃炉が決まった。廃炉には3750億円がかかる見込みという。

   さて、勇気ある裁判官の3人の登場のあとには、結論では住民敗訴の判決を出しながらも、良心的と思われる裁判の道筋を作ったと思われる裁判長の3人が登場する。そして、福島原発事故を受けての感想も聞かれて答えられていた。

3・11前に、住民敗訴の判決を出した3人の裁判長

 1.1993年高浜原発 海保裁判長・・・「伝導管の複数破断の危険性があるようにも考えられると(判決に)書いておきながら、「直ちに同時複数本破断の危険性があるということは困難」との結論はおかしいじゃないかという声も判決後に聞こえてきました。複数本破断が絶対に起きないとも起きるとも科学的根拠になる資料がなかった。伝導管が1本破断したときにメルトダウンに至るかどうか踏み込めなかった。専門家じゃないので、想定がむずかしく、限界があった。また、(前年1992年に出た最高裁の伊方原発の主導していくのだなぁ~)と海保さんは思ったそうだ。

  福島原発事故が起きて、裁判官もこれからは、できる限りの事を想定していかないといけないという考えに変わっていくかもしれない。司法全体が安全性について踏み込んだ判断を積み重ねていたならば、福島事故は防げたんじゃないかという思いはある。スリーマイル、チェルノブイリの事故は起きていたが、身近に感じていなかった。通常の運転でも原発というのは、どこかに「弱いもの」を抱えている可能性がある

2.1994年女川原発 塚原裁判長・・・住民にとって「具体的な危険性」が原発にあるかを審理するだけだった。住民側は証拠をもっていなかった。ただ、この訴訟では住民と電力会社では「情報格差」があることから、東北電力に「非公開資料」も出すように促していった。「被告(電力会社)が立証を尽くさない場合には、本件原子力発電所に安全性に欠ける点があることが事実上推定(推認)されるものというべきである

  ここは、とても頑張ったところだが、実際は電力会社が証拠をしっかり出さなかったり、秘密主義に阻まれた。具体的なデータの公表がないことから、原子力発電所の安全性が確保されないおそれがあると速断することはできないものの、原子力発電所の安全確保は・・・真実の認識を共通にしてこそ可能となるのであって、被告(電力会社)のこのような姿勢は非難されてもやむをえないものがある」「しかしながら、電力需給の観点から・・・事故発生の危険性、平常運転時の被曝線量を社会観念上無視し得る程度に小さくすることによって・・・人格権または環境権の違法な侵害に基づく差し止め請求は認めることはできない」

  原発については、外国の法律にも照らし「文書の絶対的公開」等を検討していくべきだと塚原さんだが、福島原発事故が起きて、責任の負いようもないが、自分の出した判決については正しかったか、一生背負っていかないといけないと考えている。

3.1999年 東京電力福島原発 鬼頭裁判長・・・電力会社の株主が原発の運転停止を求めた裁判。トラブル隠し。危険性とコスト。公共インフラ。本来なら止めた方がいいが、いろいろな分野への影響を考えると判断に迷う立場に置かれる。「抽象的危険」は認めたが、「原発の健全性については、・・・その検査の過程と合格という判断に過誤があるといった特段の事情はない」。今、福島原発事故の後になって、「これからは、『具体的かつ想定可能な範囲の危険』があることを立証できればよいという、(原告にとって)ゆるやかな基準になることも考えられます。

 裁判官6人の話のあとには、裁判官がどのような立場に置かれているのか。圧力のようなものがどこからかけられるのか。感じられてしまうかの解明へと進む。

 <裁判官への心理的重圧の壁

 1,司法が行政を気にする2つの理由(行政にからむ案件には「報告事件」として黒いゴム印が押される。なぜ?)

   ・予算配分の問題

   ・青法協に対する裁判官任官拒否(日本の裁判官は10年で任期。裁判官を大統領や、選挙で決める国もあるが、日本は最高裁判所が再任を決める人事権を握っている。3人の裁判官は平等1票を持つが、裁判長が人事評価をするので・・・。)

 *補足:最高裁事務総局職員・・・最高裁判所が非常に忙しすぎて、最高裁判所に置かれた庶務を司るはずの事務総局が一部のエリート裁判官により影の実力者のようになる調査官もでるようになる上告理由書を調査官が読んで、最高裁判事が読む前に、全事件の9割以上は「上告棄却」か「不受理」になる?!!!!最高裁の判決や決定と行っても、実質的には職業裁判官出身の調査官の考えで左右される要素が大???!!!1985年頃から始まり、ひとりの調査官の事件の結論に対する影響力が大きすぎると、87~90年に首席調査官だった三好達さんが、社会的な影響がある重要な事件は上司(上席調査官や主席調査官)の決裁を経てから、主任裁判官に報告書を出すやり方にした。でも、1995年から最高裁判事をした福田博さんによると、1票の格差の時に違憲の反対意見を書こうとしたら、調査官から反対意見案を送り返されたという例も???この一般人には不可解な最高裁判所の内実。これについては、もっと詳細な本があるようなので、勉強が必要そうだが、実に驚かされた!

 2.福島原発事故後、原発裁判は変わってきたのか?

    確かに、最初変わったかに思えたが、2012年12月の衆院選で原発再稼働を主張した自民党の大勝で、原子村が息を吹き返し、空気が変わった。「1国のエネルギー政策を1裁判官が左右していいのか」というキャンペーンがあった。萎縮の始まり。2015年4月。高浜原発の運転差し止め(前出の樋口裁判長)の仮処分後、3人のエリート裁判官が異動して、関西電力の異議を認めて仮処分を取り消す決定。日本では、まるで福島原発事故がなかったような雰囲気が生まれて・・・

    さて、ではこれからどうなるのか?

    福島原発事故を通して、勇気ある裁判官が出てくる可能性。福島原発事故以後の8年間に原発の運転差し止めの仮処分は4件出された(前述の樋口英明さんの2件、大津地裁の山本善彦さん、広島高裁の野々上友之さん)。しかし、最高裁では、まだ事故以来判断がでていない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    かなり要約したつもりですが、長くなってしまいました。でも、ここで感じたのは、原子ムラの復活に対抗する野党の力の弱さ。

    国民の意識が変わると、裁判も変わる。福島事故をあなたは、どう受け止めますか?

    日本のエネルギー政策が危険極まりない原発を再稼働させる時代遅れの上に、脱炭素の宣言を菅元首相がしたのに、その同じ会合で、日本が不名誉な「化石賞」を日本が受賞したことを忘れてはなりません。日本のマスコミは、ここを大きく取り上げていませんが、この日本の「原発再稼働をしながらの脱炭素」(原発神話が死なない日本)と「化石賞」を受けた意味の重大さに日本人は、もっと目をむけないといけない!

    だいぶ長くなってしまいました。最後まで読んで下さった方、興味をもって頂けたら、是非、さらに一歩進めて、日本の将来のために、一緒に考えていきましょう!

    究極の悲劇が、善人の沈黙で再び日本を襲わない前に、動き出しましょう!

   日本は、全世界の10分の1の地震が起きている国なのですから、一刻の猶予も許されない

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選挙へ行こう<中筋さんの動画公開>

2021-10-29 22:04:30 | 知ろう福島のこと

    日本は投票率が低すぎる。さらに、高齢者の人の方が今や人口動態的にも多い所に加え、高齢者の投票率が若者より高いために、若者が投票行動を怠ると「シルバー民主主義」というような高齢者優先の政策に偏ってしまう。そもそも、選ばれる政治家が特に平均50才以上と高齢化している。下は、2019年の参議院の当選者の平均年齢だが、さて今回の衆議院選挙の当選者はどうなるだろうか・・・。

     <時事通信社のココから転載>

     そして、そうした政治家を選んだ側を見てみると・・・70才代以上は高齢のために投票率が落ちてはいるものの、他の年齢別のグラフは、見事に年齢が高いほど投票率が高い。今や日本は高齢化が進み、有権者数も高齢者が多くなってきている中で、若い人が投票を怠っていると、「若年の意見力は団塊の4分の1にも満たず~」とYahoo newsのココで書かれているような事態になって、シルバー民主主義がまかり通り、未来を背負う若い世代の意見が充分政策に反映されないこととなるようだ。

        総務省・国政選挙の年代別投票率ココから転載>」      

     

      私は高齢者に属する立場だが、実際に未来を生き続けていく若い人たちの意見が政策に反映されないのは拙いと思う。街頭のインタビューで、でも誰に投票していいか、よく分からないといっているのを聞いたが、是非、ネットの発達している今なら、検索してちょっと調べてみれば分かるはずだ。政治に興味も湧いてくるだろう。

      結局は出馬を断念したが、IR事件のように懲役4年の実刑判決を受けても控訴しながら立候補すると主張していた議員もいる。しっかり、探偵になったつもりで調べてみよう。

      さて、お待たせいたしました。タイトルの写真家・中筋純さんが、アップしていた選挙キャンペーンの動画です。動画をクリックして頂くかココからご覧ください。

        

        「僕たちの未来」というタイトル。ほんの1分39秒の作品だが、中筋さんらしい作品となっている。「原発再稼働を許すか、許さないか」これも、地震国に住む私たちにとって、どの政治家・政党を選ぶかの決定的な決めてになるだろう。

        なぜなら、北朝鮮のミサイルだ、中国の猛威だと軍拡を是とする党もあるが、戦後76年間、日本は他国からの攻撃で死者を出していない。でも、2011年の東日本大震災の福島事故では、命を失い、自分の家に住めなくなり故郷を奪われた人たちがたくさんいる。関東ですらホットスポットがあり、除染活動が行われて大変だった。私は福島事故を知って、孫2人を連れて長崎に当時単身赴任していた主人のところに避難したが、首都圏も避難地域になる可能性は充分にあった。映画や記録を見ても、首都圏避難がなくて済んだのは「奇跡としかいいようがない不幸中の幸いに恵まれたからに過ぎない」。

        狭い国土の日本に、廃炉にされていない原発が全国にある脅威。そこをミサイルで攻撃されたら、原子炉は強固であっても、脆弱な配管設備などが破壊されたり、電源停止されたら・・・悲劇は攻撃がなくても、自然災害でも福島事故のようにいつ起こるか分からない。軍拡より、自然災害への備え、廃炉の方が優先されるべき緊急案件だと私は思う。

        さあ、いよいよ明後日が投票日。あなたの1票を大切に使おう、未来のために。

        「入れたい政治家や政党がない」という人も多い。それなら、「マシな政治家や政党に投票しよう」。そして、その政治家や政党に、自分の意見を伝えて、実現してもらえるよう働きかけよう。そのためには、他人の意見を聞かずに暴走し、問題を起こして説明を求められても説明責任を果たさず、情報公開もしないような政党には入れないことだ。そんな不誠実な政治家を選んだら、その結果に、今度はあなたも一緒に責任をとらないといけない。

        ひとりでも多くの有権者が、「原発の再稼働を許さない政治家・政党」を選んでくれることを、私は心から願っている。

  今朝見た昨日の夜に昇ってきたお月様にも、お願いしておいた。

         

       

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衆議院選挙前に読む本*樋口英明裁判官「私が原発を止めた理由」

2021-10-23 22:15:28 | 知ろう福島のこと

  「私が原発を止めた理由」(元福井地裁裁判長・樋口英明:著)2021年3月11日初版本が出された本を読んでみた。

  裁判官の本分はその一つひとつの仕事が社会の一隅を照らすことにあるのかもしれません。しかしごくまれには、社会全体が進むべき道を照らす仕事が与えられることもあるのです。毅然としてその本分を尽くしてほしい。

  後に続く、裁判官の後輩にこのように書ける仕事に恵まれたと語る樋口裁判官。福井地裁の判事として2014年5月に関西電力原発原発3、4号機の運転差し止めを命じた。定年退官後は各地で80回ほど講演し、原発の危険を訴え続け、福島第一原発事故から10年となる今年3月に、原発への思いを込めた、上記の本「私が原発を止めた理由」を出して話題となった。

   読むと、素晴らしく明快に(原発を止める判決を出すのが福島原発後においては当然のことだった)と、運転差し止めを命じた理由を述べている。核心は、下の左の太字で言い表されている。印象に残った記述の要点を交えて、簡単にこのブログで紹介しておきたいと思う。

   

    ・ 原発の安全3原則

       「止める」「冷やす」「閉じ込める」が、どれかできれば安全だというのは間違い。福島原発事故では、核分裂反応を「止める」ことには当初成功したものの、電源喪失で「冷やす」ことに失敗。そのために「閉じ込める」にも失敗して、大量の放射性物質を出し、15万人の方が避難を余儀なくされた。どれか一つでも崩れると危険が迫ってくるのが原発だ。

    ・ 東日本が壊滅する危機だった!偶然の奇跡に日本が悲劇を免れただけ

      電源喪失で自動でのベントができず、手動で格納容器の圧力崩壊を防ぐためのバルブを開けに作業員を行かせようとしたが、2号機では高濃度の放射能で現場に行けず、2号機のベントを手動で開くことができなかった格納容器が爆発すれば、「東日本も壊滅」の可能性もあった!吉田所長も「自分の死」と「東日本壊滅」が脳裏をよぎったという。ところが、格納容器の一部に脆弱な部分があったのか、奇跡的に圧力破壊による爆発を免れた

      さらには、4号機は定期点検中だったが、電源喪失で循環水の供給がストップ。使用済み燃料貯蔵のタンクの水が干上がり、それが偶然の定期点検のために原子炉ウェルにたまっていた水がなぜか流れ込んで助かった。これが、干上がったままで大量の放射能が放出されれば、東京首都圏をも避難地域になった可能性もあった。さらに水素爆発が起こり、天井が抜けたことで、消防やヘリコプターでここに水を供給することができた。これが、奇跡の2つめだ。

      吉田所長などがいた免震重要棟。あの指揮官はじめ、多くの人が残って作業した免震棟は、2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発に3000カ所を超える損傷があり、ドアが開かないところもでた。それで、地震の際の免震棟の必要性が認識されて、刈羽原発を始め、福島第一にも震災の数ヶ月前にできたものだったもし、あれがなければ・・・

      そんな大事な免震重要棟を九州において福島原発事故の後でも、ないがしろにしようとした動きがあった。

    <現在、コスト面から、この免震重要棟にかわる施設でもかまわないという判断がでているが、前原子力規制委員会の田中俊一さんは「委員会は原発が規制基準に適合するかどうかを判断している。適合しているからと言って、安全とはもうしあげません>と言っている。だからこそ、命と生活と環境を守れるのが裁判所しかないことになっているのを裁判官には忘れないでほしい。

      「原爆と原発は双子の兄弟」と言われるが、原爆など核兵器は爆発させようとしない限り爆発しない。だが、原発は水または電気が失われれば人間のコントロールができず暴走。つまり、原発は原子力の「平和利用」ではなく「平和時にしか利用できない」もの。断水、停電、テロ、自然災害、火山、内乱、戦争・・・あらゆる危険を孕んでいる。「被害が自国だけに及ぶ」というのも原発。原発訴訟団の河合弁護士が「原発は自国のみにみけられた核兵器」との言葉は至言だ。

   *河合弁護士が裁判用に製作した動画を映画にした「日本と原発 4年後」「日本の再生」のyoutube無料公開は、このブログで繰り返しお薦めしているが、ココから。

   ・ 一般住宅より耐震性が原発の方が劣っている?(上の本の抜粋の第4)

      関西電力の大飯原発は、最初は405ガルの耐震設計基準で設計され、樋口さんが判決を出した時点でも700ガルまでそれを上げて、大丈夫と言っていた。でも、これはコンピューターのシミュレーションで、一般住宅の住友林業の家は3406ガルに耐えるという。つまり、大地震でなくても、ありふれた地震でも原発は危うい。2000年以後の20年間でも1000ガル以上地震動をもたらした地震は30回あった。地震は、場所によって地震動は大きくなる。

      大飯原発は震度6弱でも危なく、震度7では絶望的になる・・・。建設から25年以上たった原発の耐震基準がどんどん上げられているが、原発は、原子炉だけでなく、配管、配電設備も安全のために不可欠。ところが、耐震基準が一般住宅とは別物に考えられることで、ごまかされ、緩くなっている懸念がある。配管、配電の耐震性を上げるには太い配管に変えたりしないといけないはずだが、配管はすでに放射能汚染されていて、取り替えが容易でない。…なんとも耐震性の強化が頼りなく信頼できるか疑問が残る。

  ・我が国は,4つのプレートの境目にある世界で唯一の国。世界の10分の1の地震が日本で起きている(気象庁のココから)国内に地震の空白地帯がない

      *マグニチュード6以上の地震の20%が日本付近で起こっているというデータも一番下に転載しておきました!!!

  ・なぜ、多くの裁判官が原発の差し止めを認めないのか。

    忖度?政権からの圧力? 裁判官は文系。専門技術の問題については、権威ある人の意見に従い、単純に理性と良識で判断すれば当たり前の判決が出せない。最高裁での伊方原発判決で、「裁判所は原発の安全性を直接判断するのではなく、規制基準の合理性を判断すればいい」としている。でも、原子力委員会でもうけられた規制基準が合理的か、そこに疑いがある。

  ・自動車事故だって多いのだから自動車も止めるか?と原発を止める話になるという人がいる。

    でも、現実的に考えて、自動車を今すべて止めたら、社会は救急車もなく失業者も増え、立ちゆかない。でも、原発は、危険だということが分かっていて、暴走の危険性を福島事故で学んでいる。止めるべきもの。自動車とは違う。

  ・経済性の問題をいう人もいる

    だが、憲法では命を守り生活を維持するという「人格権」(憲法13.25条)が電力会社の「経済活動の自由」(22条1項)より優先されると定めている。

  ・CO2の問題で、原発が有益というウソ。

    原発は地球温暖化の最も大きな要因の一つ。ウラン燃料は大量の熱エネルギーを出し、発電には3分の1しか使われない。残りはそのまま熱として海に捨てられる。海水を温める。原発には「海あたため装置」の別名もある。

  ・原発推進派は、「化石燃料は国富を失う」というが、「たとえ貿易赤字がでようが、豊かな国土こそが大切で、これを取り戻せなくすることが国富の損失。(原発の方が国富を失わせた)

  ・左遷されたとは思っていない

   自分は、信念をもって勇気ある裁判をして、名古屋家庭裁判所に異動になったと語られたりしても、左遷されたと思っていない。裁判所全体が政権の意向に忖度しているというのも、結構、忌避の申し立てを柔軟な対処で自分が高浜の仮処分の担当の時も、兼務という形で続けさせてもらった。

  ・理性と良識という土俵で闘えば勝てる

   組織には、良心的で能力の高い人も、本分がわかっていない人も、良心的でなかったり、能力の低い人もいる。高い実績のある裁判官が最高裁にいくのがいいと思うが、政権に近い人がなっているのは、おかしい。でも、だから最高裁でひっくり返されるなら他の裁判所の決定は無意味ということもない。実際運転差し止めの仮処分だってできる。国民の後押しも必要だが。控訴審では、自分の判決がひっくり返された。相手方の土俵の中で闘うと間違える。原告代理人弁護士が、しっかり原発の危険性を裁判官に知らしめて、専門技術のところでなく「理性と良識という土俵」の上で闘えば、勝てる。

 自分の責任が分かっている人は分かっていない人より遙かに幸せだと思う。自分は、その責任を果たせた幸せな裁判官生活を送ることができた。「無知は罪、無口はもっと罪」

 裁判で担当し知った原発の危険性を、知ったのにみなさんに告げないのは重い罪になると思った。そして、この本を読んでしまったあなたにも責任が生じます。

   最後は、このキング牧師の言葉で締めくくられていました。

 「究極の悲劇は悪人の圧政や残酷さではなく、それに対する善人の沈黙である。結局我々は敵の言葉ではなく、友人の沈黙を覚えているものなのだ。問題に対して沈黙を決め込むようになったとき我々の命は終わりに向かい始める」

  The ultimate tragedy is not the oppression and cruelty by the bad people but the silence over that by the good people.

               参考:国土技術研究センターより転載(ココから)

  

 

 

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福島の映画制作中(中筋純さんyoutubeで予告映像)

2021-10-18 22:04:43 | 知ろう福島のこと

   私が、応援している写真家・中筋純氏が、今も福島で貴重な映像を記録に残そうと奮闘してくれています。

   復興五輪のウラで実は福島では何が進んでいたのか。街の姿が、空撮も交えて静かに描き出される中で、取り壊されていく浪江小学校が「うつせみ」(予告ヴァージョン)として公開され始めました。

      

     中筋氏の映像を見ると、その自然の花、月、太陽、景色の美しさに惹かれつつ、その奥に込められた哀しみが胸に溢れてきます。

     なんで、こんなに美しい故郷が住めなくなり、家や学校がまだ震災をも乗り越えて住んだり、勉強したりできるはずだった建物が解体されないといけないのか。日本人が忘れてはいけない、大きな悲劇を思い出させてくれます。

     今度の衆議院選挙で投票する時は、しっかりと、福島事故のこと。「安全神話」にあぐらをかいて、長年にわたり原子力村と政権が癒着して福島事故を招いたこと。しかも、自分たちこそが原子力政策を推進してきて、甘い汁も吸ったのに、あたかも当時の菅首相の行動が事故を酷くしたような話に原発事故の原因を矮小化させようとし、原発政策の反省も責任もとらずにきた自民党政権のしてきたことを忘れずに投票しましょう。

     反省がないから、平気で「原子力安全神話」をまた積み上げ、こともあろうに40年以上も経った老朽化した原発の再稼働にまで踏み切ろうとさえしている。過去の過ちに学べない人間は、同じ過ちを犯し続ける。そんな人たちに、日本を委ねるわけにはいかない。

     その証拠に、<前首相が、50年までに二酸化炭素(CO2)を主とする温室効果ガスの排出を実質ゼロにする「カーボンニュートラル」を目指す宣言したことが、発電時に温室効果ガスを排出しない「脱炭素電源」としての原発の再稼働への後押しとなりつつある>といわれている(ココから)。

 最終処理も決められない「放射能汚染廃棄物」を出し続け、福島原発など事故が起きれば故郷を追われ、命を脅かされる原発の再稼働。さらに、老朽化した古い原発の再稼働をしようという愚かさ!!!!自分たちの都合のいい原発政策をまたもや復活させようとするのに、「CO2を減らすため」という理由を利用しようとする、浅ましさ!

 しかも、これは原発政策に限らない。この長期政権は、イージスアショアの中止でも同じように、過ちを反省するのでなく利用してさらに悪いシナリオへと引きずり込んでいくのが得意技なのだ。

 <イージス・アショアから発射される改良型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」では、発射後分離される「推進エンジン」が、周辺住宅などに落下する可能性があり、そうならないようにするには、大幅改修に10年以上の開発期間と膨大な費用が必要とわかり断念>(産経新聞ココから)。断念して、それはよかったと思ったら大間違い。驚きはここからだった。

  中止したかと思ったら、「敵基地攻撃能力」をつけると言い出したのだ。「放たれた後では間に合わないので、察知したら相手がミサイルを撃つ前に敵の基地を攻撃するというのだ!!!!!?????」

  それって、宣戦布告する時間もなく、相手の陣地を攻撃するってこと? 国際法違反!!!! それでは、他国に、日本に戦争をやめるように攻撃していい口実を与えて、日本がボコボコにされるのを許すことになるではないか!!!!  

 しかも、これを言い出したのは、自民党内の1部ではないのが恐ろしい。岸田首相も、鳩派だなどと思ったらとんでもない!!! 読売新聞のインタビューに堂々と「できるだけ急ぎたい」と言っているではないか!

    

         

  首相は上の言葉に加えて、さらに

<敵基地攻撃能力の保有を安保戦略に盛り込むことについて、「一つの選択肢だ」と述べた。その上で、北朝鮮が開発を進める極超音速滑空兵器や変則的な軌道で飛ぶ弾道ミサイルなどの脅威に言及し、「ミサイルの能力は日々高度化している。国民の命と暮らしを守るため、現実的なあらゆる選択肢を検討する姿勢は大事だ」と強調した>とあった。

  実際にそんな能力を身につけて使用したら、とんでもない血を血で洗う恐ろしい戦争に火をつけてしまうことになる。今の政権はそんなことも分からない人ばかりなのだ。

  「いや、攻撃能力を持って威嚇するだけだから」とでもいうのだろうか?そんな、相手を武器で威嚇することを推進しようという危険人物。同じ口で、自分は被爆地の広島県出身だとして、「核兵器のない世界に向けて核兵器禁止条約は、重要だ」と述べたとしても、口だけなのは、すぐ分かる。なぜなら、「威嚇するだけのために『核兵器』も所有している」という論理と、ひとつも変わらないからだ。その怖さを知るからこそ、多くの国が「核兵器を禁止しよう」と立ち上がったのだ。非人道的として地雷では禁止にできたのだ(オタワ条約)。

  実際に使ったら「国際法違反の非難を国際的に浴びて、相手国の集中砲火をあびて国民を戦争に巻き込む事態」に陥ること必定の「敵基地攻撃能力」。それを「国民の命と暮らしを守る」なんて、どの口が言っているのだろう?  本気でそう考えているのなら、想像力が欠如した愚かものだろう。そんな人が、「核兵器のない世界」を目指しているなんて誰が信じるのだ。

  「核兵器が脅しにつかってはならない」なら、「敵基地攻撃能力」の保持も同じだ。戦争放棄を謳った憲法を守る立場にある国会議員、まして首相がそんなことを言うこと自体がおかしい。

   中国の軍事力、北朝鮮の軍事力に対抗して日本が軍備を強化して、果たして「日本の安全は高まるのか」。 中国のような今や大国にちょっとやそっとの軍事力強化することで、あなたは(安心でき、幸せに暮らせると信じられるのか?)。安心できる軍事強化のために、国民が他国に援助を求めなければならないほど疲弊してしまっている北朝鮮を、あなたは目の当たりにしている。「軍事力を強化した国の行く末」を知っているはずのあなたが、同じ道を目指す先に「国民の安全と安心、幸せがある」とどうして信じられるのか。

   地球規模で、世界が協力して立ち向かっていかないといけない温暖化。ノーベル賞を今回受賞する真鍋さんは、気象学者のリチャード・ウェザラルドと共著で1967年に公表した論文で、大気中の二酸化炭素が倍増すると、地上の気温が2.36度上昇することをコンピューターの計算で示した」という。詳細は、ココの保坂直紀三の記事を読むとよく分かるが、この50年前の論文が、地球の温暖化を人々に知らしめ、排出するCO2の削減を世界が考えるに至ったのだ。

   人間は、今、偏狭な「国」という枠組みで戦いあっている場合ではないのだ。その事実すら認識できない愚かな仲間に入って、人間同士が闘い傷つけ合う無駄なことにお金を浪費し、国民も世界の人も不幸せにする道を選ぶのか。それとも、「核兵器禁止条約に日本も参加し」「敵国には自国の武力強化ではなく、互いに平和的な手段により武器削減をこそ目指す」「共通の世界の幸せを模索する道を選択する」。人間には、もうこの道しかないのだ。

   この長期政権のように、「国」の枠組みから出られない古くさい党にこれ以上政権を任せたら、また、ガーゼマスクでコロナと闘ったり、国民にはお金が渡らずアメリカのいいなりにイージスアショアや戦闘機を大人買いしたりすることになる。そして、40年以上の老朽化した原発で自国民の命を脅かされる。

   周囲国の脅威を声高に言い、軍備強化の話をする人たちにひと言いいたい。

   戦後、日本は平和憲法の下で、PKOで海外にでるようになったが、武器で他国を攻め人を殺さないでやってきた。

   日本を敵国に占領されて戦争になったこともない。でも、大切な命を失い、大切な故郷を失った人がいる。それは、自然災害と福島原発事故という人災によってだ。愚かにも地震国の日本で津波に脆弱な原発を大量に建設したことによる結果だ。

   今、国民の命、財産、生活を守るために大事なのは、何なのか。どこか敵国に占領されて日本が莫大な被害を受けたことはない。戦後になって国民が甚大な命、財産、生活に被害を受けたのは、自然災害と原発事故だ。その事実(ファクト)をしっかり受け止めて、日本の将来に必要なのが、軍備なのか、原発を再稼働せず安全に廃炉を進める技術を磨くことなのかを見極めよう。そして、国民の生活と幸せを壊す政治家にはNOをつきつける衆議院選挙にしよう。

   北朝鮮の金総書記も、国防発展展覧会で行った演説で、<北朝鮮の軍増強は戦争を始めるためではないとし、「われわれはどの国との戦争についても話し合っておらず、むしろ国家の主権保護のために戦争自体を防ぎ、まさに戦争抑止力を強めようとしている」と述べ、米国は北朝鮮を敵視していないと表明しているが、米国が「誤った判断と行動」を続ける中、そうした主張を信じることは難しいとの見方を示した>という(ロイター記事・から)。

   唯一の被爆国日本の役目は明確だ。軍備強化して互いの国民を疲弊させることではなく、核兵器禁止条約を進め、軍備を縮小し、世界が一緒に温暖化と立ち向かい、世界のどこにも豊かさから取り残されない豊かな地球を守り育てていくことだ。

   軍備強化をうたう、まして「敵基地攻撃能力の検討」を進めようとする政治家は、国会に送らない! 原発の再稼働を進める政治家も国会には送らない!

 

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土星、木星、月の順で並んで、西の地平に移動ちゅう

2021-09-19 20:27:27 | 知ろう福島のこと

   今日は、とてもいい天気でした。夕方には、のぼり立てのお月様をちょうど東の低い空に見つけました。

   

   電線の上に昇ってきたお月様です。美しい!!!

           

    満月になるのは9月21日(火)。15夜のお月見の日も晴れるといいですね。まだ、左が欠けているのがアップすると分かります。

    この月、木星や土星と並んでいました。

    <2021年9月19日19:13>

    <2021年9月19日20:17>

    上に、19:13と20:17と約1時間後の月・木星・土星の並んでいる様子を写したものです。たった1時間で様子が違いますね。

    <23:00の空の様子を国立天文台「今日のほしぞら」から転載

    国立天文台でさらに23:00の様子を出してみました。さらに違っていますね。こうやって、並んで西の地平に沈んで行きます。だから、見る時間によって見え方が違うことに注意する必要があります。「今日のほしぞら」のサイトは本当に使いこなしていくと楽しいので、利用して夜空をしっかり楽しんでみてください。

    

   

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