バンクーバー・オリンピックのフィギュアスケートのロシアペアで演技した川口さん、スローで4回転の夢を持ってロシア国籍を取得して臨みながらも、4位という結果に終わってしまいましたね。
規定がとてもよかっただけに残念でしたが、さらに残念だったのは演技後のインタビューで(演技直前に4回転を封印すると言われて・・・)という発言をしたことです。こういう監督との齟齬については、語らない方がよかったのではないか、と思いました。3回転のスローも失敗しての敗北だったのですから。
それと対照的なのが、2009年のWBC*(野球)*の決勝(日本vs韓国)でイチローに打たれたイム・チャンヨン投手です。
監督が「敬遠サインをだしたのに」と発言したことで、彼に対して大ブーイングが韓国内で巻き起こる中、彼は黙ってそれを受けとめていたそうです。
ところが、最近のTV取材で、なんとコーチが監督の意志を選手に伝えず握りつぶした真犯人だったと判明したそうです。
つまり、彼はサインを無視したのでなかったのに、ひとりで責任を引き受けていたのです。
(打たれた責任は、どうあっても自分にあるのだから)ということだと思いますが、彼のやり方に心を打たれました。
先日テレビでノルディックの阿部選手の話しをしていたのですが、これにも共通したことを感じたので、これも紹介しておきましょう。
それまで常にノルディック競技の先頭を歩いてきた阿部選手が、1992年のアルベールビルオリンピックに出場したものの、複合の日本代表選手には成績不調で選ばれなかったのだそうです。
自分の出場を当然のことに思っていたので、監督の決定を受け入れ難く、彼はモノでも蹴飛ばしたい気分になったそうです。それで、思わず外に頭を冷やしに出たのだそうですが、ひとまわりする内に、こんな気分を他の3人の選手に感じ取らせてはいけないと気付き、翌日は一番に起きて、代表に選ばれた三ヶ田・河野・荻原のスキー板15本の手入れをしたそうです。
そして、日本は見事優勝!
自分がいなくても、銀や銅ならまだしも、優勝してしまった *(驚き)*
自分が一番年上だったので、彼は引退を考えたそうです。
自分で揚げた日の丸ではないので、悔しくて表彰式で真ん中に揚がった旗 *(日本)* も見ないようにしていたそうです(笑)。
しかし、息子が生まれたこともあって次のオリンピックに向けて再チャレンジを決意 *(キラキラ)*
1994年のリレハンメルんのオリンピックには、見事に河野・荻原選手と一緒に、今度は自分も代表になり滑って 日本2連勝 *(びっくり1)* の快挙を成し遂げ、日の丸 *(日本)* を、しっかり見上げたそうです!
番組の中で、阿部選手は、あの時ふてくされた気持ちを乗越えられていなければ、今はなかったと振り返っていました。
起きた現実を受け止める溜め(スペース)を心の中に持てるか否かで、物事への対処は大きく違ってくるようです。言葉は、一度発言してしまうと、リセットがきかないものですから、溜めの中に一回置いてから、しっかり紡ぎだしたいものだと思いました。
まだまだ、心の溜めも少ない 初心者の私ですが、それでも“溜め”を使い考えて言葉を選んだことで、後になってよかった*(いっぷく)* と思える事がいくつかあります。
これからも、繰り返し鍛錬しながら、自分の心の中の溜めの領域を広げるよう努力していきたいです。
余談: 冬季オリンピックは、1992年までは夏季と同年開催だったのが、リレハンメルンを2年後にすることによって、2年毎に夏冬交互に開催される今の形になったのですね~ *(キラキラ)*
規定がとてもよかっただけに残念でしたが、さらに残念だったのは演技後のインタビューで(演技直前に4回転を封印すると言われて・・・)という発言をしたことです。こういう監督との齟齬については、語らない方がよかったのではないか、と思いました。3回転のスローも失敗しての敗北だったのですから。
それと対照的なのが、2009年のWBC*(野球)*の決勝(日本vs韓国)でイチローに打たれたイム・チャンヨン投手です。
監督が「敬遠サインをだしたのに」と発言したことで、彼に対して大ブーイングが韓国内で巻き起こる中、彼は黙ってそれを受けとめていたそうです。
ところが、最近のTV取材で、なんとコーチが監督の意志を選手に伝えず握りつぶした真犯人だったと判明したそうです。
つまり、彼はサインを無視したのでなかったのに、ひとりで責任を引き受けていたのです。
(打たれた責任は、どうあっても自分にあるのだから)ということだと思いますが、彼のやり方に心を打たれました。
先日テレビでノルディックの阿部選手の話しをしていたのですが、これにも共通したことを感じたので、これも紹介しておきましょう。
それまで常にノルディック競技の先頭を歩いてきた阿部選手が、1992年のアルベールビルオリンピックに出場したものの、複合の日本代表選手には成績不調で選ばれなかったのだそうです。
自分の出場を当然のことに思っていたので、監督の決定を受け入れ難く、彼はモノでも蹴飛ばしたい気分になったそうです。それで、思わず外に頭を冷やしに出たのだそうですが、ひとまわりする内に、こんな気分を他の3人の選手に感じ取らせてはいけないと気付き、翌日は一番に起きて、代表に選ばれた三ヶ田・河野・荻原のスキー板15本の手入れをしたそうです。
そして、日本は見事優勝!
自分がいなくても、銀や銅ならまだしも、優勝してしまった *(驚き)*
自分が一番年上だったので、彼は引退を考えたそうです。
自分で揚げた日の丸ではないので、悔しくて表彰式で真ん中に揚がった旗 *(日本)* も見ないようにしていたそうです(笑)。
しかし、息子が生まれたこともあって次のオリンピックに向けて再チャレンジを決意 *(キラキラ)*
1994年のリレハンメルんのオリンピックには、見事に河野・荻原選手と一緒に、今度は自分も代表になり滑って 日本2連勝 *(びっくり1)* の快挙を成し遂げ、日の丸 *(日本)* を、しっかり見上げたそうです!
番組の中で、阿部選手は、あの時ふてくされた気持ちを乗越えられていなければ、今はなかったと振り返っていました。
起きた現実を受け止める溜め(スペース)を心の中に持てるか否かで、物事への対処は大きく違ってくるようです。言葉は、一度発言してしまうと、リセットがきかないものですから、溜めの中に一回置いてから、しっかり紡ぎだしたいものだと思いました。
まだまだ、心の溜めも少ない 初心者の私ですが、それでも“溜め”を使い考えて言葉を選んだことで、後になってよかった*(いっぷく)* と思える事がいくつかあります。
これからも、繰り返し鍛錬しながら、自分の心の中の溜めの領域を広げるよう努力していきたいです。
余談: 冬季オリンピックは、1992年までは夏季と同年開催だったのが、リレハンメルンを2年後にすることによって、2年毎に夏冬交互に開催される今の形になったのですね~ *(キラキラ)*