バンクーバーの華は、やっぱり女子フィギュアでしたね。様々な困難を乗り越えて舞った氷上の天使達に拍手です *(ハート6つ)*
しかし、直前の母親の急死を乗り越えて銅メダルをとったカナダのロシェットに限らず、彼女達の多くが、肉親の死や病気、自身の病気やスランプなどと闘い乗り越えてきた人が多いのに驚きました。
父を早くに亡くした安藤、母親がガンの治療中の長洲、自分自身が拒食症を克服した鈴木、浅田もスランプを乗り越えてのオリンピックでした。
仏教は、人間の世は苦に満ちていることを出発点としていますが、(何と人間の人生が安穏にはすごせないものか*(びっくり1)*)と、 TVの解説に耳を傾けながら、あらためて知らされる思いでした。
そんな中で、なぜキム・ヨナ選手が金で、浅田選手が銀だったのか考察してみると・・・思い当たることが *(驚き)*
運命的にも、ショートでは浅田の後にキム・ヨナ、フリーではキム・ヨナの後に浅田、という演技順になりましたが、演技直前の二人の対照的な姿に、結果を分けた何かがあったように思えました。
キム・ヨナは、浅田に向けられた歓声と拍手を聞いて、そちらの方に目をやると*(ジロ)*、(仕方ないわ。私は、私の演技をするだけ)といったような素振りをすると、そこで何ともいえない不適な微笑を浮かべてからリンクに出て行ったのです。
浅田はというと、後であの時は浜崎の歌を聴いて集中しようと試みていたと言ってましたが、イヤホンでしっかり両耳を塞ぎ、歓声に惑わされまいと必死の様子でした。
ライバルの演技への歓声を聞くのは、苦しい。しかし、(苦しくてもそれが現実であるなら、耳を覆わずに顔をあげて立ち向かう)そんな強い姿勢がキム・ヨナには見られました。
すべての選手が立派に自分の実力を発揮し素晴らしい演技をしたことに拍手を惜しみません。
でも、どんなに実力を発揮しても、金メダルはたった一人にしか与えられません。その一人になるには・・・。
金メダルを勝ち取ったキム・ヨナの強さ、現実を受け入れて闘い抜いた彼女の強さに、大きな拍手を送り、私も倣っていきたいと思いました。
しかし、直前の母親の急死を乗り越えて銅メダルをとったカナダのロシェットに限らず、彼女達の多くが、肉親の死や病気、自身の病気やスランプなどと闘い乗り越えてきた人が多いのに驚きました。
父を早くに亡くした安藤、母親がガンの治療中の長洲、自分自身が拒食症を克服した鈴木、浅田もスランプを乗り越えてのオリンピックでした。
仏教は、人間の世は苦に満ちていることを出発点としていますが、(何と人間の人生が安穏にはすごせないものか*(びっくり1)*)と、 TVの解説に耳を傾けながら、あらためて知らされる思いでした。
そんな中で、なぜキム・ヨナ選手が金で、浅田選手が銀だったのか考察してみると・・・思い当たることが *(驚き)*
運命的にも、ショートでは浅田の後にキム・ヨナ、フリーではキム・ヨナの後に浅田、という演技順になりましたが、演技直前の二人の対照的な姿に、結果を分けた何かがあったように思えました。
キム・ヨナは、浅田に向けられた歓声と拍手を聞いて、そちらの方に目をやると*(ジロ)*、(仕方ないわ。私は、私の演技をするだけ)といったような素振りをすると、そこで何ともいえない不適な微笑を浮かべてからリンクに出て行ったのです。
浅田はというと、後であの時は浜崎の歌を聴いて集中しようと試みていたと言ってましたが、イヤホンでしっかり両耳を塞ぎ、歓声に惑わされまいと必死の様子でした。
ライバルの演技への歓声を聞くのは、苦しい。しかし、(苦しくてもそれが現実であるなら、耳を覆わずに顔をあげて立ち向かう)そんな強い姿勢がキム・ヨナには見られました。
すべての選手が立派に自分の実力を発揮し素晴らしい演技をしたことに拍手を惜しみません。
でも、どんなに実力を発揮しても、金メダルはたった一人にしか与えられません。その一人になるには・・・。
金メダルを勝ち取ったキム・ヨナの強さ、現実を受け入れて闘い抜いた彼女の強さに、大きな拍手を送り、私も倣っていきたいと思いました。