今日の東京新聞は、死去から1ヶ月になろうとしている坂本龍一さんのことを1面では、「神宮外苑再開発への反対」のメッセージを再度掲載した上で、中面でさらに、これまでの坂本龍一さんと東京新聞で話し合って作ってきた記事について振り返っていた。
東京新聞のやり方。大事な記事は惜しみなく公開しているので、ネットでも ココから見られます。
先月二十八日に亡くなった坂本龍一さんは生前、本紙記者を前にこのように話した。「僕は音楽を作るとき、どうすれば聞き手が心を閉ざさないで聞いてもらえるかを一番に考えます。同じように、読者が心を開く新聞作りをしてもらいたいですね」。この助言を生かして作成したのが「坂本龍一プロジェクト」だ。本紙は坂本さんを紙面の共同編集パートナーとして迎え、二〇一三年から一四年にかけて、さまざまなタイアップ企画を行ってきた。坂本さんが亡くなって明日で一カ月。追憶の意を込め、これまで坂本さんと一緒に作った紙面を振り返ってみたい。
坂本:「本当にこの国は民主主義国家なのか。よく原子力ムラというが、そんな生易しいものではなく、ここは原子力帝国ではないのか。産業界、政治家、金融、全部集まっている。普通じゃない。3・11のせいで、僕は気が付いてしまった」
新聞の右下に、坂本龍一がSNSで「頑張れ、東京新聞」とエールをおくっているのに気づいて、紙面の共同編集パートナーになってくれませんかと声をかけ、思いがけずに快諾された時の話が書いてあります。私も東京新聞を最近になって応援しています。坂本さんは東京新聞を読んでいて、2013年から東京新聞の「紙面刷新検討チーム」に、惜しみなく力を貸していた経緯については、下の本「坂本龍一×東京新聞 脱原発とメディアを考える」に詳しく記録されているので、是非読んでみて下さい。
この巻末の東京新聞の編集局長の文から短めに少し書き写させてもらうと・・・
「1番弱い人のために新聞を作ろう」。
人々の新聞離れは誰のせいでもない。新聞が人々から離れていたのだ。「3・11」の教訓です。紙面刷新検討チームからのどんな提案に対しても「NO]を言わないと決めていました。
新しい新聞づくりのけん引役は今、編集局内に設置した「次世代新聞研究所」に参集した約50人の記者に引継がれています。研究所と言っても部屋はありません。専従の記者もいません。月に1回、集まれる記者が新聞の未来のために侃々諤々議論をする。それが研究業務です。
「拳を振り上げず、心に届くように気をつけて、これからも記事を書いてください」。長年の東京新聞の読者でもある坂本さんからの忠告です。心にしっかり刻み、人々が欲する新聞を地味ちにつくったいきます。 (2014年11月)
毎日 東京新聞を読んでいて、この精神が受け継がれているのを今もしっかり読み取れます。
あなたも、東京新聞を読んでみませんか?
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オマケ)紙面に未掲載だった2013年12月の坂本龍一さんとのやりとりが、偶然ネットでみつかりました(ココから)。
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