住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

読経の功徳

2005年06月13日 20時45分06秒 | 仏教に関する様々なお話
仏教の法要には読経が付きものだ。法事にしても葬儀にしても読経がその中心にある。読経しない法会もないではないが、それでも別の何か偈文であるとか、伽陀(かだ)と言われるサンスクリットの偈を節を付けて唱えるものがあったり。いずれにしても何か唱える。ただ静かに手を合わせ祈る。坐禅する。それだけでも良さそうだが、それでもその前後に必ずお唱えするものがある。

読経とはいかなるものなのか。読経の始まりはどのようなものであったのか。私たちは今中国でトウ秦の時代、唐の時代に訳された漢訳のお経を読誦する。その訳された経典はもとはインドのサンスクリット語で記された経典だった。その殆ど全てが大乗仏典だから釈迦入滅500年から1000年が経過して創作され文字に書き残されたものだ。

しかし南方上座部の経典は、お釈迦様が亡くなってすぐの安居会(あんごえ)にて釈迦直説を伝えるべく編集会議・仏典結集(けつじゅう)が行われ、編纂された。代表して侍者アーナンダが唱えそれを皆で合誦(合唱)した。この頃は文字に書き残されることなく、全てを各パート毎に分担して暗唱され、師から弟子にと伝えられてきた。これらの経典が始めて文字に記されたのは、西暦紀元前後のこと。この間4、500年は口誦伝承された。

つまり経典を読誦して暗唱し伝承された。経典は読誦されることで後世に伝えられたのだった。この世の中を普く幸せに導くお釈迦様の教えを後の世に伝える。そのとても大切な目的のために膨大な量の経典が読誦され、ひと言も漏れることなく、大切に暗記されていった。

だからこそ読経にはとてつもない功徳があるのだと思う。大切な釈迦の直説を後世に伝え、その教えを聞く誰もがその功徳に預かれる。今日ではそれは紙に印刷された経典を読むことになっているにしてもその精神は同じことなのだと思う。

ところで、南方の上座仏教でお唱えするお経の中に宝経(ラトナ・スッタ)というのがある。このお経の解説を読んでいたら、この経は、私たちの周りにいる諸霊、神々に対してお釈迦様が説法する内容になっている。霊たちに祝福を与え、人々に慈しみをたれ人々を守れと命じ、そして仏教の三宝、仏法僧を敬い、中でも優れた修行を為す僧侶たちについて述べ、そうした仏法僧を礼拝し、幸福あれという内容になっている。

経典を読誦することは、この宝経にお釈迦様自ら言われているように、私たちの目に見えない、諸霊神々へ直接法を聞聴させ供養する意味合いもあるのかもしれない。また、昔三島の臨済宗専門道場龍澤寺に坐禅に行った折、朝の勤行時に唱えた観音経、般若心経は、正に腹の底から銅鑼の鳴るような大声を出す読経であり、まさしく心身共に浄化され癒しと法悦を味わうことが出来た。

仏前勤行というと、私にとっては高野山に登る前、車の中で仏前勤行次第と理趣経のテープを聴き唱えながら東京の街を走っていたことが思い出される。知らぬ間に高揚して陶酔する自分がそこにあった。仏前勤行、お経は、その家のおばあさんないしはおじいさんの仕事と思わず、その功徳を、また科学的にも立証された癒しの効果も併せ味わっていただけらありがたいと思う。
コメント (5)
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