住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

四国遍路行記6

2005年06月30日 13時14分44秒 | 四国歩き遍路行記
11番藤井寺のベンチで目を覚ます。さすがに身体が痛い。6時頃焼山寺へ向かい歩く。藤井寺の境内の脇から道が続いている。西国の観音様が遍路道沿いに祀られている。それが終わると白い小さな札が木々に掛けられ、赤い字で「へんろ道」と書いてあったり、「同行二人」「ひたすら歩くお大師様の道」などとあって、励まされる。民家などまったくない山の道だ。

2時間ほど歩くと道の右側に柳水庵があった。番外の札所でもある。大師堂があり、庫裏が古いが立派で、泊めてもくれるようだった。お茶を頂戴し暫し休む。一泊3500円とその時うかがった。こんな周りに何もないところで歩いてくる人を泊めようと思ったら大変なことだ。晩に遅くなってくる人もあろう。大師堂に参ると等身大ほどの大きなお大師さんがこちらをご覧になっていた。

そこからしばらく歩くと工事中の道を途中横切り、さらに先に進むと石段があった。荷物の重さがこたえる。ふと上を見るとそこに大きな笠をかぶったお大師さんがおられた。本当にお大師さんが目の前にお越しになったのかと一瞬見間違えたほど驚いた。大きな杉の木の前に祀られた、笠をかぶり錫杖を持った修行大師像だった。杉の木は天然記念物に指定されていた。石段を上がるとその先に阿弥陀堂があり、観音堂があった。

柳水庵で休んでから2時間ばかりで焼山寺の山門の前に出る。何百年もの年輪を重ねた杉の大木が出迎えてくれた。海抜800メートルもあるという。そのせいなのか建物はみな銅板葺きだ。本尊虚空藏菩薩。弘法大師が若き日に人生をかけて取り組んだ虚空藏求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)の本尊さんだ。お大師さんがここで求聞持をされたか定かでないが、おそらく後の時代の修行者が焼山寺の道場でも取り組まれたのであろう。

焼山寺を歩いて降りると途中に杖杉庵がある。ここは、四国遍路の縁起話に登場する衛門三郎がむごい仕打ちをしたことを悔いてお大師さんに会うために四国を遍路して歩いて来てやっとお大師さんに出会い、息絶えたところでもある。その時お大師さんは衛門三郎が持っていた杖をお墓の上に立て供養したと言われ、後にその杖から芽が出て大きな杉の木になったと伝えられていることから杖杉庵と言うのだそうだ。

その時醍醐寺で修行された年配の坊さんがおもりされていた。本当にお大師さんが好きなのだろう、檀家もない小さな庵を一生懸命手を入れて守られていた。確かその時、いらなくなった浴槽をもらってきてやっと風呂が出来たと喜ばれていた。そんな話をしているところに九州から来たという団体さんがお参りされ、私もお接待を頂戴した。

藤井寺から焼山寺は山道だが16キロ。しかしこの先13番大日寺へは30キロもある。どうしたものかと思案しながら下山する。前屈みになりながらも信玄師に教えられたように前後ろにほぼ均等に荷物を配分しているので、楽に錫杖をつき降り下った。
コメント
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