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住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

四国遍路行記5 

2005年06月16日 15時29分27秒 | 四国歩き遍路行記
十楽寺を出て、アスファルトの道を一時間ほど歩くと8番熊谷寺。遠くからも目に付く四国で最も大きなものの一つと言われる仁王門をくぐった。が、そこからが長かった。駐車場を抜け、石段の道を上がる。なかなか本堂が見えない。もうそこだと思って歩く道ほど長く感じるものはない。まだまだ先と思って歩いていると、気がつくと着いている。そんなものだろう。

本堂で十一面観音さんを拝み、また石段を上がって大師を拝む。来た道を戻って、9番法輪寺に向かう。田んぼの真ん中にたたずみ、遠くからでも白壁で囲まれた境内が一望できる平地のこぢんまりした札所だ。本尊さんは寝釈迦。この頃からお釈迦様第一主義だった私は、お釈迦様のお前立ちならぬ寝姿を間近に見つつ、理趣経を一巻お唱えした。

お釈迦様が法輪を転じたお陰で私たちは仏教にまみえることが出来る。梵天に促され法を説かれなければ永遠にお釈迦様の悟りは封印されていたところだった。法を説き終わった安らかなお顔が目に浮かんできた。

山門前の茶店でうどんを食べる。このとき茶店のおばさんと何やら話をしたらしい。この翌年来たとき、そのことを憶えていてくれた。こちらの方が驚くほど良く憶えておられたのには感心した。

歩き出そうとしたら、自家用車で来ていた二人連れの中年男性遍路さんから話しかけられ、同乗した。愛媛の明石寺近くでスーパーを経営している方だった。東京から来たと言うと、自分は明治大学の出身で学生の頃東京に下宿していたなどという話で盛り上がってしまった。是非明石寺まで来たら寄って下さい、とのことだった。

そんな話をしている間に10番切幡寺に着いた。車で上がれるギリギリまで上がったが、大きな車だったので、下からの上がる道の中間くらいで車を降りた。それでもそこからの石段の上がりはきつかった。息を切らしながらの読経。

歩き遍路をする人の中には車のお接待を断る人もあると聞いた。確かに歩いて参ることを決めたのだから断るのも当然かもしれない。しかしお接待をしたいと思う人の中には、自分には出来ない歩いて遍路している人にお接待することで自分もその功徳にあずかりたい、そう思っておられる人もある。ただ単純に疲れているようだから近くまで乗せてあげようかと思って声を掛けてくれる人もあろう。

私の場合は、そうしてご縁のあった人の好意はすべて受けることにした。そして車内でなるべく様々な話をし、住所をうかがい遍路を終えた後、感謝を述べる葉書を送らせてもらった。そうして未だに手紙のやり取りをしている方が何人かいる。本当に四国は、特に歩いて参ると、このご縁のありがたさを感じる。

切幡寺から11番藤井寺へは10キロ以上の道のりがある。途中吉野川を渡る。手摺りのない橋を渡って、山沿いまで歩くと藤井寺だった。新しく新築された本堂の小窓から覗くとお薬師さまがお姿を見せられていた。ふっくらしたきれいなお顔。ゆっくりお経を唱えていたら、5時を過ぎていたので、売店でおにぎりを買い、そのままベンチに寝袋を広げた。明日は最難所焼山寺道だ。
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