活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

想説/活版印刷人あれこれ4

2009-08-10 09:25:22 | 活版印刷のふるさと紀行
 しばらくの間、ヴァリニャーノは、ほころびのある墨染めの僧衣に身を包み、顎の下に長い白髭をたくわえた禅僧をじっとみつめたままでした。
 前任のカブラルから聞かされていた日本の僧侶のイメージとはあまりにもちがういかにも内に秘めた教養と人徳が醸し出す雰囲気に気おされる気がしてなりませんでした。
 さらに、いっぽうで自分の頭の中で言いしれない「驚愕」が渦まいていることを自覚せざるを得ませんでした。

 《この日本に200年も前から印刷本が存在しているなんて。200年も前ということは、1300年代ではないか。英仏の百年戦争以前ではないか。》
 
《なんと、ドイツでグーテンベルグが活版印刷術を発明する100年以上も前に、日本のテラで本が印刷されていたとは》
 
《その同じ頃、私の生まれ故郷キエティの教会ではどうであったろう。おそらく
あの大理石の石机に向って修道士たちが羽ペンを握り締めて一字、一字手書きの写本作りに精をだしていたことだろう》
 イタリア南部のふるさとに思いをはせながらも、この極東の島国には不似合いの文化のありようが、彼にはまだ、信じられない気がしてなりませんでした。

 つい、彼は、咳き込むようにして目の前の禅僧に質問をぶつけずにはいられませんでした。
 「それなら、こうした本や文字の印刷は僧侶専用のものなのか」
 「いまも各地のテラでは木版の印刷はなされているのか」
 「婦人や子どもにもこんなに複雑な文字が読めるのか」
 「仏典以外の印刷物は存在するのか」

 そのつど、禅僧はときおり白髭に手をやりながら、思慮深げに言葉を選びながらていねいに答えてくれました。
 いちいち通訳を介さねばならないこともあって、ヴァリニャーノの禅寺通いはそれから三日にも及びました。
 この訪問によって彼は来日早々から考え続けて来た自分の構想に自信を持つことが出来ました。
 「この日本の印刷事情についてローマの本部に報告すると同時に、行動に移そう。急がねばならぬ」
 

 
 
コメント
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