活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

想説/活版印刷人あれこれ7

2009-08-13 10:32:52 | 活版印刷のふるさと紀行
 その1580年の暮、ヴァリニャーノは府内(いまの大分)のコレジヨで『日本のカテキズモ』の執筆にかかっていました。
日本に到着した彼を待ち構えていたのは、日本イエズス会の厳しい財政問題、日本布教長カブラルと都地方の長オルガンティーノの対立、大村純忠からもちかけられたイエズス会へ長崎を譲渡しようという問題、口之津の領主有馬のゴタゴタなどなど山積みでした。

 いま、府内にとどまっているのは大友宗麟との交渉ごとによるものでしたが、それにしても、そんな中での執筆とはおそるべき行動力といえましょう。
 カテキズモはキリスト教要理と訳されていますが、日本人の修道士がキリスト教をよりよく知るための本で、この本を使ってわかりやすく教理を説明してあらたな信者を少しでも多く獲得してもらいたいのが狙いでした。

 とにかく、私が思うのに、彼は短い時間で自分の存在をきわだたせる必要があり
ました。選ばれたエリートではあっても彼はイタリア人で、イエズス会内部の多くのポルトガル人勢力の鼻をアカさねばならなかったのです。
 したがって豊後でも臼杵につくったノビシャドや府内のコレジヨで熱っぽい講義をしました。好評でした。しかし、在日20年に近いルイス・フロイスの通訳なしでは講義が進まないのが残念で、満足するわけに行かなかったのです。

 《あれほど日本に送り込んだ宣教師たちに日本語をモノにしろといいながら》自分自身が話せないもどかしさ、いま、進めているカテキズモにしても日本語で書けない口惜しさ。
 いま、この多忙の中で日本語に習熟するのは不可能だ、だとしたら、「印刷を日本に持ち込むこと」を私の課題にしよう。そのためにヴァリニャーノはどこから手をつけるか
思案しはじめました。




コメント
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