活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

想説/活版印刷人あれこれ13

2009-08-21 11:28:31 | 活版印刷のふるさと紀行
 ところがヴァリニャーノにとって意外な成り行きになってしまいました。
 ことの次第というのはこうでした。
 
 印刷要員も決めた、実習の候補地も決めた。イエズス会本部への要請文を書こう、研修生が日本に持ち帰る印刷機の手配もしなくてはならぬ。そうだ、養方軒に国字の版下作りが進んでいるか確かめよう。彼がつぎつぎと手を打とうとしているときに思わぬ事態がおきたのです。

 そうはいっても、それはヴァリニャーノ自身が蒔いたタネでした。
 ドラードやアゴスティニョを印刷研修生と選んでいるときに、《そうだ、表敬使節も若者にしよう》と、ひらめいたのです。
 もともとは有馬や大村から敬虔なキリシタン武士を推薦してもらう心積もりでした。
 ところが、長い航海を乗り切る体力、帰国してからの余命、何にもまして教皇や国王、有力諸侯に「地球の東の果ての国に、こんなに立派なキリシタンがいるのか」と感心させるためには、成人よりも少年武士の方がよいと考えを変えたのでした。

 ヴァリニャーノがその考えを協議会で述べ、各地区の神父代表に人選を相談したからたまりません。誰しも自分の教区から名誉の使節を出したいものですから、まるで蜂の巣をつついたようになってしまいました。
 かくしてあっという間に、シモじゅうに噂が飛び交いました。
 「パッパ様(教皇)に会いにダレソレが行くそうな」、「まさか」
 あれほどヴァリニャーノが力を入れているのに、実体の想像できない「印刷要員」の方はすっかり吹き飛んでしまったのでした。

 ヴァリニャーノは表敬使節をキリシタン大名有馬・大村の名代として出す案に賛成し、豊後の大友の名代を加えることにしました。
それに、出発まで日が無いので正使も副使も開校二年目の有馬セミナリオ在校生から選ぶことで押し切りました。 
 

 
コメント
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