活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

想説/活版印刷人あれこれ10

2009-08-18 10:22:53 | 活版印刷のふるさと紀行
 翌年の九月初旬、ヴァリニャーノは堺から土佐沖を迂回して豊後に向かう船上にいました。海は凪いでいました。
船べりに舞い降りるカモメに目を奪われながら彼は久しぶりに充実感を味わっておりました。
 
豊後の府内を振り出しに、高槻や岡山、安土、堺と、今回の五畿内の旅は重苦しい九州とは違い、日本での布教の未来に明るい希望をもたらしてくれたからでした。
 とりわけ安土での日々は彼を力づけてくれました。
 さきほどから、信長との謁見の場を思い出していました。信長がいかにも喜びそうな進物の数々を披露したあと、大判の聖書と地図と図鑑を恐る恐る供したあのときのことを。
 「これらの書物は手書きではありません。貴国の木版とも違います。
 ヨーロッパでは今から百年も前から、このような文字や絵を機械で紙に写す「活版印刷」をおこなっております。ごらんいただけますでしょうか」
 驚いたことに信長は長いこと見入っていたのです。「印刷の普及がいかにヨーロッパに学問を広め、多くの人の知識をふやしたか、それは、いまお手元に供しました秤(はかり)でも計ることはかないません」

 信長は通訳のフロイスに向かって白い歯を見せました。それに勇気を得たのでしょうか、
 「私はこの国に必ず「活版印刷」を持って参ります」ヴァリニャーノはついつい大見得をきってしまいました。
 
 めずらしく船がグラッと揺れました。
 
 そのときです。ヴァリニャーノにひらめいたものがありました。
 《この海はローマやポルトガルにつづいている。そうだ、臆することはない。ローマ教皇庁やポルトガル国王のもとに日本から使節を送り、かの地で印刷を習わせよう》

 まさに、これがヴァリニャーノが遣欧使節を思いついた瞬間でした。
 みなさんは、ここで、私が言いたいことがわかっていただけますでしょうか。

 天正遣欧少年使節の派遣に付随して印刷術の導入があったのではなく、実は
グーテンベルク方式の印刷術を日本に取り入れるアイデアの方が先きにあったのです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする