あなたは日本語のこと、どのくらい知っています?
普段、自由に使いこなしているので、日本語のことはよく分かっているつもりになっていますけど、実はあまり知らないものなんですよ。
『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』
この本を読むとそれがよく分かります。
知ってます?
例えば「彼」とか「彼女」といった三人称を表す言葉。
これ、明治時代から使われ出した言葉で、それまでは三人称を表す言葉は日本語にはなかったんです。西洋のモノマネで始まった明治維新は、言葉も模倣しようとして、三人称も導入してしまったんですね。
「彼」はもともと男女両用の人称代名詞。これを男用とし、女用として「彼女」を作った。しかも最初「かのじょ」とは読まず「かのおんな」と読んでいた。「かのじょ」という読みは明治二十年前後から。
確かに、時代劇で「彼女はどうした?」なんて聞きませんよね。ちなみに英語の翻訳本で「…と彼が言った」とか「…と彼女が言った」というフレーズをよく見かけますが、これは言葉に性別がないから、いちいち区別しなければならない。そう、日本語には言葉に性別があります。ほら「男言葉」とか「女言葉」とかあるでしょう。「あら」とか「まあ」と付けば女性のセリフだとすぐ分かる。
「先ぶれの副詞」にもご注意。
「さぞ」とか「まだ」「どうも」というやつですね。
文章の途中で「まだ」とくれば、下に否定がくることが分かる。「私は昼御飯を、まだ…食べました。」なんて言う人はいないですよね。(吉本のギャグじゃあるまいし)日本語は文のポイントがそのおしまいに来るので、長い文章だとこういう副詞を付けて読み易くしてやる。判断を助けてあげるわけです。
一番面白いと思ったのは助詞と助動詞。
例えば助詞の「を」。
なぜ「水を沸かす」ではなく「湯を沸かす」なんでしょう?
「飯を炊く」も同じ。「米を炊く」とは言わないでしょう。つまり、「を」には材料というより、出来あがった物を必ず指す決まりがあるんですよ。だから「水」ではなく、「湯を沸かす」になる。
外国の人が日本語を学ぶ時、最初に教わる「は」と「が」の使い方も、日本人は聞かれると分からない。
無意識に使い分けている。
「は」も「が」もだいたい主語に付きます。
「象は鼻が長い」という文章だと、「象は」と「鼻が」の二つ主語があるように見えますよね。これを「象が鼻は長い」に変えると、日本人なら誰でもおかしいと分かる。でも、何がおかしいのか説明しようとすると案外難しい。
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」「おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に…」これも同じ。「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんは住んでいました」これだとおかしいと思うでしょう。続いて「おじいさんが山に芝刈りに、おばあさんが川に洗濯に…」だと、続きの文としては変。
これを簡単に説明した人がいて、それによると「は」というのは、もう明らかになったことに付く。対して「が」は、まだ未知なものに付く。最初におじいさんとおばあさんが出てきた時は、まだよくわからない未知なものだから「が」と付く。「…おじいさんとおばあさんが住んでいました」これで、おじいさんとおばあさんについては分かったから、その後は「は」を付ける。だから「象は鼻が長い」の「象・は」は、主語ではなくて「皆さんよくご存知の象という動物に付いて言えば…鼻が長い」という意味なんです。
こんなこと、考えたこともなかった。
改めて辞書を読んでみるとこれが面白い。
愛用は岩波書店の『広辞苑』。
「左」とか「右」を言葉で説明できますか?
「左」は右の反対。じゃあ、ダメですよ(笑)
「うつらうつら」と「うとうと」の違いは?
わからないことより、もうわかりきったことを調べると、新しい発見があります♪
「窓から首を出す」を英訳する時、頭はどうなるんでしょう。
「腰を下ろす」も同じ。
「膝が笑う」なんてどうなるの?(笑)
こういうことを知っていくと、言葉を使う時は、もっと丁寧に使わなくては、と思います。
ちなみに作家の司馬遼太郎さんは「おもう」を漢字で書きません。≪おもう≫はどう考えても大和ことばだから、平仮名にひらいて使っているそうです。
この本は平成八年に岩手県の一関市で行われた「作文教室」という講座をもとにつくられています。だから基本的には作文の書き方を伝えるものです。その中で、上記のような話が出てくるわけですが、読み物としても面白い。
さすがは井上ひさしって感じです。
文章は知識で書いても、ちっとも面白くありません。それは作者も言っています。
自分の言葉で、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書く。これができたら、プロ中のプロだそうです☆
井上 ひさし 他 文学の蔵 編
新潮文庫
普段、自由に使いこなしているので、日本語のことはよく分かっているつもりになっていますけど、実はあまり知らないものなんですよ。
『井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室』
この本を読むとそれがよく分かります。
知ってます?
例えば「彼」とか「彼女」といった三人称を表す言葉。
これ、明治時代から使われ出した言葉で、それまでは三人称を表す言葉は日本語にはなかったんです。西洋のモノマネで始まった明治維新は、言葉も模倣しようとして、三人称も導入してしまったんですね。
「彼」はもともと男女両用の人称代名詞。これを男用とし、女用として「彼女」を作った。しかも最初「かのじょ」とは読まず「かのおんな」と読んでいた。「かのじょ」という読みは明治二十年前後から。
確かに、時代劇で「彼女はどうした?」なんて聞きませんよね。ちなみに英語の翻訳本で「…と彼が言った」とか「…と彼女が言った」というフレーズをよく見かけますが、これは言葉に性別がないから、いちいち区別しなければならない。そう、日本語には言葉に性別があります。ほら「男言葉」とか「女言葉」とかあるでしょう。「あら」とか「まあ」と付けば女性のセリフだとすぐ分かる。
「先ぶれの副詞」にもご注意。
「さぞ」とか「まだ」「どうも」というやつですね。
文章の途中で「まだ」とくれば、下に否定がくることが分かる。「私は昼御飯を、まだ…食べました。」なんて言う人はいないですよね。(吉本のギャグじゃあるまいし)日本語は文のポイントがそのおしまいに来るので、長い文章だとこういう副詞を付けて読み易くしてやる。判断を助けてあげるわけです。
一番面白いと思ったのは助詞と助動詞。
例えば助詞の「を」。
なぜ「水を沸かす」ではなく「湯を沸かす」なんでしょう?
「飯を炊く」も同じ。「米を炊く」とは言わないでしょう。つまり、「を」には材料というより、出来あがった物を必ず指す決まりがあるんですよ。だから「水」ではなく、「湯を沸かす」になる。
外国の人が日本語を学ぶ時、最初に教わる「は」と「が」の使い方も、日本人は聞かれると分からない。
無意識に使い分けている。
「は」も「が」もだいたい主語に付きます。
「象は鼻が長い」という文章だと、「象は」と「鼻が」の二つ主語があるように見えますよね。これを「象が鼻は長い」に変えると、日本人なら誰でもおかしいと分かる。でも、何がおかしいのか説明しようとすると案外難しい。
「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」「おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に…」これも同じ。「昔々あるところに、おじいさんとおばあさんは住んでいました」これだとおかしいと思うでしょう。続いて「おじいさんが山に芝刈りに、おばあさんが川に洗濯に…」だと、続きの文としては変。
これを簡単に説明した人がいて、それによると「は」というのは、もう明らかになったことに付く。対して「が」は、まだ未知なものに付く。最初におじいさんとおばあさんが出てきた時は、まだよくわからない未知なものだから「が」と付く。「…おじいさんとおばあさんが住んでいました」これで、おじいさんとおばあさんについては分かったから、その後は「は」を付ける。だから「象は鼻が長い」の「象・は」は、主語ではなくて「皆さんよくご存知の象という動物に付いて言えば…鼻が長い」という意味なんです。
こんなこと、考えたこともなかった。
改めて辞書を読んでみるとこれが面白い。
愛用は岩波書店の『広辞苑』。
「左」とか「右」を言葉で説明できますか?
「左」は右の反対。じゃあ、ダメですよ(笑)
「うつらうつら」と「うとうと」の違いは?
わからないことより、もうわかりきったことを調べると、新しい発見があります♪
「窓から首を出す」を英訳する時、頭はどうなるんでしょう。
「腰を下ろす」も同じ。
「膝が笑う」なんてどうなるの?(笑)
こういうことを知っていくと、言葉を使う時は、もっと丁寧に使わなくては、と思います。
ちなみに作家の司馬遼太郎さんは「おもう」を漢字で書きません。≪おもう≫はどう考えても大和ことばだから、平仮名にひらいて使っているそうです。
この本は平成八年に岩手県の一関市で行われた「作文教室」という講座をもとにつくられています。だから基本的には作文の書き方を伝えるものです。その中で、上記のような話が出てくるわけですが、読み物としても面白い。
さすがは井上ひさしって感じです。
文章は知識で書いても、ちっとも面白くありません。それは作者も言っています。
自分の言葉で、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書く。これができたら、プロ中のプロだそうです☆
井上 ひさし 他 文学の蔵 編
新潮文庫