永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(601)

2009年12月25日 | Weblog
9.12/25   601回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(16)

 ご衣装を霧に濡らしての朝帰りの夕霧を見て、女房達は「なんとめずらしいこと、朝帰りとは」と袖をつついて囁き合っています。夕霧はしばしお寝みになってから、衣装を着替え、朝粥などを召しあがって、源氏のお部屋にご挨拶に参上しました。

 さて、その後、夕霧は落葉宮の山荘へお文を差し上げましたが、宮はお目も通されません。宮はお心の中で、

「にはかにあさましかりし有様、めざましうもはづかしうも思すに、心づきなくて、御息所の漏り聞き給はむことも、いとはづかしう、またかかる事やとかけて知り給はざらむに、ただならぬふしにても見つけ給ひ、人の物言ひ隠れなき世なれば、自から聞き合せて、隔てけると思さむが、いと苦しければ、人々ありしままに聞こえ漏らさむ、憂しと思すとも、如何はせむ」
――突然あのような目に遭いましたことが、不快にも恥ずかしく思われますにつけ、腹立たしく、母君のお耳にでも入ったならば一層恥ずかしく、まさかこのような事があろうなどとは想像もなさらないことでしょう。しかし、私の日頃と変わった様子を不審に思われ、また、人の口に戸をたてられない世の中ですから、自然人から聞きこんで親に隠し事をしたなどと思われますのも、ひどく心ぐるしい。ああ、いっそのことあの場面を知っている侍女たちが有りのままを申し上げてくれれば、厭な事だとお思いになるとしても、もうそれは仕方がないこと――

 と思うのでした。このお二方は親子のうちでも特にお気が合って、少しの隠し事もないように暮らしていらっしゃるのでした。
女房達は夕霧からのお文がどのようなものかと気がかりで、「母君がちょっとお聞きつけになったからといって、心配なさることはございませんでしょう。まだそうでもないことに取越し苦労をおさせしては、かえってお気の毒です」と言って、さらに急きたてるように女房達は、

「なほ無下に聞こえさせ給はざらむも、おぼつかなく若々しきやうにぞ侍らむ」
――やはり全然お返事なされませんのも、良くありませんし、あまりにも幼くお見えになりましょう――

 と、御文を広げて差し出しますが……。


源氏物語を読んできて(600)

2009年12月24日 | Weblog
09.12/24   600回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(15)

 夕霧は、帰り際に(歌)

「『荻原や軒ばのつゆにそほじつつやへたつ霧をわけぞゆくべき』濡れ衣は、なほえほさせ給はじ。かう理なうやらはせ給ふ御心づからこそは」
――「軒端に近い荻原の露にぬれながら、幾重にも立ち込めた霧を分けて、私は帰ってゆかねばならないのか」あなたも濡れ衣を免れないでしょう。このように私を追い払おうとなさるから――

 と、申し上げます。

落葉宮は、いかに浮名が世に漏れ出ようとも、せめてご自分の良心にだけは潔白でいたいとお思いですので、お返事にもたいそう用心されて、取り合おうとなさらない。(歌)

「『わけゆかむ草葉の露をかごとにてなほ濡れ衣をかけむとや思ふ』めづらかなる事かな」
――「朝露を分けて濡れたことを口実に、わたしにまで濡れ衣を着せようとなさるのですか」世にもめずらしいお話でございますこと――

 と、たしなめられる宮のご様子は、まことに優雅で、こちらが恥じ入るようでございます。

「年頃人に違へる心ばせ人になりて、さまざまに情けを見え奉る名残なくうちたゆめ、すきずきしきやうなるが、いとほしう、心はづかしげなれば、疎かならず思ひ返しつつ、かうあながちに従ひ聞こえても、後をこがましくやと、さまざまに思ひ乱れつつ出で給ふ。道の露けさもいとところせし」
――今まで人並み外れた親切心を、さまざまにお見せしておいて、落葉宮を油断させ、浮気者の本性を現したように思われたことが、宮にもお気の毒であり、極まり悪くもあり、よくよく自省はしながらも、こう宮に従って断念したとても、後で馬鹿を見たことになりはしないかなどと、さまざまに迷いつつお帰りになります。窮屈な身の上に、帰り道は朝露まで邪魔をする――

 夕霧はこのまま自邸に帰れば、雲井の雁が、このような朝帰りを怪しいと、感づくに違いなく、足は六条院の花散里(源氏の女方で、子供の時から母代りの人)の邸に向かうのでした。

◆心ばせ人=心馳せ人=こころ使いのある人

◆うちたゆめ=打ち弛む=心がゆるむ。油断する。

◆写真:山の朝霧に紛れて。

ではまた。



源氏物語を読んできて(599)

2009年12月23日 | Weblog
09.12/23   599回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(14)

お心の内で落葉宮は思い続けます。

「ましてかうあるまじき事に、余所に聞くあたりにだにあらず、大殿などの聞き思ひ給はむことよ、なべての世の誹りをばさらにもいはず、院にもいかに聞し召し思ほされむ」
――ましてや、この夕霧と間違いが起こったりしたならば、まったくの赤の他人という訳でもなし、致仕大臣(柏木の父君)などがどう聞かれ、どうお思いになりましょう。世間一般の非難は無論のこと、御父(朱雀院)もどう思われましょう――

 と、あれこれご関係のある方がたのお心に考えを巡らされては、残念でならず、また、

「わが心ひとつに、かう強う思ふとも、人の物言ひいかならむ、御息所の知り給はざらむも、罪得がましう、かく聞き給ひて、心幼くと思しのたまはむもわびしければ」
――自分一人が固く心を持って拒み通そうとも、世間はどう噂するでしょう。母上がご存知ないのも気が咎めますし、このことをお聞きになって、何と浅はかなことを、と、おっしゃられそうな事も辛いことで――

「『明さでだに出で給へ』と、やらひ聞こえ給ふより外のことなし」
――「せめて夜の明けないうちにお帰りになってくださいまし」と、ただ追い払うように申されるより外にないのでした――

 夕霧は、

「あさましや、ことあり顔にわけ侍らむ、朝露の思はむ所よ。なほさらば思し知れよ。かうをこがましきさまを見え奉りて、かしこう賺しやりつと思し離れむこそ、その際は心もえをさめあふまじう、知らぬ事々、けしからぬ心づかひもならひはじむべう、思ひ給へらるれ」
――何と、とんでもないことをおっしゃいますね。何か事があったように朝露を踏み分けて帰っては、朝露が何と思います事か。そんなことをおっしゃるなら覚えておいてくださいよ。このような馬鹿げた格好をお見せしたわたしを惨めな目にあわせて、うまく
騙して帰したとほっとなさるなら、その時こそは、私も胸にすえかねて、どうなっても構うものか、今まで持たなかった猛々しい心を起こすこともあるかと存じますよ――

 とおっしゃいましたが、元来、出来心で女に戯れることなどまことに不慣れな真面目なお人柄ですので、宮にもお気の毒であり、ご自身も見下げられそうな気がして、お互いの為に恥を晒さないですむようにと、霧に隠れてお帰りになりますのも、気もそぞろでいらっしゃる。

ではまた。


源氏物語を読んできて(598)

2009年12月22日 | Weblog
09.12/22   598回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(13)

 落葉宮は気強く身を構えていらっしゃるけれども、夕霧は軽々と月の明るくさしている方に引き寄せられて、

「かばかり類なき志を御覧じ知りて、心やすうもてなし給へ。御許しあらでは、さらにさらに」
――これ程の私の想いをお信じくださって、気を楽になさいませ。お許しの無い限りは、決して無理な事は――

 と、きっぱりおっしゃって、そろそろ明け方近くになりました。

「月隈なく澄みわたりて、霧にも紛れずさし入りたり。浅はかなる廂の軒は、程もなき心地すれば、月の顔に月の顔に向かひたるやうなる、あやしうはしたなくて、紛はし給へるもてなしなど、いはむ方なくなまめき給へり」
――月の光が隅々まで澄み渡って、霧にも紛れずさし入っています。(山荘ですので)奥行きのない廂の間の軒が浅いので、宮は、まるで月の面とさし向いになっているようで気まり悪く恥ずかしく、お顔を背けていらっしゃるご様子など、何とも言えずゆかしくみえます――

 夕霧は、

「故君の御事もすこし聞こえ出でて、様ようのどやかなる物語をぞ聞こえ給ふ。さすがになほかの過ぎにし方に思し貶すをば、うらめしげにうらみ聞こえ給ふ」
――亡くなられた柏木のお話も持ち出されては、上手に静かな物語をなさいます。でもやはり、落葉宮が夫の柏木よりも自分を軽んじておられることを、恨めしそうに訴えているのでした――

宮はお心の内で、

「かれは、位などもまだ及ばざりける程ながら、誰も誰も御ゆるしありけるに、自からもてなされて見馴れ給ひにしを、それだにいとめざましき心のなりにしさま……」
――夫の柏木が、位などもまだ低かった頃に、周囲の誰もが将来を認めてくださったので、それに自然に促されて夫婦として睦んできましたのに、それでさえあのように情れない節を見せられ、粗略に扱われたものでしたのに、ましてや…――

◆写真:怪しい月夜

ではまた。

源氏物語を読んできて(184)

2009年12月21日 | Weblog
09.12/21   597回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(12)

 落葉宮は、

「世を知りたる方の心安きやうに、折々ほのめかすも、めざましう、げに類なき身の憂さなりやと、思し続け給ふに、死ぬべく覚え給うて」
――(確かに結婚した女として)一度夫を持った身であるからといって、相手にしやすいように、折につけ仄めかす夕霧の御態度を、ひどく不快に思われ、本当にこんな不運な身の上がまたとあろうかと、思いつめられて、いっそ死んでしまいたいと、――

「憂き自づからの罪を、思ひ知るとても、いとかうあさましきを、いかやうに思ひなすべきかはあらむ」
――亡き人との浅かった私の身を、これも前世の罪からと考えましても、(それをご存知で)こうまで浅ましいあなたの御態度を、どう考えてみたらよいのでしょう――

 と、かすかなお声で、あわれ深くお泣きになって、(歌)

「われのみや憂き世を知れるためしにてぬれそふ袖の名をくたすべき」
――(結婚)という過去に男を知っていた不幸な私だけが、さらに悲しい辛さを重ねて、わが名を汚すような、人の噂に晒されなければならないのでしょうか――

 と、途切れ途切れに言われるお歌を、夕霧はまとめて反復なさる。宮は「ああ、見苦しいことを口にしてしまったこと」と思っておりますと、夕霧は「たしかに悪い事を申し上げましたね」とおっしゃりながらも、(返歌)

「おほかたはわれぬれぎぬをきせずともくちにし袖の名やはかくるる」
――大体、私が濡れ衣をお着せしなくても、一度立った噂というものは、打ち消せるものではないのです――

「ひたぶるに思しなりねかし」
――あれこれお考えにならず、きっぱりお心をお決めください――

◆げに類なき身の憂さ=早くに夫を亡くした身は前世からの罪、落度と考えられた。その上内親王の身でありながら、未亡人の浮名を流したり、二度目の夫を持つなど、恐ろしい身の破滅と考えられていた。

ではまた。

源氏物語を読んできて(596)

2009年12月20日 | Weblog
09.12/20   596回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(11)

 夕霧は、このようなお振舞いのなかで、落葉宮を、

「人の御有様の、なつかしうあてになまめい給へること、さはいへどことに見ゆ。世と共にものを思ひ給ふけにや、やせやせにあえかなる心地して、うちとけ給へるままの御袖のあたりもなよびかに、けぢかうしみたるにほひなど、とりあつめてらうたげに、やはらかなる心地し給へり」
――(宮の)ご様子は、お優しそうで気品高く、やはり何といっても他の人とは違っています。この年月を物思いなさったせいか、お痩せになって弱々しい感じで、脱ぎかけておられるままの袖のあたりに、香を薫きしめたかおりなど、何もかも女らしく、物やわらかに思われます――

 風の音もかすかに、更けていく夜の気配、虫の音、鹿の鳴く声、そしてかすかな滝の水音と、それらがすべて一つに溶け合っているような、趣深い風情の折ですので、夕霧は、涙を抑えきれないほどのお気持で、

「なほ、かう思し知らぬ御有様こそ、かかるをば、しれものなどうち笑いて、つれなき心もつかふなれ、あまりこよなく思し貶したるに、えなむしづめはつまじき心地し侍る。世の中を無下に思し知らぬにしもあらじを」
――やはりこうも御同情のない御態度こそ、返ってお心の浅さが知られます。私はこんな風な世なれていない愚直者で、ご心配のない点でも無類であろうと思いますが、気軽な身分の人は、私のような者を馬鹿者だなどと嘲笑って、つれない仕打ちをするものでしょうか。あなたは私をあまりお蔑みになりますので、私も心を鎮めかねる思いです。男女の情を全然ご存知ないわけでもありますまいに――

 落葉宮は、あれこれと夕霧の言葉に責められて、何とお答えして良いものかと、わびしく思いめぐらしておいでになります。

◆えなむしづめはつまじき心地=決して心を鎮めることができない

◆世の中=男女の仲

ではまた。


源氏物語を読んできて(595)

2009年12月19日 | Weblog
09.12/19   595回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(10)

 落葉宮は、

「聞き入れ給ふべくもあらず、くやしう、かくまでと思すことのみ、やるかたなければ、宣はむ事、はたまして覚え給はず」
――(夕霧の話など)お聞き入れになる筈もなく、残念な、こんな目にまで遭って、というお気持でいっぱいですので、まして、お返事の言葉など浮かんでもきません――

 夕霧はさらに、

「いと心憂く若々しき御様かな。人知れぬ心にあまりぬる、すきずきしき罪ばかりこそ侍らめ、これより馴れ過ぎたる事は、さらに御心ゆるされでは御覧ぜられじ。いかばかり、千々にくだけ侍るおもひに堪えぬぞや」
――何という情けない幼げなご様子でしょう。心一つに抑えきれず浮気めいた振る舞いをいたしましたのは申し訳ございませんが、これ以上の立ち入った事は、お許しの無い限り、決して致しますまい。ただこれまでも、どれほど千々に砕ける思いに堪えかねていたことでしょう――

 また続けて、

「さりともおのづから御覧じ知るふしも侍らむものを、しひておぼめかしう、けうとうもてなさせ給ふめれば、聞こえさせむ方なさに、いかがはせむ。心地なくにくしと思さるとも、かうながら朽ちぬべき憂ひを、さだかに聞こえ知らせ侍らむとばかりなり。言ひ知らぬ御気色のつらきものから、いとかたじけなければ」
――いくら何でも、自然に私の想いを分かってくださる時がありましたでしょうに、わざと分からない振りをなさって、よそよそしくなさるようですから、何と申し上げたらよいのでしょうか。無分別で怪しからぬとお思いになっても、このまま知られずに終わってしまう煩悶を、はっきりお知らせしようと思うだけなのです――

 と、おっしゃって、ひたすら心を抑えて、情け深そうに気を配っておいでになります。落葉宮が障子を押さえてはいらっしゃるけれども、何とも頼りなげな固めです。が、夕霧は無理に手を掛けて開けようとはなさらず、「このくらいの隔てをさえも、強いて守ろうと思召すお心が愛おしい」とお笑いになり、それ以上困ったお振舞いをなさる風でもありません。

ではまた。

源氏物語を読んできて(594)

2009年12月18日 | Weblog
09.12/18   594回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(9)

 落葉宮としては、わざとらしく急に奥にお入りになるのも、見苦しいような気もなさるので、ただ音も立てずにおいでになりますと、夕霧は、

「とかく聞こえよりて、御消息聞こえつたへに居ざりいる人の影につきて入り給ひぬ」
――何かとお話掛けになりながら、お取り次ぎにいざり入る女房の後ろについて、御簾の中に入っていまわれました――

「まだ夕暮れの霧にとぢられて、内は暗くなりにたる程なり。あさましうて見返りたるに、宮はいとむくつけうなり給ひて、北の御障子の外にゐざり出でさせ給ふを、いとようたどりて、ひきとどめ奉りつ」
――まだ夕暮れながら霧が立ち込めて、お部屋の内は暗くなり始めた頃でした。女房は呆れて振り返ったので、落葉宮は大そう気味悪くおなりになって、北側の障子の外に居ざり出ようとなさるのを、夕霧はうまく探り寄せてお引き止め申しました――

「御身は入りはて給へれど、御衣の裾の残りて、障子はあなたより鎖すべき方なかりければ、ひきたてさして、水のやうにわななきおはす」
――宮の御身体は、襖の向こうに入り切ってしまわれましたが、お召し物の裾がこちらに残されたままで、襖は向こう側から錠を掛ける造りになっておりませんので、宮は閉めることもおできになれず、水のような冷汗を流して震えていらっしゃる――

 女房たちも呆れ果てて、どうして良いのか考えもつきません。荒々しく夕霧を引き離すわけにもいかず、女房たちは「何ということを、そんなお心とは夢にも思いませんでしたのに」と申し上げますけれど、夕霧は、

「かばかりにて侍はむが、人よりけにうとましう、まざましう思さるべきにや。数ならずとも、御耳なれぬる年月もかさなりぬらむ」
――これ位のことをいたしますのが、人より特別厭らしく、怪しからぬことに思われることでしょうか。ものの数でない身でも、長い年月、私がひとかたならずお慕い申しておりますことは、ご承知の筈でございましょう――

 と、おっしゃって、大そうゆったりと落ち着いた物静かな態度で、胸の思いを打ち明けていらっしゃる。

ではまた。

源氏物語を読んできて(593)

2009年12月17日 | Weblog
09.12/17   593回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(8)

 落葉宮は、夕霧のお気持を今までまったくお気づきにならなかった訳ではありませんでしたが、急にこのようにお言葉に出して恨み事をおっしゃられても、ご返事のしようもないと困っておられるご様子に、夕霧は、ひどくため息をついてはお心の中で、

「またかかる折ありなむや」
――こんな良い機会がまたとあろうか――

 と、たとえ思いやりのない軽率な男よと、蔑まされようと仕方が無い、長い間想い続けてきたことだけでもお知らせしようとお思いになって、お供の右近の将監(うこんのぞう)を側に呼び寄せて、

「この律師に必ず言ふべき事のあるを、護身などに暇なげなめる、唯今はうち休むらむ。今宵このわたりに泊まりて、初夜の時はてむ程に、かの居たる方にものせむ。(……)かやうの旅寝は、軽々しきやうに、人もとりなすべし」
――こちらの律師に是非とも話があるのだが、御息所の御守りのために御暇がなさそうで、しかし間もなく休息されるだろう。今夜はこのあたりに泊まって、初夜の勤行(そやのごんぎょう=夕がた六時)が終わるころに律師の所へ行こう。(主だった家来の誰かれを、此処に居させなさい。そのほかの者は来栖野の荘園が近いから、そこで馬に飼い葉などさせて、ここには大勢居ないようにせよ)こうした旅泊は、軽々しい忍び歩きのように人が誤解するであろうから――

 そのように手配しておいてから夕霧は、

「道いとたどたどしければ、このわたりに宿借り侍る。同じうは、この御簾のもとにゆるされあらなむ。阿闇梨のおる程までなむ」
――帰り道が霧でおぼつかないので、このあたりで宿らせていただきます。同じ事ならば、この御簾の側を拝借させてください。阿闇梨が勤行を終わられる頃までここに居りましょう――

 と、何気ない風に装っておっしゃる。落葉宮はお心の中で、

「例はかやうに長居して、あざればみたる気色も見え給はぬを、うたてもあるかな」
――いつもなら、夕霧はこのように長居をなさって、浮いた様子をお見せになったことはありませんでしたのに、困ったことですこと――

◆あざればむ=戯ればむ=ふざけた様子

ではまた。


源氏物語を読んできて(592)

2009年12月16日 | Weblog
09.12/16   592回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(7)

 丁度霧がこの家の軒端にまで立ち渡ってきましたので、夕霧が、

「罷でむ方も見えずなりゆくは如何すべき」
――霧が深くなって帰る道も見えなくなってゆくのですが、どうしたらよいでしょう――

 とて、夕霧の(歌)

「山里のあはれをそふる夕霧にたち出でむそらもなき心地して」
――山里の風情を一層深める夕霧のために、私は立ちかえる気にもなれません――

 と申し上げますと、落葉宮の返歌は、

「山がつのまがきをこめて立つ霧もこころそらなる人はとどめず」
――山人の住いを立ちこめている霧も、あなたのような浮気な人は留めません。(間もなく晴れることでしょう)――

 と、あちらからほのかに聞こえてくるお声や御気配に夕霧は心惹かれて、まったくお帰りになることなど忘れてしまわれたようです。

「中空なるわざかな。家路は見えず、霧の蘺は立ちとまるべうもあらず、やらはせ給ふ。つきなき人はかかる事こそ」
――なんと、どちらつかずな事ですね。帰る道は見えず、霧に囲まれたお住まいからは、留まれそうもなく追い出しなさる。恋に不慣れな私はこんな目にあうのですね――

 などと、そのまま腰をお上げにならず、押えかねた想いを仄めかしていらっしゃる。

◆写真:比叡山から下を臨む

ではまた。