永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(591)

2009年12月15日 | Weblog
09.12/15   591回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(6)

 夕霧はさらに、

「心ぐるしき御なやみを、身にかふばかり歎き聞こえさせ侍るも、何の故にか。(……)ただあなたざまに思しゆづりて、つもり侍りぬる志をも、しろしめされぬは、本意なき心地になむ」
――このように、ご病人のことを、私の身に代えてもとご案じ申しておりますのも、何ゆえとお思いですか。(…あなたの御身をただただ心配申し上げるからです)それを単に母君の御為とばかりお取りになって、あなたへの積もる想いをもお察し下さらないのは、残念でなりません――

 女房たちも、「本当に仰せのとおりでございます」と申し上げます。

「日入り方になりゆくに、空の景色もあはれに霧わたりて、山の陰は小暗き心地するに、ひぐらし鳴きしきりて、垣ほに生ふる撫子の、うち靡ける色もをかしう見ゆ。(……)」
――日も入り方になるにつれて、空の風情もあわれ深く霧立ち込めて、山の陰は小暗く思われますのに、蜩がしきりに鳴き続け、垣根に生い出でた撫子の、風に揺れなびいている花の色もやさしく眺められます。(お庭の花々も思い思いに咲いていて、水音も涼しげに、山からの風も松に深々と響き渡っています)――

「不断経読む時かはりて、鐘打ち鳴らすに、立つ声も居代わるも、一つにあひて、いと尊く聞こゆ。」
――不断経を読む僧の交替の時がきて、鐘を打ち鳴らしますと、席を立つ僧と、居代わって席に着く僧の声が一つになって、たいそう尊く聞こえます――

 場所が場所だけに、夕霧は物思いにふけっておられ、お帰りになる気もなさらない。
律師も加持する模様で、陀羅尼(だらに=梵語呪文)をまことに尊い声で読んでいるようです。
 御息所はたいそうお苦しみのようですが、旅先にて女房たちも人少なく、落葉宮はどうしたものかと物思いに沈んでいらっしゃる。

「しめやかにて、思ふ事もうち出でつべき折かな」
――このようなしんみりとした時こそ、想いを打ち明けるによい時だ――
 と、夕霧は心に決めていますと。

◆不断経読む時かはりて=昼夜十二時を一時毎に僧が交替して読経すること、

◆写真:撫子(河原ナデシコ)風俗博物館

源氏物語を読んできて(590)

2009年12月14日 | Weblog
09.12/14   590回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(5)

 夕霧はさらに続けて、

「かかる御簾の前にて、人伝の御消息などの、ほのかに聞こえ伝ふることよ。まだこそならはね。いかに古めかしきさまに、人々ほほゑみ給ふらむと、はしたなくなむ。齢つもらず軽らかなりし程に、ほの好きたる方に面馴れなましかば、かううひうひしうも覚えざらまし。さらにかばかりすくずくしう、おれて年経る人は類あらじかし」
――このような御簾の前で、人伝てのご挨拶をやっと申し上げるなどとは、ついぞ経験したことがありませんよ。私を何という古風な人間かと、皆さんが笑っておいでではないかと恥ずかしくて極まりが悪い。もっと年も若く、官位も低かった時分に、色めいた振る舞いに馴れていましたなら、今頃になってこれほど恥ずかしい思いをしないで済んだでしょうに。私ほど生真面目で馬鹿正直に年月を送っている人は、めったに居ないでしょうよ――

 侍女は、なるほどご立派な御方に軽々しい振る舞いはできかねると思って、宮のお側に膝を進めて、

「かかる御うれへ聞し召し知らぬやうなり」
――こんなにまで訴えておられますのに、知らぬ顔でご返事なさらないのは、いかがかと存じます――

落葉宮は、

「自ら聞こえ給はざめるかたはらいたさに、代わり侍るべきを、いと恐ろしきまでものし給ふめりしを、見あつかひ侍りし程に、いとどあるかなきかの心地になりてむ、え聞こえぬ」
――母上ご自身でご挨拶なさらない失礼の代わりに、お相手いたす筈でございますが、母上が恐ろしいほどひどいご容態でしたので、ご看病いたしております内に、私までが疲れ果てて、気分が悪く滅入っていて、お返事できません――

 とお返事なさいましたのに、夕霧は、

「こは宮の御消息か」
――これは宮のお言葉ですか――

 と、居ずまいを正して、さらに訴えるのでした。

ではまた。


源氏物語を読んできて(589)

2009年12月13日 | Weblog
09.12/13   589回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(4)

 そのようなことで、お客さまの夕霧をお通しするお部屋がありませんので、落葉宮のお部屋の御簾の前にお入れして、身分のある女房が、お言葉をお取り次ぎになります。

 御息所のお言葉は、

「いとかたじけなく、かうまで宣はせ渡らせ給へるをなむ。(……)」
――こんなにご親切におっしゃって、お出でくださいまして大変恐縮に存じます。(もしも私が亡くなってからでは御礼も申し上げずになってしまうと考えますと、もう少し生きていたいと存じます――

「宮は奥の方にいと忍びておはしませど、ことごとしからぬ旅の御しつらひ、浅きやうなる御座の程にて、人の御けはひ自づからしるし」
――落葉宮は奥まったところにいらっしゃるようですが、何しろ仮のお住まいで、そう広くありませんので、宮の気配は自然に感じられます――

 夕霧は、

「いとやはらかにうちみじろぎなどしたまふ御衣の音なひ、さばかりななりと聞き居給へり。」
――やわらかく、身動きなどなさる衣ずれの音で、きっとその方が落葉宮であろうと、想像して聞いておられます――

 夕霧は気もそぞろで、侍女が御息所へのお取り次ぎの合間に、少将の君(御息所の甥の大和守の妹)に問わず語りにお話しになります。

「かう参り来なれ承る事の、年頃といふばかりになりけるを、こよなう物遠うもてなさせ給へるうらめしさなむ。……」
――こうしてお伺いし始めてから何年(三年)という程になりましたのに、この上もなくよそよそしい御もてなし受けますのは、恨めしゅうございます……――

ではまた。


源氏物語を読んできて(588)

2009年12月12日 | Weblog
09.12/12   588回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(3)

 夕霧が頻繁に小野に行くようになって、

「なほつひにあるやうあるべき御中らひなめり、と、北の方けしきとり給へれば、わづらはしくて、参うでまほしう思せど、とみにえ出で立ち給はず」
――そのうちきっと、なるようになるご関係らしいと、北の方雲井の雁が感づかれたようで、夕霧は当惑気味で小野に行きたくても、すぐにはお出かけになれません――

 八月の二十日の頃、野辺の景色も秋の風情で、あの小野の辺りの景色を見たいものだとお思いになって、夕霧は雲井の雁に、

「なにがし律師のめづらしう下りたなるに、切にかたらふべきことあり。御息所のわづらひ給ふなるもとぶらひがてら、まうでむ」
――あの何とかという律師が珍しく山(比叡山)を下ったそうだが、それに是非相談したいことがありましてね。御息所がご病気のことでもあり、お見舞いかたがた出かけようと思う。――

 と、尤もらしい口実を設けて、前駆の供人は大袈裟ではなく五、六人にして狩衣姿でお出かけになります。

「ことに深き道なれねど、松が崎の尾山の色なども、さる巌ならねど、秋の気色づきて、都に二なくとつくしたる家居には、なほあはれも興もまさりてぞ見ゆるや」
――たいして山深い道ではありませんし、松が崎の小山の色なども、それほどの岩山ではないものの、秋の気配が漂って、京の二つとない数寄をこらしたお庭よりも(六条院の庭)、こちらの山荘は、味わい深く作りなして、風情も面白みも優れたたたずまいでいらっしゃる――

お目当ての落葉宮と御息所のお住まいは、ちょっとした小柴垣を巡らせて、清々しくなさっておいでです。寝殿らしい建物の東廂にある臨時のお部屋に修法の壇を造って、落葉宮は反対の西のお部屋にいらっしゃる。

御息所は、

「物の怪むつかしとて、とどめ奉り給ひけれど、いかでか離れ奉らむと、慕ひ渡り給へるを、人に移り散るを怖じて、すこしの隔てばかりに、あなたには渡し奉り給へはず」
――物の怪が煩わしいので、落葉宮だけは京にお留めになりましたが、宮はどうして離れて居られましょうと、付き添って来られましたのを、物の怪が他に移るのを恐れて、少しの隔(へだて)でもと、宮を御息所のお部屋にはお入れしません――

◆さる巌ならねど=小野へ入る山口。そこには氷室があったという。

◆物の怪=もののけは、移るものと思われていた。

ではまた。


源氏物語を読んできて(587)

2009年12月11日 | Weblog
09.12/11   587回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(2)

 というのも、以前から御息所の祈祷師として物の怪などを払った律師が比叡山に籠っておられ、人里には出ないと誓っておられますのを、山麓のこの山荘近くに下りて頂けるようお願いなさったからでした。

 夕霧は、御息所の御車やお供の者もご自分の方ですべてに用意なさって、細ごまと準備されたのでした。

「なかなかまことの昔の近きゆかりの君達は、事わざしげき己がじしの世の営みに紛れつつ、えしも思ひ出で聞こえ給はず」
――亡き柏木の近親の方々は、忙しいそれぞれのご生活に紛れていらして、全く少しも御息所や落葉宮のことなど思い出しもされません――

「弁の君はた、思ふ心なきにしもあらで、気色ばみけるに、ことのほかなる御もてなしには、強ひてえまうでとぶらひ給はずなりにたり」
――(柏木の弟君の)弁の少将も、落葉宮に気が無い訳ではなくて、それとなく言い寄られたのですが、素っ気ないご態度だったそうで、それからは無理にお訪ね申す事も
なくなっておりました――

「この君は、いとかしこう、さりげなくて聞こえ馴れ給ひにたまえり。修法などせさせ給ふと聞きて、僧の布施浄衣などやうの、こまかなるものをさへ奉れ給ふ。悩み給ふ人はえ聞こえ給はず」
――この君、夕霧は、大そうお上手に何気ない様子で親しくなられたようでした。御息所が物の怪を払う祈祷をおさせになると夕霧はお聞きになって、僧への御布施や白衣など細ごましたものまでご用意して差し上げました。ご病気の御息所は御礼もお書きになれないでいらっしゃるので――

 侍女たちが、自分たちの代筆のお礼状では夕霧大将には軽々しいでしょうと申し上げて、落葉宮がお書きになりました。その書状は、

「いとをかしげにて、ただ一行など、おほどかなる書きざま、言葉もなつかしき所かきそへ給へるを、いよいよ見まほしう目とまりて、繁う聞こえかよひ給ふ」
――たいへん綺麗なご筆跡で、たった一行ゆったりした書風で用語もなつかしみがありますのを、夕霧がご覧になって、ますます落葉宮を見てみたいと思って、しげしげと小野の山荘に訪ねて行かれるのでした――

ではまた。


源氏物語を読んできて(586)

2009年12月10日 | Weblog
09.12/10   586回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(1)

源氏(六条院)       50歳 8月~冬まで
薫              3歳
紫の上           42歳
女三宮        23~24歳
夕霧(大将)        29歳
         (正妻雲井の雁との間に4男、4女の8人の子ども)
         (妾の藤典侍との間に2男、2女の子供)
雲井の雁(故柏木の異母妹) 31歳
△柏木(故君、故大納言)
 柏木の姉弟たち(弘徽殿女御、佐大弁、蔵人少将)
落葉宮(一條宮、故柏木の正妻、御父は朱雀院。異母妹の姫君が女三宮)
一条御息所(落葉宮の母君)  のち逝去

「まめ人の名をとりて、さかしがり給ふ大将、この一條の宮の御有様を、なほあらまほしと心にとどめて、大かたの人目には、昔を忘れぬ用意見せつつ、いとねんごろにとぶらひ聞こえ給ふ」
――(夕霧の大将は)堅人であるというご評判で、尤もらしくしていらっしゃいますが、一条宮(落葉宮)のことを、やはり理想的な方とお思いになって、表向きは故柏木との友情を忘れないためにというふうに、見せかけてはお心を込めて親切にご訪問なさいます――


「下の心には、かくては止むまじくなむ、月日に添へて思ひまさり給ひける」
――内心では、このまま無事にはすまされそうになく、是非とも宮を手に入れたいものだと、思いは勝るのでした――

 落葉宮の母君の御息所も、夕霧の親切さに、寂しいご生活が慰められるのを有難いと思っていらっしゃる。

 夕霧は、

「初めより懸想びても聞こえ給はざりしに、ひき返しばみなまめかむも眩ゆし、ただ深き志を見え奉りて、うちとけ給ふ折もあらじやは、と思ひつつ、さるべき事につけても、宮の御けはひ有様を見給ふ。」
――自分は最初から宮に対して懸想らしく振舞うことなどなかったのに、今更急に懸想らしくするのも気恥かしい。ただ自分の心情をお見せしていれば、そのうちきっと宮の方からお心を許して来られる折も無くは無いであろうとお思いになっては、何かにつけて、宮のお気持やご態度に気をつけているのでした――

 それにしても、

「自らなど聞こえ給ふことはさらになし。いかならむついでに、思ふことをもまほに聞こえ知らせて、人の御けはひをも見む」
――落葉宮ご自身が、私(夕霧)に直接応対なさることは絶対に無いであろう。いったい何時自分の思いを申し上げて、宮のお気持をも知りたいものだが――

と、考え続けていらっしゃったところ、御息所が物の怪にひどく患われて、小野(比叡山の西麓)という辺りに持っていらした山荘にお移りになりました。

ではまた。

源氏物語を読んできて(585)

2009年12月09日 | Weblog
09.12/9   585回

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 その(15)

 ただ、秋好中宮は源氏に、

「亡き人の御有様の、罪軽からぬさまに、ほの聞くことの侍りしを、然るしるしあらはならでも、おしはかりつべき事に侍りけれど、後れし程のあはればかりを忘れぬ事にて、物のあなた思ひ給へやらざりけるが物はかなさを、いかでよう言ひ聞かせむ人の、薦めをも聞き侍りて、自らだにかの焔をも醒まし侍りにしがなと、やうやうつもるになむ、思ひ知らるる事もありける」
――亡き母君の罪障が軽くないように薄々聞いておりましたて、そうした証拠がはっきりではないにしましても、私としては当然思い当たらなければならない事でしたのに、亡くなられた当時の悲しさだけが忘れられず、後世の冥福を祈念しなかった至らなさを今更に悔いております。何とかして、この道理を諭してくださる人に導かれて、せめて私でも母君の妄執の焔をさまして差し上げたいものと、段々歳をとるにつれて考えるようになって参りました――

などと、出家のお気持を仄めかしながら申し上げます。源氏も、なるほど中宮がそうお考えになるのも尤もだと同情申し上げて、

「その焔なむ、誰ものがるまじきことと知りながら、朝露のかかれるほどは、思ひ棄て侍らぬになむ。目蓮が仏に近き聖の身にて、たちまちに救ひけむ例にも、え継がせ給はざらむものから、玉のかんざし棄てさせ給はむも、この世にはうらみ残るやうなるわざなり(……)」
――その焔とおっしゃる妄執こそ誰もが逃れがたいものだと知りながら、露の命のある間は、この世を思い棄てになれないのです。目蓮(もくれん)が仏に近い聖者の身(目蓮は釈尊の十大弟子の一人で、母が餓鬼道に落ちたのを悲しみ、盂蘭盆会を修してこれを救ったという故事)で、たちまち母を救った程のことが、あなたにお出来にならないからといって、玉のかんざしを棄てて出家なさいますのも、この世に恨みが残りそうなものです。(今急に出家なさらなくても、そのようなお志を深めて母君の苦しみを晴らすようなことをなさいませ)――

 このあと、源氏も中宮と同じお心で、急いで、亡き六条御息所のために法華御八講(ほっけみはこう)を催されたとか。

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 終わり。

ではまた。



源氏物語を読んできて(観音経・法華御八講)

2009年12月09日 | Weblog
◆観音経

 法華経観世音菩薩普門第二十五が独立して、これ一つで法華経を代表するとも考えられている。「世音」、世間一切の言葉、すなわち衆生の願いを「観」じて、苦悩を逃れさせる。補陀落浄土(ふだらくじょうど)の仏であるが、衆生済度のために観世音菩薩としてあらわれるのである。三毒(貪欲、瞋恚〈しんに=怒り怨む〉、愚痴)、七難(火難、水難、風難、杖難、鬼難、枷鎖難、怨賊難)を逃れ、二求同願(男女子を産む願い)を満足さす。三十三身に化現して、衆生を救う。仏菩薩のうち、もっとも優しいと感じられたのが観世音菩薩である。このように観音信仰は現世利益(げんぜりやく)を祈る。

 このころの信仰は弥陀の浄土に生まれる、来世の極楽往生を祈りつつ、なお現世の利益効験を祈るものであった。貴族たちは仏法を呪力として考え、現世利益を祈るのであり、物語の中でも、修法、加持祈祷がしばしば行われている。
特に大和の初瀬寺は霊験あらたかとの評判が高く、王朝貴族階級に人気があり、貴族の女性たちはほとんど皆が一度は初瀬に参った。

◆法華御八講(ほっけみはこう)
 天台宗の根本経典である法華経は、当時の貴族にもっとも信じられ、女人の成仏の可能性をも説いている。
法華八講は、法華経八巻を四日又は五日に分けて、毎日朝座、夕座の二回に各一巻を修する法会である。第三日目は特に第五巻の日と称し、堤婆品(だいばほん)を講じる。
この物語では法華御八講は、追善供養の場面で出てくるが、自身の後生のために功徳をつむ場合もある。


源氏物語を読んできて(584)

2009年12月08日 | Weblog
09.12/8   584回

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 その(14)

 秋好中宮から出家の望みをお聞きになった源氏は、

「(……)定めなき世と言ひながらも、さしていとはしき事なき人の、さわやかに背き離るるも有難う、心安かるべき程につけてだに、自づから思ひかかづらふほだしのみ侍るを、などかその人真似にきほふ御道心は、かへりてひがひがしう、おしはかり聞こえさする人もこそ侍れ。かけてもいとあるまじき御事になむ」
――(冷泉院が、帝で宮中にいらした頃より、確かに外出もままならぬ御身とはお察しいたします)無情の世とは言いましても、あなたのように特別世を厭う訳もない人が、
きっぱりと出家なさるのは難しいでしょう。身軽な身分の人でも何かとしがらみがあって、なかなか決心がつきませんのに、あなたのような方が、人を真似て競うように御道心など起こされますと、返ってひがみのように思う方も出てきますよ。冗談にもあるまじき事です――

 中宮は、源氏のお言葉に、

「深うも汲みはかり給はぬなめりかし」
――私の心を深くも汲みとってくださらないようで――

 と、お辛いのでした。中宮はお心の中で、

「御息所の、御身の苦しうなり給ふらむ有様、いかなる煙の中に惑ひ給ふらむ、亡きにても、人にうとまれ奉り給ふ御名のりなどの、出で来ける事、かの院にはいみじう隠し給ひけるを、自づから人の口さがなくて、伝へ聞し召しける後、いと悲しういみじくて、なべての世のいとはしく思しなりて、かりにても、かの宣ひけむ有様の委しう聞かまほしきを、まほにはえうち出で聞こえ給はで」
――亡き母上の六条御息所が、あの世で苦しみを受けておられるご様子の、一体どのような業火の煙の中にさ迷っておいでなのでしょう。死後までも人から嫌われる物の怪となって名乗り出たことを、源氏がひた隠しに隠していらしても、自然に人の口から洩れ聞いてからというもの、ひどく悲しく辛いので、この世のすべてが疎ましくなってきました。何かのついでにでも、母上の亡霊が口にされたことを委しく源氏にお聞きしたい気がしますが、まともにその事を申し上げる訳にもいきませんし――

◆秋好中宮の立場:冷泉帝が譲位されて冷泉院となられたので、中宮もご一緒に内裏の一隅の院邸に移られた。冷泉院の御兄の朱雀院は山寺に、次兄の源氏は六条院(実は父君)に。

◆院号=法名・戒名につける称号。

ではまた。



源氏物語を読んできて(583)

2009年12月07日 | Weblog
09.12/7   583回

三十八帖 【鈴虫(すずむし)の巻】 その(13)

 源氏をはじめ、人々の車を身分の順序に並べて一同は六条院を出て、冷泉院のお住まいに参上されます。内輪の参上の形で、今宵は昔の臣下の気分に返って気軽にこのようになさいましたところ、冷泉院はたいそう驚きながらも歓迎なさったのでした。

「ねびととのひ給へる御容貌、いよいよことものならず。いみじき御盛りの世を、御心と思し棄てて、静かなる御有様に、あはれ少なからず。」
――(冷泉院のご様子は)年と共にご立派になられたご容貌は、ますます源氏と瓜二つでいらっしゃる。今が盛りでいらっしゃるお歳なのに、御自ら御位を棄てて閑居しておられるご様子に、人々は感慨無量です――

 この夜の詠は、漢詩も和歌も趣深くて大そう面白くお過ごしになり、明け方には皆早々にお帰りになりました。源氏だけはこの御機会にと秋好中宮のお部屋にお伺いして
お話をなさいます。

「今はかう静かなる御住まひに、しばしばも参りぬべく、何とはなけれど、(……)われより後の人々に、方々につけて後れ行く心地し侍るも、いと常なき世の心細さの、のどめ難う覚え侍れば、(……)」
――(あなたも)今ではこうした静かなお住まいにおられるのですから、私も度々参上して、あれやこれやの昔の思い出などお話合いしたいのですが、(院号を拝しながら、どっちつかずの中途半端な身分柄気恥かしくて。私より年若い人が亡くなったり、出家されますにつけても、私もいっそ世離れた山住みと思い立ちましても)、それでは後に残る人々が心もと無いでしょう。(それを宜しくお世話下さいと前にもあなたにお願いしました。その望みをどうぞお心にお止置きください)――

 と、細々と申し上げます。

 中宮はいつものように若々しく、大様なご様子ながら、しみじみとご自分も出家したいことを仄めかされます。

◆ねびととのひ=ねび整ふ=成長し、心身ともに成熟する。大人びる。

◆ことものならず=異物ならず=(源氏と)違わない

◆冷泉院:表向きには桐壺帝と藤壺の皇子だが、実は源氏と藤壺の秘密の御子である。父子ともにそれには触れないが冷泉院は気づいている。皇統は桐壺帝→朱雀帝(桐壺帝の第一子)→冷泉帝(桐壺帝の第三子・実は源氏の子)→今帝(朱雀帝の御子)と続く。
 紫式部は物語の中で、不義の御子の皇統を認めない。冷泉帝に御子が一人もいない設定にしている(秋好中宮に御子が産まれない)。現実の天皇家への気使いがある。

◆写真:「鈴虫の巻」復元模写(2)
左上が冷泉院、中ほどに源氏。
冷泉院よりお召しがあり、臣下として我が子と対面する源氏の心情は複雑である。

ではまた。