信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

骨密度について

2014年01月11日 22時22分44秒 | Weblog




6年前に信州へ移住し、勤務した赤十字病院で何気なく骨密度の検査を受けた。
この検査は簡易法で集団検査で何度か経験し、問題なく気にもかけていなかった。
ところが正式な骨密度の検査を放射線科で受け、結果的に思いがけない骨粗鬆症の診断を受け治療
を始めた。
ショックだった。
急に老けた気持ちになった。
腰椎と股関節の密度が60%台になると治療になる。
体力には自信があったのに、長い通勤は地下鉄だし、勤務はビルの中で終始蛍光灯の下だし
食生活も多分貧困で小食で、と色々思い当たる。
それから服薬を続け定期的にレントゲンで骨密度の検査を受け効果を確かめてきた。
食生活も反省し、休日は太陽に当たるよう心がけてきた。
しかしこの5年間、余り効果が出ずに腰椎67%、股関節80%の値が特に腰椎の60%台がなかなか上昇しない。
薬の種類を変えてみたがあまり反応しない。
転ばないで下さいと通院のたびに注意され、このたび退職した。
主治医も変わり、服薬の種類も変わり、半年経って先週1年ぶりにレントゲン検査を受けた。

あら、びっくり。
腰椎の骨密度が67%から73%に上昇し、股関節も83%になっている。
自分の年齢ではまあまあかというところで薬の効果か、はたまた薪割りか、伊那に引っ越して
飛躍的に増えた犬の散歩か、お日様に当たるようになったのも良いようだ。主治医は
まあそれらの要素全部でしょうという。
働いていた時を退いてから回復するというのも何か悲しいものがある。

人間、褒められると嬉しい。加齢は年々進行するから良いほうに後戻りはあり得ない。
外見はいかにも若いと言われるが実は私、骨が弱いのですと余り言う場面がない。
勤務していた頃、健康診断の事後指導では年配の女性には積極的に骨密度の検査を勧め、
勧めた人が意外に多く骨粗鬆症の診断を受ける結果になることが多く、
長寿県信州の隘路を嘆いていたものだ。

長く生きれば生きるほど骨がもろければ生活が明るく出来なくなる。
がんや動脈硬化も、認知症も、緑内障や白内障、歯の温存、上げれば限がないが
健康な老人として老いていくには課題が多すぎるし、それは若い頃からの延長線上にあるのだ。
気づいてからは遅いというのを年齢が60歳を越える頃から急に感じ出した。

生活が一変した

2014年01月11日 21時20分23秒 | Weblog
12月24日に誕生した小さな赤ん坊が母親と共に実家に来てからその祖母に当たる私の生活は
全く変わってしまった。
恐らくとは思っていたが、勤務していた頃より忙しい。
そしてもう今日で18日目。
病院から帰ってきた当初は授乳やおむつ交換で夜も昼もなく、泣き声に皆戦々恐々。
お正月の来客もその間あったし、十数回のおっぱいと十数回のおむつ交換とに追われ、
やつれた顔のムスメに同情し、親として出来る限りの家事を続けているうちにもう産後
16日目のマミー外来になる。
大雪の降った朝必死で諏訪までムスメと孫を連れて運転する。

母乳は足りており一日46グラムずつ増えているといわれ、気分良く帰宅するがその
夜は泣いてばかりいる新生児に全員寝不足。
朝起きるなり薪ストーブを燃やし、朝食の準備、洗濯、掃除、赤ん坊の沐浴、犬の散歩、買い物
夕食は仕事が終わったムコが一緒に食事をし、翌日のお弁当を作って持たせ10時半ごろ帰っていく
のを送り出す。
一日が早い。
決まった日課が出来上がり、赤ん坊は日に日に育っていく。
おばあさんは日に日にしなびれていく。

思えば30数年前、子供を二人生んでその都度実家に帰り、世話になった。
今になってしみじみ想う。
お母さんごめんなさい、実家のお嫁さんごめんなさい。
偉そうな態度で産前産後を過ごしたが、いかに毎日無理をかけていたか
今になって反省しています。
すでに親はあの世に旅立っているが、自分がその身になって気づく時は
遅いのだ。
ムスメの出産を通して、親の有り難さがより詳細に心に響く毎日である。


親衛隊もしくは警護隊長をいぬなりに役割を演じている