信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

喪失感でいっぱい

2014年01月30日 20時00分27秒 | Weblog
今日の夕方、マゴとムスメが出産後37日経ち、自分の家に帰って行った。
もう少し預かるつもりでいたが、急遽早めてムコの元に戻した。

そう決心してから夜は寝付けず朝は早く目が覚め気づかれないようにしていた。
実家は産後の母子を日常生活に順調に戻れるよう手助けする役割で
我が家は父親がいないのでムスメにとっては母の私が一人で頑張らねばならない。

といっても医療の専門家であっても、もと子供を育てた経験があっても、今の世の中には
ころころ変わる育児法には参考にはならず
知識はすぐさまネットで引っ張り出す便利な時代になりお役に立つには
ご飯作りしかない。

良質の母乳が出るようにはカタカナの食品は控え、和食に出来れば徹してと
桶谷式の助産師さんからアドバイスを受けむせるほどの母乳が出る有り難さを
頂き料理に徹した。
マゴは生後1ヶ月で1.5キロ増え、お風呂大好きで順調に成長している。
DNA100%もらっていったのではないかと思うほど酷似している父と子は
これ以上引き離していてもこちらが罪悪感を感じているので
自宅に戻るべくお試しのお泊りをした。
その後、ムスメは荷物をまとめてコドモと帰って行った。

マゴを抱っこしながらこの1ヶ月で濃厚な思い出をたっぷりもらったこと、これからは
その成長が毎日見られなくなったこと、おっぱい臭い愛らしさから離れていく寂しさで
ああこの胸がつまるほどの寂寥感は久々だと思った。
いろいろな場所に置かれていた
ハハとコドモの用品はすっかり消え去り、きれいに片付けられたムスメが寝起きしていた
部屋は逆に妙に物悲しい。
毎日沐浴していた洗面台まで今は、あの生まれたばかりの枯れ木のような手足を支え
恐々入れていた思いに戻ってしまう。

6年前にムスメとカナダ旅行をして、バンクーバーの空港で私は成田へ、ムスメは勤務先の
アルジェリアへ帰って行くが別れの切なさでずっと機内で泣いていた思い出がある。
その後アフリカへ勤務し帰国後伊那に嫁に行ったがその時親としては泣くこともなく
淡々として友人達には悲しくないの?と注意された。

が、今になってムスメとマゴが帰っていくのがあのバンクーバーで味わった同じ悲しさ
がやって来た。
いけない、センチメンタルに浸っていては前に進めないと戒めてはみるが…

3ヵ月になるが伊那に家を建てて引越し、ドサクサのままにムスメの出産になだれこみ
誰からもお幸せでいいですね~と褒められるがいいえどうして、どうして、疲れや底がない寂寥感で
多分2月は自分のリハビリを行わねばならないと思っている。
何をどうしたら良いかわからないが、嫁に出した娘が出産して嫁ぎ先に帰す際にみんな親は
このような気持ちになるのかな?