①背景設定がロンドン。お~ガイ・リッチーだ~ と思ってしまう映画。
まさにこう言った男人間ドラマのお洒落系、この人の本領です。
俳優達の演技はしなやかだし、演出ストーリーは次への興味を掻き立てる程にまで洗練され、ブレがない。
ヒュー・グラントを、コリン・ファレルをこんな役で出しちゃうんだ~ なんて贅沢なんだ。
そして背骨になる主人公はアメリカ出身で、不思議なほどの落ち着きと野性味を併せ持つ。
贅沢な俳優陣を使いながら、とにかくノンストップで状況が二転三転し続ける。うっかり乗り遅れてはダメです。
トラックスーツのアスレチックHipHop軍団、しゃべり過ぎなほど喋り捲り金をせしめる作家、物腰穏やかだが時には荒く事を確実にこなす執事、肝の座った妻。
そう、全ての人が弱肉強食の世の中を渡り歩いてき、その中で生きるすべを自分なりの解釈で表現している。
ジェントルに。時には激しく、気高く、狂おしく。
自粛生活の中で淡々と時が平凡に流れているからこそ、人生の、そのわずかな期間に小粋さをプラスしてくれた。
②NY警察の事件を主導する捜査官が事件を解決し犯人を捕まえるには3,4時間が勝負だと判断し、マンハッタンにかかる21本の橋を封鎖すると言う、大胆な設定。
しかしこれにデジャブを感じたのですが...
そう「ダークナイト ライジング」で、ベインがゴッサムを囲む橋を破壊し、街を孤立化させるテロを連想させます。
日本でも「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」もありました。
進にこの映画では「本当の悪」は誰なのかという展開へと導かれます。
その辺りは冒頭での伏せんで、景観であった父親が亡くなったことへも起因するのでしょう。
ただこの手の設定は良く見たことが有るので、ボーズマン主役でなかったなら、続けて見れなかったかも。
このような作品を見ると、ボーズマンはまだまだ役者としての幅の広さがあったのだろうと残念でなりません。
彼は2020年に惜しくも亡くなったのです。
早逝を心から残念に思います。
③キレてる。
イキまくっている。
ゾーンに入っている。
その昔(とは言っても17,8年前....ずいぶん昔かぁ)実写版「101匹わんちゃん」の「101(ワンオーワン」や「102」ではグレン・クローズがこの悪役を演じた。
そのグレン・クローズが主演のエマ・ストーンと共に製作総指揮をした作品。
その時は悪役が“クルエラ”だとは知らずに...
その前日譚、誕生秘話の物語をよりによって70年代ロンドンのパンクムーブメントに乗せて描かれた。
確かに現在の映画の傾向は’80sや’70sの背景設定が流行っている。
これはZ世代が知らない世界観を見せるほうがウケると考えたのでしょうか?
主人公「エステラ」はいつも「F」ワードをかまして怒りのエネルギーを発散している。
友達は不要。協調性?F△✖k you!
“普通”...何それ?
しかし虎児として育つ数年間にやっと変化の時が訪れた。
エステラ(クルエラ)役のエマ・ストーンが見せる立ち居振る舞いはGod Save The Queen。
いつしか自身の中に封印されていた悪魔を解き放つ。
ここで僕の琴線に触れたのが、70年代を彩るファッションやパンクロックが魂。そしてBGM(サウンドトラック)
そう、この映画には今現在の60代、50代世代の叫びが...
当時の英国社会、経済を打破しようと若者が反骨精神の限りをぶちまけたエネルギー。
そんな嵐を呼ぶ女クルエラ。
いっそ彼女の人生に思い切りダイブすべし。
稀代のパンクロックスターに熱狂的に侵食されてほしい。
④原作では、あっさりと幕が閉じるのに引き換え、ここではふたりの人間の心の触れ合いにより、仄かな希望を感じさせる。
今までの村上春樹作品を実写化した印象は... 物静かなトーンや、淡々とした語り口、そしてなんとなくオシャレ仕上げ。
実写化では、あくまでも原作者ではない脚本家が加筆しキャラクターを作り上げてきた。
その分、原作者が意図としていないキャラクター設定に対して遠慮があったのか、それ程実写ではキャラクターが掘り下げられずに、映画が終わってから、見た側が想像を膨らませて余韻を楽しんでいたのかも。
「ドライブマイカー」では細やかにキャラクターが作りこまれ、見ている側に情報を提供してもらえはするが、そのキャラクターを背景とするスクリーン内での行いは、表面的には穏やかでも水面下ではさまざまなことが起こる。
そしてそれが一層示唆に富んだ深いものにしている。
登場人物の人間関係、急に刃を向く登場人物、過ぎ去った過去、劇中劇チェーホフの「ワーニャ叔父さん」、過去の自分から現在の自分への引継ぎ...
醸し出される映像での不穏な空気が、複雑な人間関係に陰影を与える。
そして最後には、善も悪もないニュートラルなキャラクターが心に影響を及ぼす。
ベートーベンの音楽がひたひたと心に沁み入る作品。
⑤むしろ悪い行いであるかもしれない。悪い行いであっても国家に背くこと。
人に依頼しておきながら、責任を完全には負わない人たち。
愛国心を盾に人の心をくすぐり、騙して行動させること。
ベネディクト・カンバーバッチが主演を務め、キューバ危機の舞台裏で繰り広げられた実話を基に、核戦争を回避するべく奔走する男たちの葛藤と決断をスリリングに描いたスパイサスペンス。
1962年10月、アメリカとソ連の対立は頂点に達し、キューバ危機が勃発。
英国人セールスマンのグレヴィル・ウィンは、スパイの経験など一切ないにも関わらず、CIAとMI6の依頼を受けてモスクワへと飛ぶ。
そこで彼は、国に背いたGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)の高官ペンコフスキーとの接触を重ね、機密情報を西側へと運び続ける。
それで本当にキューバ危機が解決する方向へと向かったのだろうか?今も昔も変わることなく、何の罪も犯していない人たちの生活を一変させるような侵略行為は国の一存だからと言って許されるのだろうか?
いまだに起こり続けている世界のこのありさま。
ほとんどが一部政治家によっての欲に満ち溢れた行為。愚かな行為。
グルジアにしても、新疆ウイグルにしても、アフガニスタンにしても、シリアにしても、イラクにしても、エジプトにしても...
今日も排他的経済水域付近へミサイルが着弾した。そんな輩はいつでもいる、人から傲慢な欲がなくならない限りは。
⑥頭のシーン。良く見る外国製作映画では適当な日本語、日本人以外が演じる日本人。そんなのは存在しないと分かる設定等があげられる。
しかし冒頭の子守唄を唄う歌の曲調や歌詞の引っ張り具合、唄うさまは日本人独特のイントネーションだった。
しっかりと日本人にも見てもらいたいという思いが感じられる。方言を使い、キチンと文節が成り立ったセリフ。
今まで日本人として登場していた映画ではかなり優れているように思える。
だからこそ、映画へと引き込まれる。
水俣病の確認から約半世紀、小学校時代に社会科の授業で習った程度。
しかし私でさえ生きていた時に起こった事件でもある。
写真かがいなければ「世に存在を知られることもなかった」...今はそんな時代ではなくなった、良い意味でも悪い意味でも。
そんな世の中だからこそ、リアルとフェイクを見定めなければならない。
たとえ映画であってもフェイクはあってはならない。それは当事国に生まれたからこそ。
ただ現在の人たちはダブルスタンダード。
声高に勧善懲悪を謳い、悪に対して徹底的に名を伏せてSNSで発信しているかもしれない。しかし自分の私生活を完璧に振り返った時、どこか脛に傷を負っているもの。
そこまでにクリーンな人間って存在するのだろうか?
現にこの映画も、主役のジョニー・ディップは居住国にて有罪判決を言い渡されたが為に、上映は取りやめられている。
良い役を演じていても現実生活では有罪判決。
逆に、細かいこと迄にこだわり過ぎなのだろうか?そんな完璧な人なんていない、だからこそ「悪」解っている事は軽い気持ちでも、些細なことでも行わないほうが良いのだろう。
ちょっとエンドロールの世界で起こっている数々の事件には少なからずとも普段の生活で使っているものとかも係わりが有るのではと考えた時に、自分自身の生活にも辟易とする。
⑦コノての映画を見てよく思うのは、もし存命なら、どうしているだろうか?と。でも人間て不思議なもの、亡くなられたからこそ価値を重んじるのかもしれません。残酷だ。
役者が演じる部分はどうしても映画だから脚色されているところも、実際とは違うところも多いとは思う。しかしエンドロールと共に映し出されるアレサの実際のライブ映像は、やはり映画を見終わった最後だからこそ、胸を打つ。
ドラマが有るからこそ映画にもなる。今までの歌手を題材にした映画もそうだったように。
僕の中では演出に引き込まれて腹立たしく思っているところが、結局は演出の勝ちみたいには思っています。映画を見て「ハラハラする」「イライラする」は演出や脚本がうまいからだとも。
その様に引き込まれはしますが、せっかくの人生なんだから、もっと周りに気遣いが出来て生きられなかったのかな~なんてね。
⑧「そんな話があったのか」
アメリカと言う国は相当ヘビーだ。。自国のためであれば国で定められたルールをも無視する恐ろしい国家。
またそれがバラクオバマの時代だとは。
2015年に発売された、アメリカ政府による検閲で多くが黒く塗りつぶされた「グアンタナモ収容所 地獄からの手記」を元にしている。
そこにつづられていたのは、当時、キューバ・グアンタナモ米軍基地に収容されていた著者の壮絶な体験。
「守る」「死刑にする」という両極の立場に身を置く弁護士と軍。しかしお互いが良心の呵責と言う葛藤に悩まされる。
何を善とし、何を悪となすのか。
主演の女優は政治活動に対しても熱心らしい、政治活動と言うよりは人権活動だろうか?ある種の信念を持って行動をされているようだが、もしかすると、共和党、民主党の双方ともに肩入れすることはなく、アメリカと言う国のルールに基づいて、双方ともおかしなことが有ればそれを良き方向へ導こうという中立な立場なのかもしれない。
日本でも最近選挙が有り48%の日本国民が投票していないと聞いた。確かに自由意思で有るが、その様な間違った方向へ進まないためにも、国民自らが審判を下さなければならない。
そういった意味でも、参考になる映画ではなかろうかと。
⑨風呂に入らない、身だしなみを整えない、タバコ、酒、仲間からは兄貴のように慕われる。しかし有名大学卒業で学問に強くラテン語も話し、文字にも良く目を通す。
まさにこう言った男人間ドラマのお洒落系、この人の本領です。
俳優達の演技はしなやかだし、演出ストーリーは次への興味を掻き立てる程にまで洗練され、ブレがない。
ヒュー・グラントを、コリン・ファレルをこんな役で出しちゃうんだ~ なんて贅沢なんだ。
そして背骨になる主人公はアメリカ出身で、不思議なほどの落ち着きと野性味を併せ持つ。
贅沢な俳優陣を使いながら、とにかくノンストップで状況が二転三転し続ける。うっかり乗り遅れてはダメです。
トラックスーツのアスレチックHipHop軍団、しゃべり過ぎなほど喋り捲り金をせしめる作家、物腰穏やかだが時には荒く事を確実にこなす執事、肝の座った妻。
そう、全ての人が弱肉強食の世の中を渡り歩いてき、その中で生きるすべを自分なりの解釈で表現している。
ジェントルに。時には激しく、気高く、狂おしく。
自粛生活の中で淡々と時が平凡に流れているからこそ、人生の、そのわずかな期間に小粋さをプラスしてくれた。
②NY警察の事件を主導する捜査官が事件を解決し犯人を捕まえるには3,4時間が勝負だと判断し、マンハッタンにかかる21本の橋を封鎖すると言う、大胆な設定。
しかしこれにデジャブを感じたのですが...
そう「ダークナイト ライジング」で、ベインがゴッサムを囲む橋を破壊し、街を孤立化させるテロを連想させます。
日本でも「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」もありました。
進にこの映画では「本当の悪」は誰なのかという展開へと導かれます。
その辺りは冒頭での伏せんで、景観であった父親が亡くなったことへも起因するのでしょう。
ただこの手の設定は良く見たことが有るので、ボーズマン主役でなかったなら、続けて見れなかったかも。
このような作品を見ると、ボーズマンはまだまだ役者としての幅の広さがあったのだろうと残念でなりません。
彼は2020年に惜しくも亡くなったのです。
早逝を心から残念に思います。
③キレてる。
イキまくっている。
ゾーンに入っている。
その昔(とは言っても17,8年前....ずいぶん昔かぁ)実写版「101匹わんちゃん」の「101(ワンオーワン」や「102」ではグレン・クローズがこの悪役を演じた。
そのグレン・クローズが主演のエマ・ストーンと共に製作総指揮をした作品。
その時は悪役が“クルエラ”だとは知らずに...
その前日譚、誕生秘話の物語をよりによって70年代ロンドンのパンクムーブメントに乗せて描かれた。
確かに現在の映画の傾向は’80sや’70sの背景設定が流行っている。
これはZ世代が知らない世界観を見せるほうがウケると考えたのでしょうか?
主人公「エステラ」はいつも「F」ワードをかまして怒りのエネルギーを発散している。
友達は不要。協調性?F△✖k you!
“普通”...何それ?
しかし虎児として育つ数年間にやっと変化の時が訪れた。
エステラ(クルエラ)役のエマ・ストーンが見せる立ち居振る舞いはGod Save The Queen。
いつしか自身の中に封印されていた悪魔を解き放つ。
ここで僕の琴線に触れたのが、70年代を彩るファッションやパンクロックが魂。そしてBGM(サウンドトラック)
そう、この映画には今現在の60代、50代世代の叫びが...
当時の英国社会、経済を打破しようと若者が反骨精神の限りをぶちまけたエネルギー。
そんな嵐を呼ぶ女クルエラ。
いっそ彼女の人生に思い切りダイブすべし。
稀代のパンクロックスターに熱狂的に侵食されてほしい。
④原作では、あっさりと幕が閉じるのに引き換え、ここではふたりの人間の心の触れ合いにより、仄かな希望を感じさせる。
今までの村上春樹作品を実写化した印象は... 物静かなトーンや、淡々とした語り口、そしてなんとなくオシャレ仕上げ。
実写化では、あくまでも原作者ではない脚本家が加筆しキャラクターを作り上げてきた。
その分、原作者が意図としていないキャラクター設定に対して遠慮があったのか、それ程実写ではキャラクターが掘り下げられずに、映画が終わってから、見た側が想像を膨らませて余韻を楽しんでいたのかも。
「ドライブマイカー」では細やかにキャラクターが作りこまれ、見ている側に情報を提供してもらえはするが、そのキャラクターを背景とするスクリーン内での行いは、表面的には穏やかでも水面下ではさまざまなことが起こる。
そしてそれが一層示唆に富んだ深いものにしている。
登場人物の人間関係、急に刃を向く登場人物、過ぎ去った過去、劇中劇チェーホフの「ワーニャ叔父さん」、過去の自分から現在の自分への引継ぎ...
醸し出される映像での不穏な空気が、複雑な人間関係に陰影を与える。
そして最後には、善も悪もないニュートラルなキャラクターが心に影響を及ぼす。
ベートーベンの音楽がひたひたと心に沁み入る作品。
⑤むしろ悪い行いであるかもしれない。悪い行いであっても国家に背くこと。
人に依頼しておきながら、責任を完全には負わない人たち。
愛国心を盾に人の心をくすぐり、騙して行動させること。
ベネディクト・カンバーバッチが主演を務め、キューバ危機の舞台裏で繰り広げられた実話を基に、核戦争を回避するべく奔走する男たちの葛藤と決断をスリリングに描いたスパイサスペンス。
1962年10月、アメリカとソ連の対立は頂点に達し、キューバ危機が勃発。
英国人セールスマンのグレヴィル・ウィンは、スパイの経験など一切ないにも関わらず、CIAとMI6の依頼を受けてモスクワへと飛ぶ。
そこで彼は、国に背いたGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)の高官ペンコフスキーとの接触を重ね、機密情報を西側へと運び続ける。
それで本当にキューバ危機が解決する方向へと向かったのだろうか?今も昔も変わることなく、何の罪も犯していない人たちの生活を一変させるような侵略行為は国の一存だからと言って許されるのだろうか?
いまだに起こり続けている世界のこのありさま。
ほとんどが一部政治家によっての欲に満ち溢れた行為。愚かな行為。
グルジアにしても、新疆ウイグルにしても、アフガニスタンにしても、シリアにしても、イラクにしても、エジプトにしても...
今日も排他的経済水域付近へミサイルが着弾した。そんな輩はいつでもいる、人から傲慢な欲がなくならない限りは。
⑥頭のシーン。良く見る外国製作映画では適当な日本語、日本人以外が演じる日本人。そんなのは存在しないと分かる設定等があげられる。
しかし冒頭の子守唄を唄う歌の曲調や歌詞の引っ張り具合、唄うさまは日本人独特のイントネーションだった。
しっかりと日本人にも見てもらいたいという思いが感じられる。方言を使い、キチンと文節が成り立ったセリフ。
今まで日本人として登場していた映画ではかなり優れているように思える。
だからこそ、映画へと引き込まれる。
水俣病の確認から約半世紀、小学校時代に社会科の授業で習った程度。
しかし私でさえ生きていた時に起こった事件でもある。
写真かがいなければ「世に存在を知られることもなかった」...今はそんな時代ではなくなった、良い意味でも悪い意味でも。
そんな世の中だからこそ、リアルとフェイクを見定めなければならない。
たとえ映画であってもフェイクはあってはならない。それは当事国に生まれたからこそ。
ただ現在の人たちはダブルスタンダード。
声高に勧善懲悪を謳い、悪に対して徹底的に名を伏せてSNSで発信しているかもしれない。しかし自分の私生活を完璧に振り返った時、どこか脛に傷を負っているもの。
そこまでにクリーンな人間って存在するのだろうか?
現にこの映画も、主役のジョニー・ディップは居住国にて有罪判決を言い渡されたが為に、上映は取りやめられている。
良い役を演じていても現実生活では有罪判決。
逆に、細かいこと迄にこだわり過ぎなのだろうか?そんな完璧な人なんていない、だからこそ「悪」解っている事は軽い気持ちでも、些細なことでも行わないほうが良いのだろう。
ちょっとエンドロールの世界で起こっている数々の事件には少なからずとも普段の生活で使っているものとかも係わりが有るのではと考えた時に、自分自身の生活にも辟易とする。
⑦コノての映画を見てよく思うのは、もし存命なら、どうしているだろうか?と。でも人間て不思議なもの、亡くなられたからこそ価値を重んじるのかもしれません。残酷だ。
役者が演じる部分はどうしても映画だから脚色されているところも、実際とは違うところも多いとは思う。しかしエンドロールと共に映し出されるアレサの実際のライブ映像は、やはり映画を見終わった最後だからこそ、胸を打つ。
ドラマが有るからこそ映画にもなる。今までの歌手を題材にした映画もそうだったように。
僕の中では演出に引き込まれて腹立たしく思っているところが、結局は演出の勝ちみたいには思っています。映画を見て「ハラハラする」「イライラする」は演出や脚本がうまいからだとも。
その様に引き込まれはしますが、せっかくの人生なんだから、もっと周りに気遣いが出来て生きられなかったのかな~なんてね。
⑧「そんな話があったのか」
アメリカと言う国は相当ヘビーだ。。自国のためであれば国で定められたルールをも無視する恐ろしい国家。
またそれがバラクオバマの時代だとは。
2015年に発売された、アメリカ政府による検閲で多くが黒く塗りつぶされた「グアンタナモ収容所 地獄からの手記」を元にしている。
そこにつづられていたのは、当時、キューバ・グアンタナモ米軍基地に収容されていた著者の壮絶な体験。
「守る」「死刑にする」という両極の立場に身を置く弁護士と軍。しかしお互いが良心の呵責と言う葛藤に悩まされる。
何を善とし、何を悪となすのか。
主演の女優は政治活動に対しても熱心らしい、政治活動と言うよりは人権活動だろうか?ある種の信念を持って行動をされているようだが、もしかすると、共和党、民主党の双方ともに肩入れすることはなく、アメリカと言う国のルールに基づいて、双方ともおかしなことが有ればそれを良き方向へ導こうという中立な立場なのかもしれない。
日本でも最近選挙が有り48%の日本国民が投票していないと聞いた。確かに自由意思で有るが、その様な間違った方向へ進まないためにも、国民自らが審判を下さなければならない。
そういった意味でも、参考になる映画ではなかろうかと。
⑨風呂に入らない、身だしなみを整えない、タバコ、酒、
色白で、細身、母の店の給仕を手伝い、周りからはお嬢ちゃんと揶揄される。しかし動物を捕まえては、また屍を探しては解剖する。自殺した父の死体も降ろした。人は己しか知り得ない秘密と信念と共に生きている。それは各々が他人に打ち明けるものだとは考えては居ない。
兄、弟、弟の妻、妻の連れ子、それぞれが現代社会に於いての秘めた象徴なのかもしれない。
社会的にも取り上げようとし、差別や蔑視することを批判し、差別や蔑視するものを貶めようとする様な世の中。
ナチュラルに考えることが出来ないから、その種のオピニオンリーダーになりたいのだろうか?
最後に勝ち負けで決まるところも現代社会に似通っている。
あえて危険と知りながら身を投じたので有れば、言葉では表現出来ないものが行動で示したのかもしれない。
⑩高齢化大国の日本。
片やアメリカでも同じ。認知機能の低下により財産の管理が出来なくなり悪徳な業者が蹂躙する…
国の社会保障制度等により仕組みも変わるが。
医療を受けるのもお金次第のアメリカでは、法定後見人の制度を使ってやりたい放題なのかもしれません。
⑪監督のアダムマッケイで好きな映画は「バイス」、副大統領を皮肉たっぷりに面白く描いた。
⑫主演がプロデューサーを兼任して、実話に基づく物語を映画化した本人案件。
見るものに寸分の親近感も共感も抱かせないキャラクターの主役。
その主役は自業自得の瀬戸際に立たされても、しぶとく生き残る。「それ見たことか!」と、叫びたい感情だが、なんだろう摩訶不思議な感情移入を主人公にしてしまう。
如何にして切り抜けるか?如何にして世の中を出し抜くか?何もかもアメリカンドリームの為。その為には恐れるものなど何もない、死をも厭わない。この座った根性。
これ程までに感情移入が右往左往した映画は初めてかもしれない。
⑪監督のアダムマッケイで好きな映画は「バイス」、副大統領を皮肉たっぷりに面白く描いた。
報道、金融、政治といった世界のトンデモな裏事情や不正を笑いも交えて風刺してきた社会派の監督です。
天文学者にレオナルドディカプリオ、その学者をフォローする大学院生にジェニファーローレンス、大統領にメリルストリープ、人気ニュース番組のキャスターなのケイトブランシェット、ストリートギャングにティモシーシャラメと超豪華。
タイトルの「Don´t Look Up」に含まれる「look up」には、「上を見る」の他にも「(辞書などで)調べる」という意味がある。劇中では大統領選挙ののスローガンでもある。つまり、「正しい情報を調べるな」「真実など知らなくていい」とも受け取れるのです。
聖職者であろう人で有るべきなのに、スキャンダル隠蔽や支持率アップにばかり身を粉にし、資産を増やすことにしか興味を持たないIT長者、身内の政府要職、重大なニュースをシリアスに報道するよりは笑いで報道しようと言うあたりもフェイクニュースにも被る、はたまた足を踏み外してしまう天文学者まで。
「やる」にしても「ここまでやるかぁ?」でも、これこそがエンターテイメント。
2021年最後に凄い映画が来ましたね。
⑫主演がプロデューサーを兼任して、実話に基づく物語を映画化した本人案件。
巨大企業との闘いを描いた内容のため、場合によっては主演はスターの地位を失う危険性もありそうなもの。
しかし本作を製作した主演の熱い思いが映画のメッセージ性を感じさせてくれる。
これまでにも巨大企業のスキャンダルを描いたドキュメンタリー映画は数多くある。
環境汚染問題をめぐって、ひとりの弁護士が今現在までにもわたって巨大企業との闘いを繰り広げてきた軌跡が綴られた記事を、環境活動家でもある主演が読んで心を動かされ、映画化を決意したという。
本作のコピーに「真実に光をあてるためにどれだけのものを失う覚悟があるのか―」とある。
大切なものを失うかもしれないことを覚悟して、企業の隠ぺいを暴き、弱き者を救おうとすることは並大抵ではない。
そんな弁護士をヒーローや聖人として演じるのではなく、プレッシャーやストレスとも闘いながら、真実をひたむきに追及する生身の人間として演じ切っている。
新型コロナウイルス、気候変動、CO2等の環境問題、海洋水質汚染、この様なことを身近に感じだした昨今。
真実とは? 正義とは?
社会派の法廷ドラマとしても見応え充分です。