
「殴られた?」「殴られたよ」
「怒鳴られた?」「罵倒されたよ」
これを 未だに 精神論の強化 に結び付けようとする 輩がいますね。
現在の小学生等の親にも。
コーチに 自分の代わりに 躾を 行って貰っていませんか?
スポーツの指導者が行うことは その競技の詳細。
スポーツが 躾や 道徳を 身に付けるとは 勝手に美談に していませんか?
家庭で 親が 日常一般生活においての 行いは 親が 指導する 教育する ものだと考えます。
「殴られた事」は どのように 記憶に残っているか?
当時は 殴られた事 殴った指導者に対しての 反骨心しか 生まれなかった。
指導者個人への 反骨心 と言うよりも 「そこまで ヤル をだったら 見てろよ ボケ」と言うように 行いで プレイで 見返そうと 心が 煮えたぎった。
指導者の 態度は どうだったか?
マンツーマンで 指導するほど 熱心ではあった。
その 合間に 指導者から見た 私 また 私の 可能性 等を 丁寧に 聞かされた。
指導者の 私に対する 思いは 少なからず 私には 伝わった 理解できた。
それが その後の プレイにも 生かされた。
「殴る指導」私は 明確に 否定する。
それは 自分(指導者)の 願望が 満たされていないがために 行われる ストレス発散 だからです。
親が 子を 殴るのにも 似ています。
欧米での指導者は 決して その様な行為は 行いません。
ブラジルでは 確か 行為を行った 指導者は 逮捕されます。
欧米で「殴る」「罵倒する」指導が行われなくても 精神的に 強く 自立した プレイヤーが 生まれる 指導方法を 学ぶべきかも しれません。
まだまだ 指導者自身も 幅広く「指導」と言う 分野での 学びが 足りない 少ないのでは 無いでしょうか?
わざわざ ライセンス制度を設けなくても 自分から 率先して「学ぶ」姿勢を 指導者も 持たなくては なりません。
その「ライセンス」自体が 結局は 親が 指導者に対して 「叱ってやってください」と 変わらない事だと 思うので。