25歳以下の人は議員に立候補出来ない。
これは人としての成熟度を鑑みて、この年齢に達すれば、最低限の社会経験をし、如何なる時もその時の個人の感情に片寄ること無く正誤の判断を下せる、とでも申しましょうか。
実質、その年齢に関して裁判を起こしたと、有りましたが、結論的に、この様な事件を起こすような年齢(年齢で判断するのは正解ではないと思いますが)であり、結果、正誤の判断が出来ないという結論が出た。
元を辿れば「しつけ」の仕方へとたどり着くかもしれない。昨今は「しつけ」を家庭で親が子へ行うものでなく、学校教育で行ってもらうように申し出る親が多いらしい。あくまでも想像だが、親が子から嫌われたくない、親子の関係を友達のように保ちたい。その様なことから教員へ依頼するケースが有り、学校教育ではないところまでの負担が求められている。
決して体罰やパワハラが良いとは肯定しない。しかし、そうではない方法で、しっかりと幼少の頃から善悪、正誤の判断を促せるような「しつけ」が必要なのかもしれない。
ただ、惑わされてはいけないのが、報道のあり方。他にニュースがなければ、例えば寿司店で行われた迷惑行為や年配者の自動車事故を声高々に報道が行われる。対象年齢総数からすれば、実質行った当事者数は0.何%かも知れないと言うところ。ごくわずかの人達だけが該当者かも知れない。しかし社会的影響や損失は計り知れないものがあるので、そうは数字だけで見るのも難しいのが現実です。
どのみち人は世のため人のために働くこととなり、その対価として収入を得ることになる大人になります。多くの人が喜び求めることによって、高額な収入も得られます。その為にも世のため人のため社会に貢献できる、迷惑をかけない、その様な人としての「しつけ」を親は勿論の事、社会が提供しなければならないのかも。