◎大事をとり別に非常用スタヂオを準備する
昨日に続いて、本日も、下村海南著『終戦記』(鎌倉文庫、一九四八年一〇月)を紹介してみたい。
本日、紹介するのは、第二八章「玉音放送」の第七五節「玉音の放送」。参考までに、第二七章、第二八章の節のタイトルを紹介しておく。
第二七章 大詔渙発の閣議
第六九章 無血の終戦
第七〇章 詔勅の発表方法
第二八章 玉音放送
第七一章 玉音放送の時間
第七二章 陛下の法送録音
第七三章 近衛屯所の監禁
第七四章 八・一五事件
第七五節 玉音の放送
第二八章 玉音放送
【前略】
第七五節 玉音の放送
会館〔NHK東京放送会館〕では十五日未明反軍の侵入に午前五時と六時の二ユース報道は中止となつた。録音レコードの入手をあきらめた反軍将校は自分達が放送すべく強要したが、いま空襲警報発令中で放送はすべて東部軍司令部の命のまゝといふので、司令部と直通電話にて交渉をはじめたが効を奏せず、事こゝに休して今は是非もなしと会館あとに、宮城前に引上げ自決したのであつた。
私〔下村宏情報局総裁〕は情報局、次で首相官邸をたづねて後に、一と先づ紀尾井町の官邸へ引上げた。軍をはじめ、宮内省、警保局、情報局、放送協会各方面の苦心も甲斐ありて放送会館も今は反軍の手をはなれ、軍の警固により安全が保証され、レコードも無事運ばれて来る。
玉音の放送も万全をはかるため臨時放送局よりと心組んでゐたが、それにも及ばず別のスタヂオから予定の如く放送される事となつた。
連日連夜夢に夢見る心地しつゝ今更に神明の加護に感激しつゝ、正午前放送会館に入る。そこには兵隊が所せまく入り込んでゐるが此度は護衛の兵隊である。しかし大事をとり、別に非常用スタヂオを準備する。アナウンスも、私に故障ある時は大橋会長〔大橋八郎日本放送協会会長〕に代つてもらふ用意を整へ、スタヂオには、夜来未明まで監禁されし加藤局長と筧課長、東部軍からは小沼治夫少将、その他矢部、荒川の協会幹部、情報局より加藤部長、山岸課長がいづれも生々しい思ひ出をしのびつゝ、何よりも玉音の御放送の御予定通り行はれ得る感激と歓喜にあふれつゝ正午の時刻をまつ。
和田〔信賢〕アナンサーに次ぎ、君が代が奏せられ、次で私は恭しく玉音をお送りする旨申上げ、こゝに終戦の大詔の玉音が送られたのであつた。私としては千古未曽有の国難に当りこの意義深き職域に奉公せし事は何んと詞のつくしやうもない感激である。
かうなつて見ると阿南〔惟幾〕陸相と論議を重ねたる末に、十五日正午の発表としたのが何よりよかつたので、朝の五時、六時の放送であつては明かに予定の放送に狂ひが生じ、軍部といはず人心の動揺は想像にあまりがある。よくも正午にしておいたものである。
八月十五日事件、そこには森〔赳〕近衛師団長はじめ多く犠牲者があった。叛軍をとりしづめたる東部軍司令官田中〔静壱〕大将も責を引いて自決した。精しい事は知らないが陸軍省に近衛師団に、戦争の継続を志したる将校の自決せる数も少からぬやうに聞いてゐる。討つ者も討たれる者も日本護持の為にと志ざす高嶺の月は一つなれど、その進む道はちがつた。
観じ来れば、討つ者も討たれる者もいつかは砕けて、皆もとの土くれとなるのである。
今や戦争は遂に終った。終戦の玉音放送は無事にすまされたのである。ほつと息をつぎ、何んと詞も出ない。只々涙が止め度なく流れてくる。私の頭には八月八日単独拝謁の時に於けるお上。十四日御前会議のお上。その夜の放送のお上の御姿がつぎつぎと浮んでくる。焼打の暴徒とすれちがひ難を脱した鈴木〔貫太郎〕首相、さては終始終戦につとめたる米内〔光政〕海相、東鄕〔茂徳〕外相、遂に破局を見る事なく身を以て殉じたる阿南陸相、さうした閣僚の姿が走馬灯のやうに私の頭をかすめてゆく。
今や玉音は放送されたがさて、終戦のあとが果して無事に進行するや否やこの調子ならば終戦は必ず無事に運ばれる。さうした信仰とも希望ともつかぬ心持が強く私の胸に植付られた。
今回、「八・一五事件」関係のところは、紹介しなかったが、これは、いずれ機会を改めて紹介してみたい。
しばらく、「終戦」関係の話が続いたので、明日は、いったん話題を変える。