礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

自殺者に見られる三要素(西部邁さんの言葉をヒントに)

2018-02-14 04:04:33 | コラムと名言

◎自殺者に見られる三要素(西部邁さんの言葉をヒントに)
 
 三島由紀夫は、一九七〇年(昭和四五)一一月二五日に自殺した。自殺する四か月ほど前、同年七月七日のサンケイ新聞に寄せたエッセイ「果し得てゐない約束――私のなかの二十五年」の冒頭で、彼は次のように述べていた。

 私の中の二十五年間を考へると、その空虚さに今さらびつくりする。私はほとんど「生きた」とはいへない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。

 また、エッセイの最後のほうには、「二十五年間に希望を失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたような今日」という言葉もある。一九七〇年からみて二十五年前といえば、一九四五年(昭和二〇)、すなわち敗戦の年である。
 三島は、戦後の二十五年間が「空虚」であったという理由で、自殺したのであろうか。精神分析学者の佐々木孝次〈タカツグ〉氏によれば、そうではない。三島にとって、自殺することは、すでに二十五年前に、「予定の行動として定まっていた」のである(「三島由紀夫の死」、『ユリイカ』一九八六年五月号)。この佐々木氏の解釈を、私は支持したい。
 三島は、二十五年間、自殺する機会を窺い続け、最後には、本当に自殺してしまったのであろう。なお、三島のエッセイのタイトル「果し得てゐない約束」とは、二十五年前に、誰かに対して約束した「自殺」という意味であろう。この誰かとは、特定の友人かもしれないし、自分自身かもしれない。あるいは「英霊」かもしれない。
 ところで、昨日のコラムで引用した「対談」(西部邁・栗本慎一郎『立ち腐れる日本』)のなかで、西部邁〈ニシベ・ススム〉さんは、「僕にも自殺願望が皆無というわけではありません」と言っていた。また、「三島由紀夫氏に関する勉強をした」とも語っていた。西部さんは、三島由紀夫という文学者を、あるいは、その自殺を、強く意識していたのではないか。
 対談で西部さんが、「僕にも自殺願望が皆無というわけではありません」と発言したのは、一九九一年のことだった(初出は、たぶん、『宝石』の同年七月号)。それから二十六年あまり経った二〇一七年一二月、西部さんは、本当に自殺してしまった。
 西部さんの自殺願望が、いつから始まったのかは知るすべもない。しかし、少なくとも二十六年の間、自殺願望を抱き続けていたことになる。
 西部さんの言葉を追ってゆくうちに、ふと考えた。自殺する人には、次の三要素が指摘できるのではないか。
(1)長期にわたって自殺願望が維持されている。
(2)自殺にいたる「必然の脈絡」ともいうべきものが存在する。
(3)周囲に対して、自己の自殺を「説明」する言葉が用意されている。
 西部さんの場合、(2)は、たぶん「不治の病」を自覚したことであろう。これに、「死んでみせる」と、周囲に広言してきた「責任」も加わっているかもしれない。(3)の「説明」は、「日本の対米追従や大衆社会状況」に絶望したというものである。
 三島由紀夫の場合、(2)は、楯の会の会員に「死んでみせる」と言ってきた責任(西部説)。(3)の「説明」は、自衛隊に決起を呼びかけたが否定された、というものである。戦後の「二十五年間に希望を失つて、もはや行き着く先が見えてしまつた」という説明もありうるが、おそらく本人は、これが自殺の理由だと解されることを拒んだはずである。

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