礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

大きなる饅頭蒸してほほばりて……(河上肇)

2024-08-11 04:49:10 | コラムと名言

◎大きなる饅頭蒸してほほばりて……(河上肇)

 末川博『真実の勝利』(勁草書房、1948)から、「河上の辞世と終戦」という文章を紹介している。本日は、その二回目。

 もともと、河上は子どもの時から頑健だといはれるやうなからだではなく、それは.『自叙伝』にもしるしてある通りであり、私もその胃ケイレンで弱つた時のことなどよく記憶してゐて、京都駅前の旅館にかつぎ込んだ折の話などくりかへしたものである。辞世の歌のあとで『自戒』と題する次のやうな歌を短歌日記にしるしてゐる。
【一行アキ】
 生来蒲柳〈ホリュウ〉多病の身
 今六十六の老翁となる
 いつ死に果つも悔なき身
 如何なれば尚ほ此の身を愛し
 一碗の粥
 一片のパン
 貪りて之を食ふや
 兵禍未だ止まず
 物資愈々乏しくして
 貧競益々甚し
 悲むぺきかな
 恥づべきかな
【一行アキ】
 その蒲柳多病の身をもつて『なべて物みな終あり戦もいつしかやまむ耐へつゝまたな』と乏しきに耐へながら、遂に『あなうれしとにもかくにも生きのびて戦やめるけふの日にあふ』、『いざわれも病の床をはひいでて晴れゆく空の光仰がむ』、また『はからずも剣影見ざる国内【くにぬち】にわれ往み得るかいのちなりけり』とうたふ終戦の日を迎へ得た河上は、或る意味ではまことに仕合はせだつたともいふことができるであらう。慾をいへぱ、モツトモツト生きながらへて、これからの世のうつり変りを見てもらひたかつたことは山々であり、せめても『大きなる饅頭蒸してほほばりて茶をのむ時もやがて来るらむ』といつたそのマンヂュウと茶をとさへ思はぬではないが、仮りに戦終らぬうちに逝かれたらと考へれば、戦済んで半年ばかりでも生きのびて、ほゞ時勢の向ふところも見定め、精神的にはおそろしい重圧をとり除かれ、『けふの日を誰にもまして喜ぶは先生ならめと人は云ふなり』と朗かな日をなにがしか送り得たのは、あり難いことだつたともあきらめられる。もつとも、『昨日までおびえつ聞きし飛行機の爆音すらもなごみわたれり』となごやかな気持ちになつて、しかも『いざわれもいのちをしまむながらへて三年四年は世を閲〈ケミ〉さなむ』と希望してゐたのだから、モウ少し長生きして呉れたらと思ふことの切なるは言をまたない。〈190~192ページ〉【以下、次回】

「貧競」とあるのは、河上の造語であろう。読みは「ひんきょう」、意味は「貧しさを競う」か。
「国内」のルビ「くにぬち」は、原文のまま。一般的には、「くぬち」だが、あえて四文字で読んだのであろう。
 このあたりから文章末にかけて、末川は、河上の短歌を巧みにつなぎあわせながら、故人の心境に迫ってゆく。学者らしからぬ感性、筆力というほかない。

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