◎『統制経済論』の原稿を紛失した高田保馬
社会学者・経済学者の高田保馬の『社会歌雑記』(甲文社、一九四七)という本については、以前、紹介したことがあるが、再度採り上げてみよう。
同書によれば、高田は、一九四三年(昭和一八)年の八月に、一冊分の原稿を紛失し、一月余りで、再度それを書き直したことがあるという。
(40) わが行くは人ふみしめし道ならずおどろ〔棘〕が中をい行き難さふ〈ナズソウ〉
昭和十九年に『統制経済論』を公にした。公刊までの事情について忘れ難いことがある。たしか昭和十八年の夏八月であつたらう。『統制経済論』と題する一冊の原稿を抱いて郷里佐賀に帰り、日々目次の整理をするとともに校訂を加へてゐた。滞郷旬余、八月末に帰洛の途についたが、此原稿を鳥栖〈トス〉駅にて紛失してしまつた。置き忘れたのを持ち去られたのである。八方手を尽しても行方は全く判らぬ。私は、すつかり落胆した。けれどもどうしても奮起一番せねばならぬ。日本の現に実現しつつある形の統制経済に純理論的考察を加ふるといふ仕事は、少くも私の見るところ人によつても着手せられてゐない。而してそれは勢力の作用を重視する私の立場からでなくては十分に之を行ふことは出来ぬ。これは或は誤つてゐるかも知れぬ。
しかし誤つてゐないといふのは私の確信である。どうしても、私見を書きまとめる義務があると思つた。そこで帰洛の後、数日にして再び起稿した。此度は前の原稿ほどに文献の引用をすることはやめた。簡明に、しかし論ずべき論点だけは残さぬやうにして、初秋のうちに書き上げた。一ケ月といふ計画ではあつたが、予定より遅れたのは已〈ヤム〉を得ない、この原稿遺失のことについて、数多の友人先輩から懇切なる慰問と同情とを給はつたことは、私の長く忘れ得ざるところである。
私から見ると、統制経済に関する理論的分析としては私の進むでゐる道が自然の大道である。私の論述が細部に於てあまたの欠陥をもち誤謬をさへ含むであらうことは、固より〈モトヨリ〉予期し承知してゐる。けれども根本の立場そのものは、承認せられなければならぬものと思ふに拘はらず、日本の経済学界に対してすら之を期待しがたい。幾つかの批評はあらはれたが、それらの懇切なる態度に対しては感謝してゐるにも拘はらず、根本的承認の意向を認め難いやうに思はれる。私はそこに孤独感を深めざるを得ぬ。当時の連作の一。「淋しさの身には親しも古へもひとりい行きし人は然りき。」、「たがはじとまこと一すぢとめ行きて人間の声はきかじとぞする。」
原稿を失くしたこともショックだったろうが、せっかく書き直して世に問うた本に対して、期待していた評価が得られなかったことは、それ以上のショックだったのではないだろうか。「わが行くは人ふみしめし道ならずおどろが中をい行き難さふ」という歌は、そうした作者の感情をよく表している。
文中に、「勢力の作用」という言葉が出てくる。この言葉の説明は厄介だが、吉本隆明のいう「関係性」という言葉は、これに近い概念なのではないか、などと私は考えている。